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73.処女の血

「ここは……?」


 気が付けば俺は外にいた。


 石の床も岩の壁もない、ただの地面と草木ばかりが茂る屋外だ。


 俺だけじゃなく、あの場にいた全員がここには揃っている。壊すべき天井がなくなってドラッゾはキョロキョロと戸惑っているし、それはサラたちも同じだ。


 何が起きたのかちっともわからない……そんな状態でも油断なくアーバンパレスの二人組を睨んでいるのがヨルだった。


「空間魔法を使ったな? ……この人数を移せるとは大した腕前ではないか」


「んー、そうでもないよ? 魔力食うし、制約だってあるし」


「敵に明かしてどうする」


「あっとごめんよ、ついうっかり」


 メイルからの注意を受けて、キッドマンと呼ばれた少年は「てへ」と舌を出す。


 ……どうやら、こいつのおかげで生き埋めからは逃れられたらしいな。しかしその代わり、メイルから逃げることは叶わなかった。


 あのどこかに吸い込まれるような不思議な感覚は、空間魔法とやらで強制的に移動させられたせいか。

 サラの使う『リターン』とは違い、ただの移動ではなく俗に言う瞬間移動みたいなもんで俺たちは地下王国から脱出したってわけだ。


 ちっ。こんな技を使える奴がいたんじゃ逃げられっこねえな。


 何かしら条件もあるらしいが、それがどういったもんかわからねえ以上、こっちも対策の立てようがねえ。


「……完全に崩れたようだ。依頼主の住処を潰すとは呆れた冒険者だな、ゼンタ・シバよ」


 遠くから聞こえる地響きみてえな崩落音。

 その鳴り終わりを耳にして、うっすらとした笑みとともにメイルはそんなことを言った。


「気の毒だが、壊し損だ。これでわかったろう、私からは逃げられない。ヨルヴィナスにも戻るホームがなくなった。クエストは失敗。もはやアンダーテイカーが関知するべきことはない……そのまま回れ右をして、お前たちはお前たちのホームへと帰るがいい」


「あれ、そっちはいいの?」


「私はこいつらに興味などないからな」


 キッドマンの質問にそう答えたメイルは、感情の読めない目で俺たちのことを見つめた。その視線に圧力めいたものはない。


 ――脅しじゃないんだ。こいつは単純に俺ら全員を合わせてもなんの脅威にも思ってねえ……軽く蹴っ飛ばすだけで簡単にどかせられるただの石ころ、くらいにしか考えちゃいないんだ。


 戦力差からしてそりゃまったく正しい態度だけどよ……だがどんなに強ぇ奴からだろうと、舐められっぱなしは腹が立つぜ!


「おうコラ、勘違いしてんじゃねえぞ」


「勘違いだと?」


「俺たちのクエストはまだ終わってねえっつってんだ。依頼内容は住処の奪還じゃねえ、ヨルの安全を取り戻すための『害虫駆除』だ。だったらまだお仕事の最中だろーが……こんなにデカくてうざってえ虫が付き纏ってるんだからなぁ!」


「――くくっ!」

「ひゅー」


 俺のセリフに、ヨルが小さく笑った。キッドマンも口笛なんか吹いてやがる。メイルはそれも含めて不快に思ったか、少しだけ眉をひそめた。


「敵わない相手を虫呼ばわりするその度胸。勇猛だが、蛮勇だ。ただの死に急ぎとも言う。まさか理解できていないことはないだろうが……一応言っておこう」


 バギリと足元の石を踏み潰して、メイルは一歩だけこちらへ近づいた。


「私はまだ本気など出していない。戦り合ったところでどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。それでも立ち塞がるか? ……三度目の邪魔ともなれば、もう容赦はしない」


「……!」


 やはり脅しじゃない。

 こいつは単に事実を喋ってるだけ。

 これまで本気じゃなかったってのは、今感じているこの強大なプレッシャーを前にすれば、既に証明されているも同然だ。


 ――無理だ。

 戦ったって何もできずに負ける。

 それもまた覆しようのねえ事実ってやつだ……俺一人だけなら、な。


「うっ……!」


「「「!?」」」


 それはいきなりだった――サラがロザリオを自分の腕に突き立てて、そのまま引き裂いたんだ。


 奇行、というよりも凶行で自傷した彼女に対して、メイルを初めとしてキッドマンもヨルもたいそう驚愕していたが、サラはそんなことまったく気にしちゃいないようだった。


「あは、ちょっと切り過ぎちゃいました。ねえヨルちゃん。この血、いりますか? 確か吸血鬼は処女の血が何よりの好物だと読んだ覚えがあるんですけど……それが本当なら、私はまだ未経験なので美味しいと思います」


 いらないならゼンタさんにあげます、とサラは聞く者によっては相当あぶねえセリフを吐く。


 いやまあ、【血の喝采】を発動させるためってのはわかるんだが、頭から被れるくらいの量じゃなきゃ足りねえんだよな。


 だから、この血を貰うべきはやはり……ヨルしかいない。


「――ありがたくいただこう、サラ」


 痛みを笑顔で隠すサラに、ヨルは簡潔だが真摯な礼で応えた。そしてまるで手の甲にキスをするみてえに丁寧な所作で、サラの腕を滴る血を舐めとった。


「ああ……実に美味い。百年ぶりの人の血は、格別だ」


 静かだが確かな昂ぶりを感じさせる声。


 それを表すように、メギィ! とヨルの背中にある蝙蝠のような小さな羽が急に大きくなった。形状も刺々しく、今にも荒れ狂いそうに激しく震えている。……いや、震えてんのは羽じゃねえ。


 ヨル自身だ。


 明らかに力強く、そしてどう猛さを増した瞳を敵に向けた今のヨルは――さっきまでとは違う。


 吸血鬼の王女。


 その言葉がこれ以上なくしっくりくる姿で、なんとも圧倒的な存在感を放っている。


「久方ぶりの食事で、元気一杯か。そしてもう陽も落ちようとしている……夜と言えば吸血鬼の時間帯だ。なるほど、戦うには最適のコンディションだろう、だが。たったそれだけのことでこの私に勝てるとでも?」


 地下王国へ潜るときは明け方だったのに、アンクルガイストをちびちびと狩ってるうちにもう夜になろうとしている。


 そのことはヨルにとって追い風みてーだが、それでもメイルはまったく怯まない。

 パワーアップした吸血鬼を見ても、微塵も自身の勝利を疑ってねえ。


 そんなメイルに、ぼそりと呟かれた声。


「夜が味方するのは、吸血鬼だけではない」


 いつの間にかネクロノミコンを手にページを開いていたメモリは、そこに黒いオーラを纏わせている。あからさまに、何かの術を使っている。俺はそれを今になって知ったが、メイルはとうに見抜いていたようで。


「気付いているとも。小さな生き物が大量にこちらを窺っているな」


「そう。……暗闇にだけ呼べる、わたしの埋葬虫シデムシ


 メモリの淡々とした声に応えるようにざわざわと辺りの茂みが揺れる。風、もあるが。それだけじゃない。葉と葉の隙間、その暗闇に、何かがいる。それも一匹や数匹じゃない、何十匹……ひょっとしたら何百匹も。


 小さな生物が折り重なるように蠢いて、ひたすら俺たちを凝視している。


「彼らは、死肉を欲している。わたしのシデムシが通常のそれと違うのは、死肉を食らうために率先して生き物を殺そうとすること。……彼らはあなたたちを捕食対象と認識している」


 出会った当初にメモリが口にしていた『たった一種類だけ呼び出せる虫』ってのは、こいつらのことだったのか。その力もまたネクロノミコンによって強化されているんだろうが……にしてもえらく怖い状況を作りやがるぜ、メモリのやつ。


 なんともゾッとさせられるシチュエーションだが、味方だと思えばそれも心強い。


 メモリの啖呵に、さすがのメイルもイヤそうに顔をしかめているもんな。


「よお、メイルさんよ。お前は俺たちを取るに足らねえ雑魚だと思ってんだろう。だから、まだ俺たちがいるうちからヨルを襲った。一人になるときを狙うまでもねえってな」


「……それがどうした?」


 ヨルが例の独特な構えを取る。

 その傍でサラがロザリオを握りしめる。

 メモリはいつでも虫を動かせるように集中している。

 後ろではドラッゾが眼窩の奥を光らせているし、俺の横ではボチが呻って威嚇をしている。


 そして当然、俺も『不浄の大鎌』を構えて戦闘態勢を取っている。


「別にどうもしねえさ。ただ、お前はこれからその判断を……死ぬほど後悔することになるぜ」


「…………」


 メイルは、無言だった。

 俺に何も言葉を返すことなくすっと両手の拳を上げただけ。

 ヨルを相手に見せたのと同様、ボクシングを思わせる奴の戦闘スタイル。


 ――いつでも来い。


 奴は話すよりもよっぽど雄弁に、俺たちにそう伝えてきているんだ。


 けっ、上等だぜ。てめえがあくまでも俺らと戦る気だってんならよ……こっちもそれ相応に、盛大な抵抗をさせてもらうだけだ。


「行くぜお前ら――」


「はーい、もうやめやめー!」


 と、いざ決戦というタイミングでなんとも気の抜ける割り込みが入った。キッドマンだ。


 メイルの前に出ることで戦闘行為を止めたキッドマンは、子供にはどうにも似つかわしくない苦笑混じりの表情を顔に浮かべていた。


「これ以上争っても不都合のほうが多い。と、僕なんかは思うけどな。ねえメイルさん。ここは一旦、矛を収める方向でどうかな? ヨルヴィナスだって推定無罪なんだし、今回はその報告をするだけでも十分なんじゃない?」


「…………、」


 仲間からの説得に対してもメイルは強攻的な気配のまましばらく無言でいたが、やがて。


「そうだな」


 そう言って上げていた拳を下ろし、構えを解いた。それで剣呑な気配も鳴りを潜める。


 戦う気をなくした。

 それがわかったことで、緊張マックスだった場の空気は少しばかり柔らかくなった。


 ……ま、正直なところ俺もかなりホッとしたぜ。

 そんな弱気な気持ちは少しも顔にゃ出さなかったがな!


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