6・少女赤猫、かく語りき
少女……名を“赤猫”と名乗る少女は、私の境遇を聞いてぽかんと口を開けていた。
驚いているのか、呆れているのか。
或いはそのどちらもか。
ちなみに、話をしながら私は赤猫から食料と水を分けてもらった。
食料とはつまり、串に刺して焼いた虫だが。
赤猫曰く“アブラ蟲”という、旅人の主食であるらしい。焼かれて黒くなっていたけれど、どこか鼠を思わせるその形状には見覚えがあった。
というか、この蟲は、街のあちこちにいたはずだ。
それこそ、排水溝の中を走っていたり、水たまりの泥水を啜っていたりしていたのを覚えている。それが食えるとは知らなかったが、ともかくこれで当面の食料はどうにか確保できそうだ。
ちなみに味はめちゃくちゃに悪い。
硬い肉を噛んでいるみたいな食感なのだが、舌の痺れるような苦みがあって、そこはかとなく嚥下しづらかった。ギリギリ食えなくもないのがまた性質が悪い。
不味いけれど、頑張れば喰えてしまうのである。
目を覚まして最初の食事がこれとは、どうにも私は運がない。
「まぁ、おかげで空腹は満たされたけど」
「そいつは良かった。味はともかく、腹には溜まるっすからね、こいつ」
不味いけど、と。
そう言って赤猫は、アブラ蟲の串焼きを食いちぎって、渋い顔をして飲み込んだ。
「そんで、ドロシー。つい昨日目覚めたってことは、ずっと“蟲蝕”の中で寝てたんです?」
「うん? むしばみ?」
「あぁ、そっからか。まぁ、記憶がないまま寝てたってんなら、そりゃそっか」
参ったな、と。
頭を掻いて、赤猫は何事かを思案していた。
「面倒だから簡単に説明するっすね」
と、そう前置いて赤猫が話してくれたのは、今、私たちがいるこの世界の状況についての説明だった。
赤猫曰く、この世界は今からおよそ十年前に滅亡を開始したという。
少しずつ、世界中の人たちが奇妙な病気に侵されていった。それは、どのような方法をもってしても防ぐことは出来ず、どのような薬をもってしても治癒することはなかった。
「目や鼻や口から黒い血を吐いて、苦しみ喘いで息絶える。世界中、そんな人ばっかりだったんすよ。さっきまで仲良く話してた友達が、少し目を離した間に死んでたなんてこともあったっすね」
「……もしかして、廃墟になってるのって、この街だけじゃないの?」
「まぁ、世界中どこもこんな有様っす。アタシみたいに生き残ってる人もいるっすけどね」
曰く、生き残っている僅かな人類は、病気に適応した者らしい。
周りの人が次々に死んでいく中、病気に適応した少数の人類だけは死ななかった。死ななかった代わりに、身体の機能がどこかおかしくなったらしいが……。
「身体が造り替わったんだって聞いたけど、詳しい話はアタシにも分かんないっすね。そういうのがニュースになる前に、世界中がこんな風になっちゃったんで」
ただ一つだけ、と。
そう言って赤猫は、自分の喉を指先で叩いて見せる。
生き延びる代償として、彼女は喉を痛めたようだ。そのせいで彼女の声は、錆び付いた金属のようになってしまったらしい。
「それが今から五年ぐらい前の話しっす」
「それからずっと一人きりで?」
「まぁ、どうにか。サバイバルにも慣れたもんっすよ。命を拾って、喉を痛めて、代わりに少しだけ得たものもあるんで」
「得たもの?」
「……ドロシーも、生き延びてる以上、それを持ってると思うんっすけどね」
と、そこまで話して赤猫はそれっきり黙り込んだ。
否、口はパクパクと動いているので、本人は言葉を発しようとしているのかもしれない。
「…………」
忌々し気に眉をしかめて、赤猫は口を噤む。
たぶん、だけど。
彼女が連続して喋れる時間には限りがあるのだろう。
「……ぇぉ」
小さく咳込んだ赤猫の口から何かが零れる。
それは血の混じった唾液のようだ。
「う……ぇ?」
赤猫の吐いた唾液を見落ろし、私は固まる。
唾液の中で蠢いているのは、体長二センチほどの小さな線虫。黒い体のそれが、悶えるようにぐねぐねと身をよじらせている。
さきほど食べたアブラ蟲ともまた違う、奇妙な蟲だ。
「あ、いや……アレ」
しばらくの間、悶えていた線蟲はやがて力を失ったように丸まったまま動かなくなった。
おそらく、死んだのだろう。
私の見ている目の前で、線蟲は灰のように崩れ落ちる。
「……ぁ、ぁぁ。っと、もど、った」
「あ、声」
「あー……まぁ、これが、代償っす。それで、さっき吐いた蟲が、アタシたちの生きている理由で、アタシたち以外の人が死んだ原因っす」
蟲。
さきほど、灰のように崩れて死んだ線蟲が、人類を滅亡させた元凶。
そして、赤猫や私の体内に巣食い、生き延びるよう造り変えた存在。
線蟲のせいで人類は滅んで、線蟲のおかげで人類は僅かに生き延びた。
けれど、それより……。
私はこの蟲を知っている。
たぶん、だけど。
トトの傷を塞いだのは、この線蟲だ。
「? 顔色が悪いっすけど、どうしたんです?」
喉をさすりながら、赤猫は問う。
まだ調子が悪いのか、声のざらつきが先ほどまでより増していた。
私は、しばし逡巡した後、赤猫に告げる。
「その蟲に、傷を治すような機能って、備わってたりする?」
もしも、トトに巣食う蟲の“能力”がそれだったとしたら。
身体に負った傷を、即座に治癒させるというものだったとしたら。
トトが死体ではなく、しっかりとした生きた人間だったとしたら。
「アタシの知ってる人に、そんな力はなかったっすけど」
少しの間だけ考えて、赤猫はそんな答えを返した。
「もしかしたら、そんな能力を備えている人がいても不思議じゃないっすよ」
何でもありっすからね、と。
線虫の残骸を踏みつけながら、赤猫はそう呟いた。