1 真琴 事件現場にいく
その日はひさしぶりの晴れの日であった。
雨か曇りの日が続き、身も心もカビが生えそうな毎日に、いい加減、嫌気がさしていたところだ。
そんな気持ちを一瞬で吹き飛ばしてくれる朝の晴れ間に、私は単純と思いながら窓からのぞく真っ青な空に目を細めた。
そんなとき、スマホが鳴った。
嫌な予感を抱えながらスマホを取ると、案の定、電話口から聞き覚えのあるだみ声が響いてきた。
「ふくろこうじか?」
「主任、私の名前はふくろじです。何度言ったらわかるんですか?」
「そんなことは、どうでもいい。殺しだ。すぐに来い。」
そう言って、主任は現場の住所を言うと、電話を切った。
主任の角張った顔を思い浮かべながら、私は一つため息をついた。
洗面所で顔を洗い、鏡の中の自分を見つめて、いつになったら袋寺真琴という私の名前をちゃんと呼んでくれるんだと愚痴りながら、私は洗面所を出、クローゼットから黒のビジネススーツを取り出し、それに着替えた。
化粧もそこそこに自分の部屋から出ると、強い日差しが嫌な気分を一新させた。
これから事件現場に向かうのだ。
警察官としての正義感が高揚となって胸を膨らませた。
タクシーで駆けつけた現場は、繁華街の端に位置する雑居ビルだ。入り口には規制線が張られ、警官が野次馬を押さえている。
軽く敬礼をすると、警官が規制線のテープを上げてくれた。感謝の笑顔を送りながらそれを潜り抜けると、雑居ビルの狭い階段を上がっていった。
現場は3階のはずだ。
3階についてみると、すでに鑑識の人間がある部屋を出入りしていた。
「袋寺さん、これを。」
傍らにいた若い(といっても自分と同じくらいだが)が足カバーを差し出した。それを受け取り、パンプスの上からそれをつけると、ポケットから白い手袋を取り出した。
繁華街の雑居ビル特有の狭く、薄暗い廊下を問題の部屋に歩み寄った。
入り口の前には、角張った顔の男と細長い顔の男が何かを話していた。
「来たか。ふくろこうじ。」
またかと思いながら、男の前で軽く挨拶をした。
「主任、現場はこの中ですか?」
「ああ、中に入って見るといい。」
主任の口元に意地悪い笑みが浮かんだ。
なにかある。
いやな予感を胸に、私は部屋の中に入った。事務所として使っているのか、中はまあまあ広い。
予感はすぐに的中した。
その壁と言わず、天井、床、いたる所に血痕や肉片が飛び散っている。それと同じくらいに銃痕があちこちについていた。
床には遺体が転がっている。しかも複数だ。
私はしばし、あっけにとられた。
少なくとも、私の経験では見たこともない悲惨な現場だった。
よく見ると、どの遺体も損傷が尋常ではない。
「どうすれば、こんなことに…?」
「なるのかといいたいか?」
いつの間にか主任の丸目が後ろに立っていた。
「一体、なにがあったんですか?」
「殺人事件さ。ちょっと異常な、な。」
「殺人事件?被害者は?」
私は喰ってかかるように主任に尋ねた。
「この事務所にいた全員だ。総勢で5人。」
「5人。一度にですか?」
「現場の状況からそうなるな。」
主任は、なんの感情も見せず説明した。しかし、私には納得できないことがあった。
「あの銃痕はなんですか?」
「被害者が撃ったもののようだ。」
「被害者?」
「言ってなかったが、ここは桜花会の事務所のひとつだ。」
「桜花会…」
言わずと知れた暴力団だ。最近は特殊詐欺の元締めと目されている。
「すると被害者というのは、その構成員ですか?」
「そう言うことだ。」
主任は冷めた目で周りを見ながら散らばっているノートを拾い上げた。私は再度、周りを見回し た。血の匂いで目眩がする。
「遺体は大学に回されて、今日中には司法解剖されるだろう。」
淡々と話す主任の元に別の刑事が駆け寄ってきた。
「主任、もう一体、変死体が見つかりました。」
「なに⁉」
主任の目が大きく見開かれ、急いで部屋から出ていった。当然、私も後に続く。
現場は雑居ビルから500メートルほど離れた裏路地であった。主任の後についていった私は、狭い路上の真ん中に横たわる異様な遺体に目を見張った。
周りにはすでに鑑識官員がさかんに遺体を調べていた。
主任がその遺体に近寄ると、思わず大きくうなった。私もその後ろから覗き込むと、更に遺体の異様さが目に付く。
その遺体は、身体の養分を吸い取られたようにやせ細っていた。まさしく骨と皮だけと言ってよかった。
顔は苦悶に大きく歪み、アスファルトの地面を掻きむしったのか、爪がすべて剥がれていた。
「死因はなんだ?」
主任が傍らにいた鑑識官員に尋ねた。
「たぶん、銃創によるショック死でしょうね。全身に8発ほど撃ち込まれています。」
鑑識官員の言葉に、遺体のあちこちに銃痕が見て取れた。一発は顔の真ん中に撃ち込まれている。 しかし、思ったほど出血がない。
私は不思議に思った。
「出血があまりないですね。」
私の言葉に、鑑識官員も同調の表情を見せた。
「そうなんだ。これだけの傷ならもっと出血があっていいものだ。」
「別なところで殺されて、ここまで運んだということは?」
主任の疑問に係官は首を横に振った。
「途中にガイシャのものと思われる足跡がありました。自分で歩いてきたようです。」
「歩いてきたなら血痕があってもいいものだが…」
主任はガイシャの足跡を確認するように、後ろを振り返った。私もおなじように振り返った時、道路の向こうに立っている青年に目が留まった。
青白い顔に無表情の目を持つ、世間的にはイケメンと言われるような青年は、黙ってこちらを見つめていた。その腕には黒猫が抱えられている。
私は、青年よりその黒猫になぜか惹かれた。
「どうした?ふくろこうじ。」
主任の声に私はハッとして、声の主の方に目を向けた。
「いえ、なんでもないです。」
取り繕ったように答えた私に、主任は特に不審な顔をするでもなく、遺体のそばにかがみこんだ。 私はもう一度、後ろを振り返ったが、例の青年も猫もいなくなっていた。
警察署にもどった私たちは、さっそく捜査会議をはじめた。
「被害者は桜花会の構成員5人、身元不明が1人の計6人です。5人は事務所に居た所をやられたようです。」
「死因は?」
会議室の上座に座る捜査課長が尋ねた。
それに細長い顔の男、丹路が答えた。
「死因は全員、外傷性ショックと大量出血です。なんせ腹や胸を引き裂かれていて、中には首の皮一枚残して、引きちぎられていた者もいます。ひどいものですよ。」
丹路は嫌なものを食べたような渋い顔をして報告した。
「大学の先生もまるで獣にやられたようだと言ってました。」
丹路の隣に座っていた男が付け加えた。
それを聞いて課長は口をへの字に結んだまま唸った。
「もう一人の男は?」
課長の問いに丹路はメモ帳をめくった。
「男に身元を証明するものは一切ありませんでした。年齢も二十代から五十代と幅が広く、外見から身元を割り出すのも難しそうです。」
「男はかなり痩せているそうだな。」
署長の問いに丹路は頭を掻いた。
「元々痩せていたわけではないようです。」
「というと?」
「体の体液が殆どなくなっていて、筋組織もかなりの量、失っていたようです。」
「出血が少ないのはそのせいか?」
丸目が丹路に問いかけた。
「そのようですね。大学の先生もなぜこうなったか、首をひねっていました。」
いままでの様子を聞いていて私は、なぜか人間の仕業ではないという笑われるような想像をした。
「目撃者の捜索、身元不明の遺体の照会、桜花会の構成員の人間関係、それを手分けして当たってくれ。」
捜査課長の言葉に全員が威勢よく返事をし、会議室を退出していった。私も同年代の小谷野といっしょに目撃者の捜索に当たった。