5 真琴 クロのそばで事件を考える
署に戻った私を出迎えた主任は、興奮した様子で口を開いた。
「ふくろ、変死体があったぞ。」
とうとう[ふくろ]になってしまった。心の中でため息をつきながら私は、主任の話の続きを待った。
「他の管内の異常殺人の近くで、例の変死体がないか調べてみたら出てきた、出てきた。離れた場所ではあったが、同じ町内だ。しかも、遺体状況が今回と酷似している。」
自分が気が付いたと言わんばかりの興奮に、呆れかえりながら私の脳裏には田中の言葉が蘇った。
「それで、その遺体の共通点とかなかったですか?」
「言っただろ。遺体状況が…」
「そうじゃなくて、その遺体の身元からの共通点です。」
私の問いに主任は戸惑い顔を見せた。変死体発見に興奮して、その身元まで調べてないらしい。
「身元がわかりました。」
息を切らして入ってきた小谷野に私をはじめ、部屋にいた全員の目が向いた。
「わかったのか?」
課長も少し興奮している。
「はい、歯の治療痕からわかりました。変死体の身元は安城仁朗。六十三歳。部品会社の社長です。」
「社長?」
「はい。大手の下請けを主にやっている零細企業の経営者です。」
意外な身元に皆が顔を見合わせた。
「桜花会との関係は?」
「直接的な繋がりはありません。ただ、最近、詐欺にあったようです。」
「詐欺?」
課長が思わず聞き返した。私もがぜん興味を抱いた。
「ええ、融資詐欺のようで。自宅や工場の土地建物、すべて騙し取られたようです。」
「詐欺か…」
課長と主任が考え込むような仕草をした。
「他の変死体の身元もわかったの?」
私は小谷野に尋ねた。
「運よくもう一人、身元が分かったんだ。偶然、同じ歯医者に通っていてね。」
「そんなことはどうでもいいから早く話して。」
私がつかみかからんばかりに迫ると、小谷野は慌てたように手帳を取り出した。
「もう一人の身元は…、名前は榎多会真治。四十歳。大手メーカーの営業係長だ。」
「サラリーマンか…」
二人の共通点が見えない。私の身体の中で落胆の色が広がった。
「こいつはスナックの事件現場から数百メートル離れた公園で見つかった。」
「スナックのチンピラとの関係は?」
「さてね。ただ、会社の同僚の話だと、どうやら脅迫されていたらしい。」
「脅迫?」
これがどうつながるのか、私には全然わからなかった。
「そのスナックにいたチンピラと桜花会の繋がりは?」
今度は課長が尋ねた。
「そこはちょっとわかりませんね。あの辺では有名なチンピラグループですが。」
「最近はやくざとの繋がりなく、独自に動いている連中が多いですからね。」
丸目が課長に説明したあと、なにやら小声で話し合いを始めた。
私は小谷野のところに歩み寄り、その手帳を見せてもらった。そこに、調べたことが汚い字で書いてあり、その最後の方にどこかの事務所の名前が書いてあった。
「これ、なんて読むの?」
悪筆でよく読み取れない。
私の問いに小谷野が手帳を受け取り、その部分を読もうとした。しかし、自分で書いておいて、なんて読むかわらないようだ。
私は呆れたように息を吐いた。
「そうそう、これは弁護士事務所だよ。」
「弁護士事務所?」
「ああ、安城が詐欺のことで相談していた弁護士さ。」
「それで何て言う事務所?」
「己牟子法律事務所。」
「きむじ?」
私の中でなにかが引っ掛かった。
次の日、私は約束通り田中の店に行った。
あいかわらず、客はいない。これで経営が成り立っているのだろうか。そんな心配を他所に田中は私の前にコーヒーを出してくれた。
クロもカウンターのうえでこちらを見ている。どうやらそこがお気に入りの場所のようだ。
私がクロに笑顔を送っている間に、田中は私の真向かいに座った。
「なにかわかりましたか?」
「それよりあなたはなぜ、この事件に首を突っ込むの?」
「興味がありますから。」
あっけらかんとした答えに、私は呆れて頭を振った。
「それだけ?」
私が疑いの目を向けたが、田中はそれに反応を見せず、あいかわらずの無表情であった。
「ところで、共通点は見つかりましたか?」
私の疑いなどそっちのけで、自分の関心のある話題に話を持っていく。自己中もいいところだ。
「まだ、わからないわよ。身元が判明したのは二人だけで、他の遺体の身元はいま調査中よ。」
「その二人に共通点は?」
田中の質問に私は仕方なしに、手帳を取り出し、メモを読み上げた。
「一人は零細企業の社長。どうやら詐欺にあっていて、それが桜花会の仕業のようだった。もう一人は大手メーカーの係長。何かの弱みを握られてチンピラグループに脅されていたようよ。」
「それだけですか?」
「ここまでしかわからないわ。」
私の返答に、田中はしばらく考え込み、やがて、ポツンと言葉を発した。
「一人は詐欺にあい、一人は脅迫されていた。どこかに相談してなかったですか?」
「相談?」
「ええ、事の解決のために相談するところとかあるんじゃあないんですか?」
田中の言葉に、私はあることを思い出した。
「法律事務所。」
私は手帳を再度、見直した。
小谷野から聞いた弁護士事務所。
「たしか己牟子法律事務所。」
「己牟子法律事務所?」
「詐欺にあった社長が相談した先。」
私はびっくりするくらい素直に田中に答えた。田中は相変わらずの無表情だが、私の返答を記憶するように、何度か口の中で呟いた。
「そこに当たって見ましたか?」
「これからよ。」
命令調の田中に、多分にムカつきながら私は手帳をしまった。
「私も連れて行ってくれませんか?」
「だめよ。民間人を捜査に連れていけるわけないでしょ。」
私は頭から否定して店を出ようとした。
「くれぐれも気を付けて。」
田中のその言葉に多少驚きながら、私は店を出ていった。
クロがその後をつけてくる。