① 神像
Ⅴ,傀儡ⅰ / strings of marionettes
『ナカト、ヴィーナス像を知っているか』
『そうだ、両腕の欠けた像だな』
『林檎を持っていたという説、わざと切り落としたとするもの、色々あるな。本来の形はもう判らないが、だからこそ自由に想像できるともいえるな』
『……顔のない仏像というのもあるが、なぜ顔がないと思う?』
『皆が好きに表情を想像できるように、か』
『ハハ、お前は素直だな。そう言うと思った。馬鹿にしているわけじゃないぞ。ま、それは異教徒によって破壊されただけだよ。顔と両腕を失くした神像もあった……。……お前の国でも廃仏毀釈というのがあったろう』
『敵対する勢力を悪魔と呼び、その奉ずる神を悪神として堕とす。相手もまた同じことをする。戦いに勝った方は自分たちの神と悪魔の認識を正しいものとして広める』
『何が悪くて何が正しいのか。難しいな。あるいは誰も間違っていないのかもな』
『国同士の戦い、宗教同士の戦い、信条の戦い、民族の戦い、人種の戦い、階級の戦い、経済のための戦い、資源のための戦い、もっと個人的な闘争』
『……話がそれたな。お前なら愛の女神の両腕、どうなっていたと思う?』
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「……う……」
目を開くと、暗闇の空間にいくつかオレンジの光が灯っているのが目に入った。
……またか。
洞窟の天井が松明の明かりで照らされていた。
……視界がはっきりしない。左目がまた見えなくなっている。
体が自分の意志で動く。さっきの人はどうなったんだろう。
(……今、左目が見えなくなっていることと関係あるのか。そもそも、この左目を与えられてから変な声が聞こえるようになった……だったら)
体を起こそうとして倒れる。後ろで両手を縛られていた。でもまあ体は動く。多分、骨は折れてない。手、足は……ちゃんとある。左目が見えなくなっているだけだ。
「目が覚めたか」
言葉が頭に直接響いた。暗闇に目がなれる。正面に何かの巨大な像が……神像だろうか。声は像の上の方からした。あの子は神様に会ってほしいと言っていた。では、この声の主が……そうなのだろうか。……神体なのか。周りには自分以外には誰もいないようだ。
祭壇は松明で照らされている。いや、自分の乗っている机もそうかもしれない。
(僕は生贄……だろうか。でも話をしろと……)
神像の足元に一際大きな松明が燃えているが、揺れる炎の光は神像が巨大すぎて足元しか照らせていない。
……逃げ出した意味なんてなかったか。馬鹿だ。大人しくあの子の言うことを聞いていればよかったのかな。
「お前、私の姿が見えているか」
(よく……見えない)
真っ白なおそらくは大理石の神像を見上げる。遺跡にあった神殿の柱ほども高さがある。どうやってこの中まで運んだんだろうか。両腕と頭部に黒い靄がかかっているように見える。
……いや、違う。頭と両腕がないのか? 砕かれている? 右目で顔があったはずの部分を注視する。
――闇の中に小さな満月が2つ浮かんでいる――
満月のような黄金の双眸と目が合った。遺跡でウルスナビに睨まれた時のように息が苦しくなる。いやもっとひどい。
声を出そうとして、唾をのむ。上手く言葉が出ない。
「……喉をつぶしてしまったのか。これでは役には立たんか。いや……こいつも念話ができれば……」
「あ……あ、あの! 話せます。あなたの顔は見えませんが、瞳は見えています。すみません。声がなかなか出なくて……」
自分でも情けない程に、おびえた声が喉から出た。
「……聞いていたよりも殊勝だな。傍若無人な男かと。ん……お前その目、見えていないのか」
「ええ、左目は……少し見えなくなってしまって、います」
左目を掌で隠して、片目だけ瞼を閉じようとしたが難しかったので諦めた。説明が難しい。自分でもよく分かっていないので、適当に濁す。
「お前に頼みがある。……本来なら手荒な真似をする気もなかったのだ。お前が狼藉を働かなければな。……巫女はお前のことを気に入っておったしな」
巫女って……。
「乱暴なことをしてしまったのは、その……申し訳ありませんでした。謝ります。けれど、こちらもあなた方のことを信じてよいものか判らず……。み、皆さんはご無事でしたでしょうか」
「お前がそれを聞くのか」
困惑しているようだった。……それはそうだろうな。自分でやっておいて何を言っているんだと、傍からはそう思えるだろうな。
「死人はおらぬ。加減はしていたのだろう、お前。業腹だがな」
「……そうですか」
それはよかったと言いかけて、止める。何を安心しているんだろう。
「話を戻す。これよりお前はあの遺跡に戻り、私の封じられた両腕と頭部、それを解放してもらう。なに、箱を開けるだけのことだ。……よいな」
あの人も同じことを言っていた。
「その……腕と頭が戻れば、あなたは何をなさるのですか?」
「よいな、と聞いたが」
言葉に潰されそうになる。気持ち悪い。はい、と言ってしまえばいいじゃないか。そうすれば、楽になるだろう。でも……。
「……」
「判らん男だな。体を取り戻して如何にするかなど、決まっていよう。私は神であるが故、人々を救わねばならぬ」
「その……人々の中には遺跡の人たちは含まれていますか?」
「死人を救うは我が領分ではない。生者であるお前がなぜそれを気にする? お前は奴らに弱みでも握られているのか」
(死人……か)
……駄目だ。でも断って逃げられるとも思えない。応じた振りをして……いや、そんなのが通じるとは思えない? 全部吐いたはずなのに、腹に何か入っている感じがある。これは多分……どうする?
唐突に――頭が冷めた。必死で考えていたのが馬鹿馬鹿しくなった。
……何をそんなに悩んでいるんだ。あの時だってそうだったじゃないか。僕は別にここで死んだって……。
ガクン、と体が揺れた。
『あーー、なるほどなるほど、道理でありますな。わかりました。ではもう少し詳しくお聞かせください』
左目にまた体を奪われる。僕と違い、物怖じせずペラペラと舌が回る。
「……お前、目が見えていないのではなかったのか」
『ん、ああ、そのー。うむ。人を救わんとするその心に敬服いたしました。まあ、目からなんとやらと言いますでしょう』
「……」
きっと左目の存在は悪気なく、話を逸らそう、場を和ませようとしたのだろう。ただ、そうはならなかった。そういうのは、よくある。難しいよな……。
【続きます】




