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妖しの現場に猫がいる。  作者: 甲陽晟
第壱話 鬼を賈る者
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6 真琴 盗み聞きをする

 私はその足で、己牟子(きむじ)法律事務所に向かった。


 事務所は郊外にできた真新しいビルのなかにあった。全面ガラス張りの十二階建ての近代的なビルの入り口に立つと、少し心臓が高鳴った。

 掲示板で事務所の階を見て、エレベーターに乗り込む。

 事務所は六階にあった。


 エレベーターを降りると、温かみのない照明に照らされた無機質な廊下が伸びていた。その片側にドアが並ぶ。このフロアには件の事務所以外は入っていないようだ。

 私は己牟子(きむじ)法律事務所と書いたプレートが張ってあるドアの前に立つと、傍らのインターフォンを鳴らした。

 すぐに女の声で返事が返ってきた。


 「どちら様でしょう。」

 「神成(かんなり)署の袋寺と申します。面会の約束をしていたのですが。」

 「少々お待ちください。」


 そう返答のあった後、間を置かずドアが開いた。目の前にいたのは神経質そうな目つきを眼鏡で覆った女性であった。

 「袋寺さまですね。先生はただいま来客中ですので、こちらでお待ちください。」

 そう言って、女性は私を中に入れてくれた。


 通されたのは、パーテーションに仕切られた応接室であった。いかにも高そうなソファに座った私を置いて、女性は応接室から出ていくと、3分ほどして女性がコーヒーを盆に乗せて、帰ってきた。

 「どうぞ。」

 テーブルにコーヒーカップを置くと、再び女性は出ていった。


 静かなオフィスだと思いながらコーヒーを口に運ぶ。

(うまい。田中の店よりうまいんじゃあないか?)

などと思っていたら、再び女性が入ってきた。


 「お待たせしました。所長がお会いするそうです。どうぞ、こちらに。」

 そう言って応接室の外へ私を促した。あわてて私は立ち上がり、女性の後に続いて応接室を出た。

 パーテーションに区切られたオフィス内を進むと、オフィスから出ていく別の女性の姿が目についた。


(あれがお客か?)


 そう思っていると、前を行く女性が立ち止まった。目の前には木製のドアがある。それを女性が軽くノックする。

 すぐに中から返答が返ってきた。

 無言のまま、女性がドアを開けた。

 促されるまま恐縮そうに中に入ると、目の前に男が一人、机の前に立っていた。手には何かの書類を持っている。

 「さあ、どうぞ。お座りください。」

 男 己牟子は私に傍らのソファに座るように促した。


 柔和な顔つきに細長い目が印象的な紳士風の男であった。白髪が目立つが老人には見えない。体つきも若々しさを見せていた。

 「時間を取っていただき恐縮です。」

 私はバックから警察手帳を取り出し、相手に見せた。

 「刑事さんがなんの御用でしょうか?」

 己牟子は笑顔を見せながら私の対面に座ると、私もそれに釣られるようにソファに座った。


 「実はいま捜査中の事件の被害者が、この事務所の顧客だったようで、それでお話をお伺いに来ました。」

 「ほう、うちの顧客?」

 「安城仁朗(あんじょうきみあき)という人物をご存じですか?」

 「安城仁朗?聞いたことがありますな。」


 そう言うと己牟子は立ち上がり、机の上の電話を取った。

 「ああ、壱羽(いちば)さん、ちょっと顧客リストを持ってきて。」

 そう言うとまた、私の前に座り直した。ほどなく、さきほどの女性がファイルを持って部屋に入ってきた。

 ファイルを己牟子に渡すと、さっさと部屋を出ていった。


 己牟子はファイルをめくっていると、目当てのページを見つけたらしく私の方に目を向けた。

 「確かにうちの顧客ですね。先月初めに相談に参られました。」

 「なにを相談にしに来たのですか?」

 「それは答えられません。守秘義務がありますから。」

 己牟子は真剣な顔つきで答えた。

 「これは殺人事件の捜査なんです。ご協力願いませんか?」

 私はなんとか食い下がろうとした。

 「いくら刑事さんの頼みでもこればかりは聞けません。私どもの信用にかかわりますので。」

 己牟子はガンとして教えようとはしなかった。


 私は他の被害者の名前を聞いたが、相談に来たかもしれないとあいまいに答えるだけだった。

 これ以上、無駄と判断した私は、オフィスを辞することにした。


 「ご迷惑をおかけしてすみません。」

 そう言って立ち上がると、己牟子も立ち上がり、右手を差し出した。

 「お役に立てず、すみません。」

 「いえ、また何かありましたらお伺いしてもよろしいですか?」

 「ええ、いつでもどうぞ。」

 「ありがとうございます。」

 社交辞令と思いながら、私は己牟子と握手をして部屋を出た。


 オフィスを後にした私は、これからのことを思案しながら、エレベーターで1階に降りた。1階に着き、次の訪問先を確認するために、バックから手帳を取り出そうとしたが、手帳がない。

 バックの中やポケットをあちこち探しながら、自分の今日の行動を思い返し、手帳を出した場面の記憶をたどった。すると、己牟子の事務所で一度、手帳を出したことを思い出した。

 「そうだ。あそこに忘れたんだ。」

 得心した私は、再度、エレベーターに乗り込んだ。


 己牟子のオフィスのある階に降りると、私はまっすぐオフィスのドアの前に立ち、傍らにあるインターフォンを再度鳴らした。

 例の女性がドアを開けるのを想像しながら待っていたが、一向にドアが開く気配がない。

 「出かけたのかしら。」

 留守番くらい置くはずなのに、と思いながら私はドアノブに手を掛けた。


 ドアが開く。

 ドアを小さく開けて、中を覗き込みながら声をかけた。

 「ごめんください。」


 返事はない。


 「ごめんください。」

 少し大きめに声をかけたが、それでも返事がない。


 私は、ゆっくりとドアを開け、中へと入っていった。

 オフィスの中をぐるりと見渡しながら、もう一度、声をかけた。

 「ごめんください。」

 前よりもよほど大声だ。それでも返事がない。


 どこへ出かけたのかと、訝し気ながら私は、先ほど会った所長室に向かった。

 所長室の木製ドアの前に立ち、ノックしようとしたとき、中から話し声が聞こえてきた。


 「突然の訪問は迷惑ですな。」

 「無礼は承知の上です。あなたに聞きたいことがあってここに来ました。」

 「猫連れでですか?」

 (猫連れ…?)


 私の脳裏に田中とクロの映像が浮かんだ。


 「猫はお嫌いですか?」

 「嫌いという訳ではないですが…、しかし、よく壱羽君が通しましたね。」

 「あの女性には用を言いつけて、外出してもらいました。しばらく、帰ってきません。」

 「私に断りもなく?」

 「素直に言うことを聞いてくれましたよ。」


 (田中、なにをしたんだ?)

 私はドアにさらに耳をくっつけた。


 「ずいぶん、強引な方だ。」

 「ですから無礼は承知のうえと言ったでしょ。」


 田中の無表情な顔が思い浮かぶ。


 「で、何の御用ですか?」

 「このところの一連の殺人事件はあなたの仕業でしょう。」


 (おいおい、直球すぎるだろう。)

 私はハラハラしながら聞き耳を立てた。


 「一連の殺人事件?私の仕業?なんのことですか?」

 己牟子が鼻で笑っているのが目に浮かぶ。


 「ここ3か月の間に起きた殺人事件ですよ。獣にでも襲われたような悲惨な現場のすぐそばに、骨と皮だけになった変死体がある。実に不可思議な事件ですよ。」

 「それを私がやったと。ハハハ、冗談だとしてもたちが悪い。」


 (田中、証拠もないのにそんなことを言ったら笑われるのは当然だぞ。)


 「私は、冗談は言ってませんよ。あなたがこの事件の首謀者だ。」

 「証拠があるんですか?」


 (ほら、いわんこっちゃない。)

 私は田中を引っ張り出すためにドアノブに手を掛けた。そのとき、気になる言葉がドア向こうから聞こえてきた。


 「こんなものを見つけました。」

 「どうしてそれを…」

己牟子の口調にあきらかに動揺が見える。私は更に聞き耳をたてた。


 「さっき、あなたのオフィスから出てきた女性のお客からちょっと拝借しました。」

 「拝借?」


 (掏り取ったんだろう。)


 「あなた、()()()()()()()()。」


 (鬼…?)


 「なんのことだ。」

 「これは鬼力の呪符だ。これを使うと一時的に鬼の力を得られる。」

 「……」


 己牟子の返答がない。

 (なんの話をしているの?)

 私は田中の話を訳も分からず聞き入っていた。


 「鬼の力を得た人間は、無敵だ。銃だろうとナイフだろうと受け付けない。殺戮の本能のままその場にいた人間を虐殺する。」

 「……」

 「しかし、副作用も大きい。鬼の力を得た人間は、体内のすべてのエネルギーを吸い取られ、骨と皮だけになって息絶えてしまう。」


 (それじゃあ、あの変死体は…)

 私は田中の話を荒唐無稽と思いながら、完全に否定することができなかった。


 「……」

 「否定しないのですね。」

 「ふふふふ、ハハハハハ!」

 己牟子の狂気めいた高笑いがドアの向こうから響いてくる。


 「何者かしらんが、よくわかったな。」

 「認めるんですね。」

 「ああ、しかし、何が悪い。」


 (こいつ、認めた上に開き直ったな。)


 「悪いとは思ってないようですね。」

 「そうさ。彼らは被害者だ。騙されたり、恐喝されたりして苦渋を舐め、悩みぬいた挙句、私のところに来た。」

 「そうして、彼らの復讐心に付け込んで、鬼を売ったのですか?」

 「人助けだよ。この世界の法律というやつでは、彼らを救えない。だから力を売ってやった。自らの手で相手に復讐するために。」

 「その結果、どうなるとも教えないで、ですか?」

 「そんなことは知らない。彼らが望むことをしてやっただけだ。」

 また、ドアの向こうから嘲笑が漏れてきた。


 私の中で怒りが爆発した。

 次の瞬間にはドアを開けていた。



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