不幸な少女の幸福な物語
初投稿です。よろしくお願いします。
「何か申し開きはあるか、ユフィ」
エリック王太子殿下が私を見下ろしている。彼は私よりも背が頭1つ分高く、また少し高い台座の上にいるので、完全に見下ろされている状態である。普段の柔和な雰囲気は面影もなく、射抜かんばかりの眼差しで私を見つめていた。
「何も…何も、ございません…」
殿下の睨みに怯えながらやっとの思いで私は答えた。そもそもこの問答に意味などない。どのように質問をし、どのように答えるのかは、予め決まっているのだ。この場はあくまで私がどんな罪を犯したのか、ここにおわす国王陛下と宰相を初めとした重役達、そしてこの国の貴族の家長に白状する、形式だけのものなのである。
「では、ここに判決をを申し渡す。ユフィ・アザレア、そなたはリナ・アネモネ男爵令嬢を階段から突き落とし、殺害した。動機はエリック殿下から冷遇されたことによる嫉妬である。間違いないな?」
大審院長はとても苦い顔をしていた。無理もないだろう、つい先日まで最も模範的な淑女であると評価されていた私と、こうして罪人として相対するなんて思ってもみなかっただろうから。
エリック殿下は変わらず私を睨み続けている。少しでもおかしな返答をしようものならすぐに罪を重くするだろう。やはりこの場では大人しく従って、後でお父様に弁明するしかない。
「どうした、ユフィ・アザレア」
私が思案に溺れ答えずにいたところで、大審院長は催促をしてきた。返答するべく、口を開こうとしたが、
「何を黙っているんだ、ユフィ・アザレア!」
突然、遮るように怒号が飛んだ。
「貴様が…貴様がリナを殺したのだろう!今更何を黙ることがある!」
傍聴席にいた騎士団長の子息であるデック様が涙を流しながら私を糾弾する。
「落ち着きなさい、デック。判決の最中ですよ」
「どうしてお前はそんなに冷静でいられるんだ、ロキ!あいつがリナを殺したんだぞ!あいつが、階段からリナを突き落としたんだ!」
「そんなことはわかっていますよ。私たちはそれを直接目撃したのですから」
「ならどうしてだ!」
「…宰相たるもの、如何なる時も冷静であれ。父の教えです。いずれ宰相になる身の私が激高する訳には行かないでしょう」
「関係ねぇよそんなの!あいつを俺の剣で切り殺さねぇと気がすまねぇんだ!」
ロキ様が窘めようとしたが、デック様は今にも剣を抜き、切りかかろうと言った様相だ。だが、突如ロキ様はその美しい瞳を見開き、
「落ち着きなさいと言っているんだ!誰だって奴を殺したいのは同じだ!私だって…私だってあなたのように単純に怒ることが出来たらどんなに楽か…いいから黙って判決を待つんだ!」
私は突然の大声にすくみ上がってしまった。ロキ様のあのような姿は見たことがない。私はここを出た後に2人に殺されるのではないかと涙が溢れてきた。
「…申し訳ございません。どうぞ判決を続けてください」
「う、うむ。では、改めて、先程の容疑は間違いないか?ユフィ・アザレアよ」
「…間違い、あぁ…っ…」
私は先程の罵声で溢れてしまった涙が堪えられず、しっかり答えることが出来ない。
そして、今まで必死に抑えていたそれが堤防を破壊し一気に流れ出た。
「…あ、あぁ…嫌ですわ!私は死にたくない…死にたくないです!お父様!どこにいるのですか…助けてください!お父様ぁぁ…」
嫌だ。どうして私が死ななきゃならない。エリックにベタベタと甘える女を少し懲らしめてやろうとしただけではないか。どうしてそれだけで公爵令嬢たるこの私が殺されようとしているのだ。あの女もあの女だ。どうして少し小突いたくらいであんな大袈裟に転がり落ちることがあるのか。怖い。私は死ぬのだろうか。殺されるのか。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
涙でぐちゃぐちゃになりながら必死で思考するが思い浮かぶのは死への恐怖とエリックと憎き女への憎悪のみだ。
「近衛兵、彼女を押さえろ」
エリック殿下は一切感情のこもっていない声で命じた。そしてその声に従って鎧を纏った男たちが私に近づいてくる。必死に抵抗したが、すぐに錠をかけられ、身動きをとることも言葉を発することも出来なくなった。
「ユフィ、最後に教えてやろう。他の皆も心して聞け。またこのことは他言無用である。漏洩したものは国家反逆罪に処されると思え」
エリック殿下の声がする。目隠しによって何も見えないが、こちらに近づいてきているようだ。
「リナ・アネモネは…隣国の間者だ」
一瞬、異様なほど静まり返った。誰も身動きひとつ出来ないようだ。それは、見えていなくてもわかるほどであった。
「私は、敢えてリナ・アネモネを泳がせることで、色々と隣国の情報を集めていたのだ。どうやら近いうちに隣国は我々と戦争を始めるつもりらしい」
私は、息をすることが出来なくなった。
「そなたが、リナ・アネモネを殺さなければ、より有益な情報が手に入るはずであった。これにより戦争で我が国が被る被害は計り知れない」
我に返った貴族たちがざわめき始める。私はだんだん自分がしたことの重大さを理解し始め、手足が震えてきていた。
「よって、如何に相手が男爵令嬢であり、そなたが公爵令嬢で私の婚約者であっても、減刑することは不可能だ。…アザレア公爵よ」
「……は、はい!なんでございましょうか」
お父様の、声がした。お父様はすぐに返事をすることが出来なかったようで、不自然な間が空いていた。あまりに非現実的な出来事の連続で、どうやら感覚が麻痺してきているらしい。私は不謹慎にも笑いが込み上げてきた。
「何か私に言うことはあるか」
お父様の声に場違いな安心感を覚え、殿下の変わらず冷酷な声に再び恐怖し、私は完全におかしくなったらしい。轡をされているのも忘れて、声を上げて笑ってしまった。
「…何も。我が娘は今や我が国の敵でございます。どうぞ如何様にもお裁きください」
「…そうか、分かった。」
殿下は今までの声とは違うよく通る美しい声でこの場の全員に聞こえるように言った。
「皆の者、まずは混乱させてしまったことを詫びる。そしてこのようなくだらない茶番を繰り広げたことについても重ねて詫びよう。これにも理由があったのだ。デック・ディライト、ロキ・ブラックウェル両名は、この審議会の後、別室に来るように」
2人がどのような顔をしていたのか、私には分からなかったが、殿下の命に対して返事をしないという不敬を犯しているところからして、恐らく相当青ざめていることだろう。いい気味である。私は、更に笑いの素を貰ったことでより一層声をあげて笑っていた。
「そして、刑法に則り、国家反逆罪の判決は大審院長にかわり、国王陛下より直接申し渡される。ユフィ・アザレア、心して聞け」
そうは言われても、こんなに面白いことがあるのにどうして黙って聞いていることなどできようか。ああ、エリック殿下が私に何か言っていたかもしれない。誰かが椅子から立ち上がったようだ。お父様はどこに行ったのだろう。早く罪をもみ消してもらわないと。あの女に次はどんな嫌がらせをするか、メイドたちに相談するのだ。お母様、今日、とてもおもしろいことがあったんですのよ。
「…国王陛下、よろしくお願致します」
いつもエリックにちょっかいを出していたあの女を階段から突き落としてやったんですの。そうしたら、階段の下に転がって行ったのよ。まるで坂道をくだる馬車のようだったわ。そう、とても面白かったのよ。
「…うむ、手短に終わらそう」
おちていったおんながね、なまえはなんていったかしら。…そう、りなよ、りながいちばんしたまでおちたあと、わたしのほうをむいてね、にこってわらったのよ。おかしいでしょ、とってもいたいのににこにこしてるのよきれいなあかいどれすをきててねあかいおけしょうしてるの
「ユフィ・アザレアよ、そなたを殺人罪、及び国家反逆罪において死罪に処す。執行日等の詳細は追って伝える。…もうよい、早う連れてゆけ」
あかいわとてもあかいわ、あかっていいわよねきれいでいいにおい。みんなあかければいいのにねおかあさまもそうでしょ。おとうさまあれ?いたいわちくちくしたわよなにかしらね。ねむくなってきたわ、もうよるもおそいものね。よいこははやくねなくちゃね。おとうさま、おかあさま、おやすみなさ…
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あまりに風が冷たいので、目が覚めてしまった。窓を閉めなくては。私は起き上がろうとして、その瞬間、あまりの頭痛に起き上がることが出来なかった。痛む頭を押さえながら何とか起き上がると、灰色の無骨な壁、そして縦に規則的に並んだ格子が視界に入った。
「えっと…私は、確か裁判を受けていて…」
頭が痛くてよく思い出せない。大審院長から判決が申し渡される所までは何とか思い出したが、その先が靄がかかっているかのように不鮮明である。
「目を覚ましたか、ユフィ」
「…お、お父様?」
思い出そうと必死になっていて、格子の向こうにお父様が立っていたことに気づかなかった。
「ユフィ、その、大丈夫か?」
「ええ、まだ頭が痛みますけれど…それより、判決はどうなったのですか?私、どうにも思い出せなくて…」
「…そうか、覚えていないのか。あー、その、だな…お前は、死罪…になった」
「え?」
お父様が何を言ったのか理解できない。確かに私は故意ではないとはいえ、人を殺した。それは事実だ。だが身分差の大きなこの国では死罪までにはならないだろうし、なったとしてもお父様が裏で手を回してくれるものと思っていた。
「どうして、ですか…?」
「それは…知らないなら、知らない方が幸せだろう」
お父様は目を逸らして言葉を濁した。お父様ですらどうしようもないだなんて、余程の事情があるに違いない。
「なぜ、なぜですか?お父様、私を助けてください、お父様!」
「…すまない」
背を向けて去って行くお父様。もうどうしようもないということを悟った私は、お父様に縋り着くことも出来ず、自失してしまった。
―――――――――――――――
「私は、今日死ぬのだわ」
あれから数日経ってついに処刑の当日がやってきた。特にすることも無く、時間が有り余っていたので、私は色々なことを考えていた。お父様ですら覆しようのない判決が出たということは、恐らくリナ・アネモネ男爵令嬢は、実は王族のどなたかの落胤だったのだろう、だとか、死んでしまったら私はどうなってしまうのだろう。牧師様が言っていたように、善なるものは天の国へ、悪なるものは地の底へいくのだろうか。私は間違いなく地の底へ行くことになるだろう、だとか、益体のないことばかりを只管に想像していた。そうでもしないと気が変になりそうだったからだ。薄暗く湿った牢屋、確実に貴族用のものでは無いだろう。私は孤独だった。結局孤独のまま死んでいくのだ。そう思うと急に恐ろしくなった。
「ユフィ・アザレア、時間だ、出ろ」
いつの間にか普段私を見張っている看守は居なくなり、代わりに鎧を来た騎士が私を呼んだ。声の高さからして女性のようだ。だが、いくら女性だからといって無力な令嬢が適う相手ではない。大人しく従うしかない。
「早く出ろ」
騎士は私を急かしてくる。彼女が私の命を奪うことに加担する人物だと思うと、怖くて顔を見ることが出来なかった。
私が牢から出てきたところで、騎士は急に近づいてきた。私は思わず固まったが、騎士は構わずに私の耳元に来て、
「お久しぶりでございます。ユフィ様」
と、呼びかけてきた。驚いて横を見ると、
「…シーア?」
「そうです、シーアでございます。お嬢様」
「どうして…?」
「お嬢様をお助けに参りました。白馬の王子様でなくて、申し訳ございません」
そうだ、この真顔で冗談を言うのは、間違いなくシーアだ。ならば、私は夢を見ているのだろうか。どうして私付きのメイドが鎧を纏って私の目の前に現れるのだ。いささか都合が良すぎないか。
「さあ、お嬢様。逃げましょう。見張りは既に始末しております」
「私、生きていられるの…?」
「…えぇ。外に出られれば、自由ですよ」
「…夢じゃないのよね?」
「はい、私はここにおりますよ、お嬢様」
私は涙が堪えきれなかった。本当に嬉しかった。お父様にも見捨てられて死ぬはずだったのに、こうしてまた生きることが出来る。私を見てくれる人がいる。
「はいはい、泣くのは後になさってください。まずは遠くまで逃げますわよ」
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それからは驚くほど簡単だった。事前に手配されていた馬車の荷台に乗って3日ほど揺られていたら、湖畔の町に到着した。
「さぁ、着きましたよ、お嬢様。ここなら邪魔は入りません」
「そう、私はやっと生きられるのね」
全く馴染みのない平和な街並みが見えたことで、私はやっと逃げ切ったという実感が湧いてきた。この経験で死生観が大きく変わった気がする。いくら身分差があり、殿下に色目を使っていた女であっても階段から突き落とすというのはやりすぎたかもしれない。命を奪われそうになって、初めて奪われる側の苦痛を体験した。もう二度とこんな経験はご免である。
「私は、絶対に死にたくないし、誰にも死んで欲しくない」
シーアに聞こえないように小さく呟き、そう決意した。
「お嬢様、湖の方へ行ってみませんか?この時間ならきっと夕陽が綺麗ですよ」
シーアにそう言われ、2人で湖畔へ向かった。
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「綺麗ですね」
「そうね」
夕陽は非常に美しかった。それこそ生きててよかったという実感を改めてできるほどに。
「…お嬢様」
「なにかしら?」
「お嬢様は私と一緒に逃げたことを後悔しておりませんか?」
「後悔?する訳ないですわ。あなたは私の命の恩人ですもの」
「…私のことが好きですか?」
「…?どうしてそんなことを聞くのか分からないけれど、私はあなたのことが好きですわよ。もうこの世界で私のことを見てくれるのはあなただけなのだから」
「…そうですか」
まるで恋人のような甘い会話を交わしながらお互いに見つめあっていた。本当にシーアとならそういう関係になってもいいかも知れないと思うほどには、私は彼女を信頼していた。
そう、信頼していたのだ。
「お嬢様」
「なにかしら?」
先程と同じような呼び方をされたが、どうもなにかが違う。シーアの目に光がないのだ。これは嫌な予感がする。本能的にそう感じてしまったが、シーアがなにかしてくるわけもないだろうし気のせいだろうとタカをくくっていた。
「正直に申し上げます」
「ええ」
「実は、追っ手はもうそこまで迫っております」
「…え?」
何を言っているのだろう。これからは2人でのんびり過ごして行くのではなかったのだろうか。またすぐに移動することになるのか。などと考えていると、シーアは、
「ですので…ここで私と共に死んで頂けませんか?」
と、耳を疑うようなことを言ってきた。
「何を…言っているの…?」
「ですから、どうせ私達は捕まって死ぬのですから、ここで仲良く湖に沈もうと申しているのです」
「…理解できないわ…」
「お嬢様は私を好いているのでしょう。でしたら私達は好きあっていることになります。正直に申しますと、御屋敷でお世話をしていた時から私はユフィ様をお慕い申し上げておりました。共に死ねるのなら本望でございます。ユフィ様もそうでしょう?」
言葉が出なかった。初めからシーアは、私と死ぬためだけにここまで大胆な事をしたのだろうか。せっかく生き延びたと思ったのに、結局死ぬだなんて冗談じゃない。
「私は…嫌よ」
「なぜですか?ここは国境沿いなのでもうこれ以上は逃げられません。あぁ、もしかして溺死は嫌でございましたか?湖はロマンチックだと思ったのですが…でしたら向いの森の奥に立派な枝のある木がございます。そちらで首を吊るのはいかがでしょう?他にも数カ所確保してございますよ。お嬢様の仰せの通りに致します」
捲し立てるシーアの目には全く光がなかった。完全に正気の者の目ではない。
「私は、死にたくないわ!」
そう言い捨てて駆け出した。目的地は分からない。とにかくシーアから、そして、追っ手達のいるであろう王都の方角から離れなくてはならない。
ちょうど、湖に沿った向こう側に船が見えた。屈強そうな男たちが大きな鉄の箱を運んでいるようだ。彼らに匿って貰おうと、私は決めた。シーアは追ってきているだろうか。声や足音はしないが、確認のため振り向く余裕すらない。
しばらく走ると、船着場に着いた。
「すみません!助けていただけませんか?」
「おお?なんだどうしたんだい?嬢ちゃん」
「追われていますの。どうか私を匿って欲しいのです。」
「なぁるほどなぁ…」
「おう、なんだどうした?」
もう1人少し高級な服を来た男が現れた。
「あぁ、船長。実はこの娘、追われてるらしくて、匿って欲しいと」
「そぉかそぉか。しかし嬢ちゃん、なかなかべっぴんじゃねぇか。」
「え?」
急に船長の視線が下卑たものへと変貌した。
「気に入った!乗せてやるよ。ただし、そっちの檻に入んな!」
「そうだな、それがいい!なんせ檻だから追っ手も捕まえられねぇぜぇ!あ、もう捕まってんのか!ヒヒヒヒ!」
「違ぇねぇや!がはははは!」
直感だが、船長ともう1人の男は明らかに私を良くない方向に導こうとしている。だが、生き残るためにはここにしか道はないのだ。あれ以来私は死の気配に敏感になった。その感が告げている。この先は安全だと。ならもう突き進むしかないのだ。
「さぁ、嬢ちゃん、乗りな。あんま乗り心地良くねぇかもしれねぇがな!ヒヒ…」
「あ、ありがとうございます…」
檻に入ってみると、そこには私ど同年代の少女たちがいた。服装は様々で中には貴族らしき娘もいる。私が違和感を感じた時には既に、ガチャンと音を立てておりが閉まってしまった。
「がははは!安心しな、嬢ちゃん、ちゃんと隣国に送り届けてやるよ!まぁ、奴隷としてだけどな!」
その言葉で、私はやっと気づいた。この船は普通の交易船ではなかった。奴隷を密輸出する違法な船である。
「しかし、運が良かったですね、船長。あんな上玉が自分から檻に飛び込んでくるなんて」
「まぁな。世間知らずのお嬢サマにはこの船が外の世界に繋ってると思ったんだろうよ」
「しっかし、追っ手に追われてるってのはどういうことっすかね」
「大方、家出とかだろう。退屈な日常から抜け出したかったとか」
「なるほどぉ」
「まぁ、そんなのは俺らにとっちゃどうでもいい事だ。大事なのは結果だけだからな。」
「正しく、その通りっす!」
「さあ、無駄話は終わりだ。持ち場に戻れ!」
「了解です!」
2人の男達はそのような話をしながら去っていった。
やはり、私は奴隷船に乗ってしまったようだ。しかし驚くほどに私は冷静であった。今まで何度も感じた死の恐怖に比べたら奴隷とはいえ生きていることが出来るのだ。そう思ったらこの先の未来に不安を感じることは無くなった。むしろ希望すら見えてきた気がする。そう、私は生き残ることが出来た。神は私はにチャンスを下さったんだ。精一杯生きよう。死んだ者のために生き足掻くのだ。
しばらくして、船は出港し、私は隣国へ行くことになった。
―――――――――――――――
死にたい。そう思うようになってから、いったいどれほど経っただろう。ここには自由なんてなかった。
私は奴隷として、娼館のオーナーに買われた。両親から恵まれた容姿を受け継いだおかげて、無事に働く先を得られた。私は2人に感謝した。こうして、私の新しい人生が始まる。
そのはず、だった。
元々、家庭教師から奴隷という概念については学んでいたが、直接的な実態は避けて説明されていた。無理もない、こうして実際に体験してみると、とても10代のうら若き淑女が聞けるような話ではない。客をとり、客をとり、客をとる。不潔な環境に、明らかに足りない食事。賃金なんて出るわけないし、解放されることなんてまず有り得ない、逃げ道のない世界。
初めは良かった。客の相手をするのは生を実感出来て嬉しかった。だがそれも、客の数が三桁を超えたあたりから感じなくなっていった。だんだん自分が生きているのか死んでいるのか、それすら分からなくなっていった。代わり映えしない毎日。あれだけ死ぬことを怖がっていたのが嘘のようだ。客は誰も私を私として見ていない。ただ快楽を得るための道具として扱われる。そのことも死にたさを助長した。
そんな生活を3年も続けると何もかもがどうでも良くなった。生きていることと、死んでいること。何が違うのだろう。私は生きているのに死んでいる。なら私は生きているのか、死んでいるのか、分からない。分かろうとも思わない。今目の前にいる客も満足したらオーナーにお金を渡して、そのまま帰るのだろう。その過程に私は存在しない。
扉が開く。次の客が入ってきたようだ。また同じ過程を踏んで帰っていくのだろう。
「ユフィお嬢様」
聞き覚えのある声がする。女性の声のようだ。女性客もたまに来ることがあるが、ここまで若いのは珍しい。
「ユフィお嬢様」
どうして私をそんなふうに呼ぶんだろう。そう呼ぶのはうちのメイドたち位で。あれ?なんで娼婦の私にメイドが付いてるんだろう。まぁいいか。
「お嬢様!」
「…え?」
「私です!シーアでございます!」
「シー…ア?」
「あぁ、お労しい…こんなにおやつれになって…」
「どうして…ここに…?」
今度こそ夢だろうか?以前にも似たようなことがあった気がする。あれはなんだっただろうか。
「あなたを取り戻しにまいりました。さぁ、行きましょう、お嬢様」
「私を?」
取り戻す、とはどういうことだろう。そもそも私は失われていたのだろうか。
「お嬢様を買うための資金を集めるのに3年もかかってしまいました。大変申し訳ございません。しかし、もう手続きは済ませてあります。早く外に出ましょう」
なるほど、シーアも苦労したらしい。それにしても、
「外に出るって…」
「文字通り、解放されたのでございます。あなたは自由の身です。なんでも好きなことができるのですよ」
「なんでも…」
「はい、なんでもです」
シーアは断言してくれたので、私はかねてよりの疑問を聞いてみた。
「ねぇ、シーア」
「はい、なんでございましょうか?お嬢様」
「私は…生きているの?」
「はい、お嬢様はしっかり生きておられます」
「そう…」
それがわかって安心した。私は生きていたのだ。それならこれから何をするかも自分で決められる。
「さぁ、まずは何を致しますか?お嬢様」
私は生きている。それならやるべきことはただ一つだ。
「殺して」
生きているなら死ぬ事が出来る。この世界から立ち去ることが出来る。ここは地の底の国では無くただの現世だったのだ。
「はい、仰せの通りに。私もすぐに参りますゆえ」
シーアは普段のポーカーフェイスを大きく崩して、私に微笑んだ。その手に銀色に眩く細い剣を携えて。
あぁ、私はなんて幸福なのだろう。
最後までお読みいただきありがとうございました。