鬼 暴力団事務所を襲う
その夜も雨が降っていた。
朝から降り続く雨は、街のいたるところを濡らし、アスファルトのそこかしこに水たまりを作った。
繁華街とはいえ、夜も十二時を過ぎ、しかも雨のせいで人通りもまばらだ。
その雨の通りを傘もささずに歩く一人の男がいた。
ぼさぼさの髪と無精ひげを雨で濡らし、着ているヨレヨレのスーツもびしょ濡れだ。しかし、男はそんなこともお構いなく、ゆっくりと歩いていく。
その向かう先には古い雑居ビルがあった。
男は迷うことなく、そのビルに入り、入り口のすぐそばにある階段をゆっくりと登っていった。
深松は、黒光りする拳銃を磨きながら喜々とした表情をしていた。それをすぐ横に座る春山が気味悪そうに見ていた。
「おい、深松。そんなもの、さっさとしまえ。」
兄貴格の若生が低くドスの効いた声で注意した。
「わかってますよ。でも、やっと手に入れた拳銃なんだ。うれしくて、うれしくて。」
愛した女を愛でるように、深松は拳銃を磨き続けた。そんなとき、表のチャイムが鳴った。
「だれだ?こんな時間に。」
その場にいた全員が身構えた。
「へんなおっさんが玄関に立ってるぜ。」
監視カメラのモニターには、みそぼらしい格好をした男が一人立っているのが映っている。
「一人か?他にだれかいないか?」
若生の問いかけに、注意深くモニターを見ていた丸本は、目を離し、若生の方に身体を向けた。
「他には誰もいないようだ。おっさん、一人のようだぜ。」
「おい、深松。おまえ、出てみろ。」
若生の命令に、深松は面倒くさそうに立ち上がった。
腰に拳銃を差し込みながら玄関に向かうと、鍵を開け、ドアを少し開けた。隙間の向こう側に、ずぶ濡れの男が立っている。
「おい、何の用だ?」
「金を返してくれ。」
男がボソッと呟いた。
深松は、声の小ささによく聞き取れず、怪訝な顔をした。
「え?なんだ。」
「金を返してくれ。」
男は同じことを繰り返した。今度は深松にも聞こえた。
「金を返せ?寝ぼけたことを言ってんじゃあねえよ。帰んな。」
そう言ってドアを閉めようとしたとき、その隙間に手がかかった。深松はその手ごとドアを閉めようとしたが、ものすごい力で押さえつけられ、ドアは閉められなかった。
「金を返せ。」
ドアの隙間に男の顔が覗いた。
血走った目に、半開きの口。赤みを帯びた顔は尋常には見えなかった。
「手を離せってんだよ。」
無理やりドアを閉めようとしたが、男の力はますます強まり、深松の手のほうがドアから外れた。
男はその機にドアを開けようとした。しかし、チェーンが掛かっており、それ以上は開かなかった。
「どうした。深松?」
後ろから遠藤がやってきた。
「頭のおかしいのが来たようだ。」
深松と遠藤が話している後ろでは、男がドアを開けようと盛んに引っ張っていた。そのため、ドアチェーンがうるさく鳴っている。
「いい加減にしろ!おっさん!」
深松がドアに向かって叫んだ時、ドアチェーンが切れた。
チェーンの輪が飛ぶと同時に、ドアが目一杯、開かれた。
深松と遠藤の前に立っていたのは、先ほどまでのみそぼらしい男ではなかった。目が吊り上がり、口が耳まで避け、犬歯が長く伸びている。
更に額から角まで生えている。
まさしく鬼だ。
それを見た深松は、全身に恐怖が走り、思わず腰の拳銃を抜いた。
銃口が鬼と化した男に向けられたが、男は意に介せず、玄関に上がってくる。
「止まれ!拳銃が目に入らねえのか⁉」
深松の威嚇を無視して、男は深松に歩み寄ってきた。
「来るな!」
深松の拳銃が火を噴いた。
見事に胸の真ん中に命中した。
しかし、男は倒れることなく、なおも深松に近づいてくる。恐怖に駆られた深松が二発目を撃とうとした時、男が大きく口開け、いきなり深松の首筋に噛り付いた。
「ぎゃあぁぁ~‼」
絶叫が部屋に響き、鮮血が床や壁に飛び散った。
そばにいた遠藤は手近にあったゴルフバックからクラブを抜き、男めがけて殴りつけた。
鈍い衝撃とともにクラブが変な形に折れ曲がった。
「!」
男の目が遠藤を睨んだ。
恐怖が遠藤にも伝播し、やみくもにゴルフクラブを振り回し、男を殴りつけた。
その騒動に三人の男も奥から顔を出した。
そこで見たものは、首を食い破られて床に転がる深松の姿と、首を締め上げられて、今まさに絶命しようとしている遠藤の姿だった。
「ひぃぃぃ~‼」
丸本が変な声で悲鳴をあげた。
それに触発されるように若生が拳銃を取りだした。
それを見て男が三人に襲い掛かった。
その部屋から悲鳴と物の壊れる音、そして銃声がしばらくの間、鳴り響いていた。やがて、音が止むと、静寂が辺りを包み、やがて部屋から男が出てきた。
全身に返り血を浴び、手には肉片がこびりついていた。
男は階段を降り、ビルを出ると、来た道を戻り始めた。
すでに雨は止み、雲の切れ間から月が顔を覗かせている。
足を引きずるように歩いていた男が、突然、苦しみだした。
胸を掻きむしり、身を震わせ、擦れた声を絞り出しながら地面に倒れこんだ。地面に倒れてものたうち回り、思わずアスファルト路面に爪を立てて、苦しみ続けた。
やがて、男の身体から霧のようなものが噴き出し、それに伴い男の身体が徐々に萎んでいった。
最後に男の口から青白い炎の玉が滑り出ると、男は動かなくなった。
男から飛び出た青白い玉は、そのまま宙を漂い、やがて天へ上昇していった。その玉を上空で何者かの手が掴んだ。
その者は掴んだ玉を口に運び、飲み込んでしまった。
「うまい…」
一言呟くとその者はどこへともなく飛んでいった。