86.『教会』の裏切り者
誤字がなくならないんご
ごめんご
「馬車を止めるんだ」
なんの模様も凹凸もない、のっぺらぼうのマスク越しに響くとてもくぐもった、聞く者によってはとても不気味に感じるだろう声でそいつはそう言った。
そのセリフは明らかに御者へ向けて放たれたものだが、異変に気付き振り向いた彼はそのままポカンと固まっている。現状が理解できていないんだろう。気持ちはわかる、俺たちだって似たようなもんだからな。
「今すぐ、馬車を、止めるんだ」
「なんだてめえは! ――ぐぉぅ!?」
子供に言って聞かせるように一言ずつ区切って威圧する白マスクへ、一番近くにいた乗客の男が立ち上がって食ってかかった。しかし、男が伸ばした腕を白マスクは素早く払うと、逆に男の胸ぐらを掴んで――馬車の外へと放り投げた!
「なっ……!」
「もう一度だけ言おう……馬車を止めろ」
「は、はいぃい!」
蛮行を目撃したことで恐怖に屈した御者は、言われるがままに馬を急停止させた。揺れる車内で俺たちはぐらつくが、白マスクは仁王立ちのままで微動だにしない。
なんなんだ、こいつは……!?
「安心してくれていい。馬車強盗などではないよ……そこのアンダーテイカーに用があるだけだ」
これは迷惑料だよ、と白マスクは御者へ札束をぽんと投げた。百万リルはありそうなその大金にまったく未練がないのか、マスクは御者の反応もろくに確かめずに停まった馬車からさっさと降りてしまう。
「お前たちも降りるんだ、アンダーテイカー。馬車はこれから街に帰るんだからね……邪魔をしちゃいけない。そうだろう?」
「は、はいぃ……」
完全に白マスクの圧に屈している御者だが、一応は運転手として乗客を気遣っているらしく、俺たちをちらりと見てくる……これ以上彼を巻き込むのは気の毒だな。
「心配しなくていいぜ。俺らもこいつにゃ用があったんだ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。だからあんたは何も気にせず、街へ戻ってくれ」
「そういうことなら……」
本日はご利用いただきありがとうございました、と営業トークを残して特急馬車はその名に恥じない速度で去っていく。
人が減ったぶん、さっきよりも速いな。
「んで……てめえは俺らのことを探してたっていう二人組の片割れだな。いったい何者なんだ?」
「…………」
俺の問いにすぐには答えず、白マスクは……あっさりとマスクを取った。頭のフードも外し、顔立ちとともに長い髪が露出される。
サラのふわりとした金髪とは違う、ストレートに流れるブロンドヘアに、真っ白な肌をした美人だ。やっぱり女だったか。それもかなりの上玉と言っていいぐらいの……しかし当たり前だが、その顔に見覚えはまるでない。
「誰だかわからないって顔だね。ゼンタ・シバくん。しかしそれも当然だ……私としても実のところ、君やそちらの少女に用なんてないからね」
「なにぃ?」
「用があるのは……お前だよ。サラ・サテライト。『教会』の裏切り者め」
「……ルチアさん」
え……ど、どういうこった?
マスク連中はアーバンパレスかネクロノミコン関係者かのどっちかが有力だったはずだが、どうもそのどちらでもない感じがするぞ。
困惑する俺と黙り込むメモリの前で、サラとルチアと呼ばれた女のやり取りが続けられた。
「逃げ切れるとでも思ったか? 馬車から谷底への滑落事故で行方不明、なんていう失踪理由を私たちが鵜呑みにすると?」
「……あのとき、モンスターに襲われたのは事実です」
「だが馬車にはやつも乗っていた。撃退にはなんの支障もなかったはず。大きな事故など起こり得るはずがない……お前がトラブルを利用して自身を死亡扱いとさせ脱走を図った。そういうシナリオが嫌でも見えてくるさ」
そこでルチアはふんと鼻を鳴らした。
「だというのに、どうしたことか。せっかく一度は身を隠しておきながら、お前は冒険者なんかになって名を売ろうとしているじゃないか? 話題のアンダーテイカーの噂の中に、サラという名前を耳にした際はまさかと思ったものだけど……まさか本当に、そのまさかとはね。呆れてものも言えないな」
「それはわざとです」
「わざとだって?」
「教会全体ではなく、本部勤めの誰かと個人的に接触したかった。それに私の名が巷で聞こえるようになれば、必ずあなたがやってくると信じていました。……そう、私はルチアさんともう一度お会いしたかったんです」
その時期は想定よりだいぶ早くなってしまいましたが、といつもとは異なる雰囲気で話すサラ。
俺は我慢ができなくなって、会話に割って入ることにした。
「おいサラ、前から何回か名を聞いちゃいるが、教会ってのはどういうとこなんだ? お前が言ってた『前の職場』ってのが、そこなのか」
「教会というのは……ゼンタさん。ランドさんの負った傷を見て、ステインさんが街医者じゃ無理だと言ったのを覚えてますか?」
「あ、ああ」
「それは何故かというと、医者は正規の治癒者じゃないからです。奇跡に属する回復魔法を使えない彼らでは治せる範囲が狭く、医療ミスも度々起こります。教会というのは優れた光属性の使い手をほぼ独占している、『統一政府』から唯一認められている治癒施設、その総称だと思ってください」
「じゃあ街医者ってのはつまり、全員が闇医者みたいなもんってことか? だけどそれだと、違法行為ってことで捕まりそうなもんだが」
「セントラルも教会もそこは見逃しているんです。教会の高額な治療費が受け入れられているのは、安いけど失敗もしやすい街医者がいるからです。権利上だけでなく実際に治癒の現場を他から一切なくしてしまえば、反発は教会とその後ろ盾であるセントラルにも向かうことになる……それを防ぐために、あえて安かろう悪かろうの街医者を放置しているんです」
そして万一の摘発自体は、市衛である警団の運営をセントラルが行っていることもあっていつでもできる。
締め付けはバッチリなうえで普段は自由にやらせているってことか。
……なんだか政府も教会も、やり口が妙に嫌らしいな。とても市民のための組織とは思えねえ。
「教会とはつまり、そういうところなんです。私が理想を思い描いていた場所ではなかった……だから」
「だから逃げ出した、と。あれだけ目をかけてやった私の顔にも泥を塗って、お前は自分のためだけに立場を放り投げた。そんな真似をしておきながら、よりにもよって私を誘い出したのだと恥じることもなく宣うその厚顔さ……お前が教会を謗るべきではないよ。むしろお前はやはり、誰よりシスターに相応しい」
「……、聞いてください、私がルチアさんとお話したかったのは――」
「わかっているさ。これのことだろう?」
ローブの下から取り出されたのは、ロザリオだった。
サラが持ってるあの手の平に隠れるような小さいサイズではなく、大きくて装飾も豪華な十字架。それを見てサラはサッと顔色を変えた。
「持って、きていたんですか……!?」
「ああ。お前が何を言い出すかなんて予想できたからね。一度は捨てたこれを、やはりその厚顔さで取り戻したいと言うのだろうと……その顔を見る限り、どうやら的中のようだ」
「捨ててなんかいません……! それは、母の形見です。取り戻したいと願うのはそんなに恥知らずなことですか?」
「その形見をお前は置いていったんじゃないか! 母親の遺品も、遺志も放り捨て、我が身可愛さばかりで逃げた。あれだけ亡き母との思い出を語っておきながら、とんだ親不孝者だな、サラ!」
「違う! お母さんが願ったのは、そんなことじゃない! 教会が人のためにあると信じていたからこそ、私がシスターになることを応援してくれた。権利とお金のためだけにあるような教会で、その助けをすることがお母さんの望みじゃない!」
「……! 聞き捨てならない暴言だ、サラ・サテライト! 離反者にして謀反者! 生まれや性格はともかくとして、お前には思想適性がなかったのだと判断しなければならないな……!」
互いに引けないものがあるんだろう、二人の興奮がどんどん高まっていく。
今にも争いが始まりそうな一触即発の空気感の中で、別の叫び声が聞こえてきた。
「くそ、放せ! 放しやがれこのデカブツ!」
さっき馬車から放り出された男を片腕だけで羽交い絞めしながら、大柄な白マスクがこちらへのっしのっしと歩いてきた。
そうだよな、もう一方だってそりゃこの場にいるよな。
敵……と言っていいのかどうかわからんが、とにかく教会側の勢力が二人、か。
どっちも見るからに強そうなのが面倒だが、それはともかくだ。
「おい、放してやれよ。そいつは俺たちと違ってサラとはなんも関係ないんだから」
「……なーんだ、そうだったクマ?」
……クマぁ?
変な語尾を疑問に思ったところ、大柄なそいつも白マスクとフードを外して、その毛むくじゃらな顔を見せた。
く、熊じゃねえか! よく見りゃ手も熊っぽい。テッカさんと同じで全身動物色の強いタイプの獣人か……しかも声音からすっとこっちも女だぞ!
「こっちもアンダーテイカーのメンバーかと思ったクマ。関係ないんだったら確かに放してもいいクマね。でも……反抗心が強いみたいだから、自由にして邪魔をされちゃ面倒クマ」
そう言って、熊女は愛嬌のある顔と口調からは想像もつかないほど冷酷に、抱きかかえたままで男の喉をぐっと締め上げ始めた!
「ギっ、か、はぁ……!」
この野郎……!
男の顔が青くなったのを見て、考えるよりも先に俺の体は動き出していた。




