⑥ 兄妹
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カナの作った料理は、食べても吐くことはなかった。美味しいというよりも、もちろん美味しかったけれど、それ以上に嬉しかった。
夜、また眠れない。昼間はあんなに眠かったのに。これからどうなる? 考えないと、でも考えたら多分また……ここには居られなくなる。
【まだ続ける気か】ズキリ。
もう少しだけ……ここに居てもいいんじゃないか。
「兄さん、まだ起きてる?」
襖の向こうからカナの声がした。
「ん、ああ、起きてるよ。どうかした?」
「……その、お願いが……あるんだけれど……」
歯切れが悪い。カナは襖を開けなかった。言いにくいことなのだろうか。不安になった。
「……僕にできる事なら何でも言ってよ」
安心させたいと思い、妙に明るい調子で言った。
「実は……会ってもらいたい方がいるの」
かた? と聞き返す。嫌な予感がする。
「私たちの……神様に会ってもらいたいの」
急速に体が冷えていく。
「あ、うん。いや……えっと……。それ、は……何故?」
「詳しくは私にも判らないけれど……。あの遺跡にある箱を開けてもらいたんだと思う」
「い、遺跡って……え、あれ。箱……」
(箱? 箱って、誰かもそんなこと言ってなかったけ。あーそっか……)
「……」
カナ?
「……あ、えっと……僕たちってずっとここで暮らしてたよね。遺跡って……あ、あれ……よ、与那国のやつ……昔行ったっけ、どうだっけ? ……なわけないか……。僕たちって……その……」
……家族だよね? 口にしようとしてできなかった。
「……あなたにとっても悪い話じゃないと思うの。頼みを聴いてくれたら、きっとずっと一緒に居られると思う。……危なくないように私からも頼んでみるから。だから……」
……今のままじゃ一緒に居られないのか。……家族なのに?
「あ……ご、ごめん。やっぱり……あの、少し考えさせてもらっていいかな……」
「……判ったわ。ごめんなさい、突然。おやすみなさい、兄さん」
「うん……ごめん。おやすみなさい」
(そっか、そういうことか。そういうあれか。そうだよな)
「……用もないのに、わざわざ親切にしてくれるわけないよな……俺みたいなやつ」
誰にも聞こえないように小さな声で呟いた。
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ズキン、ズキン。
【逃げるぞ】
頭に響く声で目が覚める。また、夕方だった。
(また寝坊か……だらしないな)
記憶を手繰る。
遺跡の箱、正義の神様、神様が復活すれば遺跡の人たちはどうなる? そもそもそれは正しい情報なのか。僕はどうすればいい。会って話だけでも聞くべきか? 断ってそのまま帰してもらえるのか。そもそも僕をここに誘い込んでおいて、いや、カナは僕を助けてくれたんじゃないのか。いやいやいや、そんな訳ないだろ。何の得がある? 神様を復活させる駒にしたいだけだろうが、……いや、カナはそんなことしないんじゃないか。しないのか?
とりあえず……布団をたたんで、部屋を掃除しようか。なんとなく。
【逃げるぞ。モタモタするな】
ズキリと脳に刺さるような声。左目をさする。
「これ……誰の声だよ。くそ」悪態をつくが、痛みによって脳が醒めるのを感じる。
(……何が判るって言うんだ。この間会ったばかりじゃないか。何を知ってるんだ、彼らの)
「そうだ。僕の家族は……ここには居、い……」
いない。言葉にしたくなかった。駄目なのか。この家族は。こちらを家族としてはいけないのか。こんなに優しいのに、あんなに喜んでくれたのに。
――演技だろ、全部。普通に考えてそうだろ――
腕時計をはめた時の笑顔、あれも嘘だよな。演技だよな。……そうでないと困る。
【襖を開き、玄関へ行き靴を履き、外へ出て、門から出よ】
迷いが消える。そうだそうしよう。外へ出て……。
「兄さん、また散歩? 私も行くわ」
襖を開くとカナが立っていた。外に出ないと……。
「いや、今日は……一人でいいよ」
「どうして?」
どうしてって……どうしてだろう。……どうせ君は演技をしているんだし、別に、放っておいてくれ。……いや、演技をしているから放っておけないのか?
【襖を開き、玄関へ行き靴を履き、外へ出て、門から出よ】
「えっと、ああそうだ。襖を開き、玄関へ行き靴を履き、外へ出て、門から出よ、しないといけないんだ」
カナが僕の言葉を聞いて吹き出した。
「変だわ、兄さん。そんな人を一人で散歩に行かせられません。今日はまだ何も食べてないじゃない」
彼女の言葉はもっともだった。いい妹じゃないか、いや、ち、違う……。
「ほら、行きましょ」
彼女はまた僕の手を引いた。手首にターコイズブルーの腕時計。そうだ、僕があげたんだ。だってそうだ、カナは僕の妹だから……。
(違う……それはもう違うんだって!)
判っている。判ってるよ、もう。
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黄昏の海。また二人で並んで堤防に座る。
言わなければならないことは判っていたけれど、なかなか言い出せなかった。だからなんでもない話をした。僕が猫の話をして、カナは人魚姫の話をした。
「……兄さんは今、幸せ?」
「幸せだよ。ずっとこうやって家族仲良く暮らすのが夢で。カナとも一緒に話したりできるし。でも……夢ってさ……」
言うんだ。言わないと。
「……それが夢だったんだ。だからこれはやっぱり夢だ。……もう目を覚まさないと」
「現実の中でも夢は叶うでしょう? 夢が叶ったのならそれは現実じゃない。私たちは夢なの? 今ここに居るのに」
……でも家族ではないでしょう? それが言えない。
「皆、夢を叶えるために頑張っているんじゃないの? 兄さんだって夢を叶えるために頑張っていたんじゃないの?」
結構、僕なりに頑張ったつもりだったんだけど……空回りしていただけなのかもしれない。好悪の感情なんて、頑張ってどうにかなるものだろうか。
「今が幸せなら、どうしてそれを手放してしまうの。手放してしまったら、もう戻らないかもしれないのに」
僕だって嫌だ。手放したくなんてないけれど。でも、言わないと。
「……神様には会えないよ。箱を開けたら遺跡の人が……」
「ナカト」
僕の言葉を遮るように彼女は言った。
「駄目なのね。もう……」
全て判ったような、悟ったような諦めたような眼、それでもまだ縋るようにこちらを見ていた。僕のことを見ている。
「……猫、飼ってもいいわ」
もし今の家族に猫が加われば、完全無欠だ。文句のつけようがない。でも、結局家族じゃないからな。
あれ……でも猫って最初から家族って訳じゃないよな。飼い始めてから家族になるのか。……家族になれるのか?
「最高だけど……でもカナも言ってたじゃない。猫が死んだら悲しくて泣いてしまうから……それだったら最初から飼わない方がいいのかもしれない」
……最初から君たちに会わなければ、遺跡で暮らさなければ、こんな風に悩むこともなかっただろうか。
「昔、猫飼ってた? 家にひっかいた跡があった」
「……飼ってたけど……いなくなってしまったわ」
僕が猫だったら、あの家から逃げようなんて思わないけど。なんで……逃げたんだろう? 事故かなにかか、それとも死に目を見せたくなかったのかもしれない。悲しませたくなかったのだろうか……でも結局。
「君も泣いただろうね、優しいから。……きっとどこかで元気でやってるよ。猫ってたくましいし」
みんな元気かな。
「……あなたが……あなたも心配だわ」
カナは俯いて顔を隠した。……演技……だよな。猫と同じように言われるのは結構嬉しかったりする。猫好きだから。
「大丈夫。僕も結構……それなりに……たくましいから。だから、今日の夜、出ていくよ」
今日の夜、の部分をわざと大きな声で言った。多分、周りにいる他の人たちにも聞こえるように。まあ、自意識過剰で別に誰もいないのかもしれないけれど。
「兄さんは馬鹿ね」馬鹿だわ、と続けた。
「帰ろう、カナ」
カナの冷たい手を取って立たせる。
「兄さんはどこに帰るのよ」
彼女は泣いていたのかもしれない。
【続きます】




