70.本当に?
「お疲れ様です、ゼンタさん! あの大群を本当に一人で倒しきるなんてすごいですねぇ。戦いぶりにもなんだか鬼気迫るものがありましたね」
心から感嘆した口調でそう言ってくるサラに、俺は片手を上げるだけで応えた。
や、気取ってんじゃないぜ? 【血の喝采】の効果で肉体的な疲労はないはずなんだが、あんだけぶち上がってたテンションが元に戻ると落差が激しいぶん、異様に精神的な疲れが来てな。
精一杯楽しんだ祭りが終わったあとみてーな虚脱感を味わいながら、俺は血だまりの中で座り込んでいた。
寝転がりでもしながらスキルを使えば、またテンションを上げることはできるんだろうが……あんましやりてえとは思わねえ。
強いには強いが、ちょいと見境がつかなくなってる感もあるんで、【血の喝采】は少しばかり使用に注意が必要かもしれんな。
「うわぁ……玉座の間があいつらの血だらけになっちゃった」
鼻をつまみながらイヤそうにヨルが言う。
そういや、ヨルにとってこいつらの血は悪臭が凄いんだったな。
体外に出て時間が経つと酸性ななくなって無害なもんに代わるようなんで、もう触れても溶かされる心配はねえが、それでも汚れは汚れだ。
「すまんヨル。ちょっと調子に乗って汚しすぎちまった」
「ううん、いいの。ヨルが駆除を依頼したんだもん。掃除はちゃんと自分でやるよ」
「そういうわけにもいかねえ、ここは大切な場所なんだろ? 迷惑な戦い方した詫びに掃除も手伝うさ。……つーわけで、頼んだぜサラ。『クリーン』でパパっと綺麗にしてくれや」
「って実際に掃除するのは私ですか!? 今の流れはゼンタさんがやる感じだったんじゃ?」
「ばっきゃろう、効率ってもんを考えろ。ほら、ヨルに悪いから早くやれって」
「ちょっと横暴じゃないですかー? もちろんやりますけど」
ぶつくさと言いながらもさっそく浄化の魔法で清掃を始めようとするサラに、「急がなくてもいいからね」とヨルが気遣うように言った。
「どうせ元から、あんまり綺麗にもできてなかったから」
「あー。この広さだもんなぁ。一人だけじゃあ、玉座の間だけでも掃除してるだけで日が暮れるわな」
「ふふ、そうなんだよね。最初はそれでも頑張ってたんだけど、だんだんくたびれてきちゃってさ」
ヨルって薄情かなぁ、と玉座の間の最奥にある、石造りの凝った玉座が鎮座された場所を見ながら吸血鬼の王女様は呟いた。
「……なんでお前の両親はいなくなったんだ?」
これを聞いていいのかどうか判断はつかなかったが、思い切って訊ねてみる。
サラもメモリも黙って俺たちの会話を聞いている……つまり二人もそこには興味があったってことだ。
パーティ全員ぶんの視線を集めて、ヨルは口を開いた。
「パパは前の魔皇の部下、それも幹部だったんだ。四天王って呼ばれてたよ」
「「「……!?」」」
思いがけないビッグな情報を聞かされて絶句する俺たちに構わず、ヨルは昔を思い出すような遠い目をしながら話を続ける。
「ヨルたち吸血鬼は、魔族じゃないよ。でも、始まりの吸血鬼……つまり吸血鬼の始祖にして最初の王様は、人間に滅ぼされたんだって。だからパパも、パパのパパも、そのまたパパも、ずぅーっと人間のことは嫌いだったんだよ。長い時代、人間と関わらずに一族は生きてきたけど……パパは魔皇から勧誘を受けたのをきっかけに、『影の時代』の到来を手伝うことに決めたの。魔族は人間と雌雄を決しようとしていた。そこで魔族に協力して、人間を滅ぼしちゃおうって考えたんだよ」
そこからパパはパパじゃなくなった、とヨルは俯いた。
「一族を引き連れて、魔皇と一緒に人間の軍と戦争に明け暮れるようになった。世界一大切だって言ってたママのこともヨルのことも、ちっとも構ってくれなくなった。最初は少し手を貸してやるだけだ、って言ってたのに、すぐに争いにのめり込んでいって……たまに帰ってきてもずっと怖い顔をしてた。そしてまた一族を連れ出して戦争に出かけていった。王国が少しずつ静かになって……最後はママも、パパを助けるために出ていった。ママ、本当は戦うことなんてできなかったのに。『絶対にここから出ちゃダメ』って言われたけど、どれだけ待っててもパパもママも、誰も帰ってこなくて。ヨル、怖かったけど、思い切って外に出てみたの。そしたら――」
山を下りて、人間を探し、死を覚悟して話を聞いてみれば。
戦争なんてとっくに終わっていて、魔族はとうの昔に死に絶えたのだと彼らは言った。
魔族に混じって吸血鬼も死んでいったはずだが、何故だか人間たちはそれをまったく存じていないかのように、まるでそんな生き物は元から戦争に参加していなかったかのように、欠片の興味すらも持っていなかった。
「……それを知って、ヨル、なんだか全部どうでもよくなっちゃった。またここに戻って、ずーっと膝を抱えて座ってたけど。でもせめて、みんながいたこの場所だけでもヨルが守らなくちゃって思って、掃除するようになったの。……えへへ。それも続かなかったけどね」
吸血鬼の王たる父も、その妃たる母も、臣下たる仲間たちも死んで。
こうして吸血鬼一族の王女は、世界最後、たった一人の吸血鬼になったのだという。
「魔族が滅びたとされているのは、もう百年以上も前のことです。ヨルちゃんは、そんなに長い間一人でここに……?」
「一人きりに耐えられなくなって、たまに人間の街を見に行ってたんだ。特に一番近いパヴァヌには、よくね。でもヨル、吸血鬼だってことは隠さずに名乗ってたよ。そうすれば……もしかしたら、誰か生き残っている仲間がいて、ヨルに会いにきてくれるんじゃないかと思ったから」
まだ誰にも会えてないけどね、とヨルは寂しそうな笑顔で言った。
……そうか、こいつの常にどこか寂寥を感じさせる雰囲気は、そういう過去があってのものだったのか。
このナリで最低でも百歳は超えてるってことには驚かされたが、いくら寿命が人間と違ってようとガキはガキだ。それにしてはこいつの体験は、ちょいとばかしヘビーすぎるぜ。
俺には最初から親なんてもんはいなかったんで、それを失くした奴の気持ちはわからねー。
わからねーがしかし、血を分けた家族がいないってことへの妙な寂しさだけは、ちったぁわかってやれるつもりだ。
「……先代の魔皇は、現在魔皇を名乗ってる者と関係がある?」
と、俺がどうにか気の利いた言葉を言えねえかと頭をこねくり回していると、先にメモリがヨルへ話しかけた。
だがその内容が予想外のものだったんで、少しだけビックリしたけどよ。
「えっと……最近聞く新しい魔皇のことについてはよく知らないけど、先代の魔皇と四天王は、今の時代にはもう関係ないと思うよ。お父さんと同じで、みんな死んじゃってるはずだもん」
「本当に?」
「うん、本当に――あれ?」
念入りに確かめる問いかけ。
それを口にしたのはメモリではない。
当然、俺でもなければサラでもない。
まったく聞き覚えのない声に返事をしたヨルはきょとんとして、それからキッと目付きを鋭くさせてとある一点を睨んだ。
それにつられて俺たちもそちらを向けば。
「それが真実なら私たちの懸念は取り越し苦労ということになるが……しかし、疑わしいものだな。無知な人間を騙すための真っ赤な嘘。そういうことも考えられるのだから」
地面から――いや、石の床からひょっこりと生えてくるようにして一人の女がそこに姿を見せた。
いつからいたのか、あるいは最初からずっと地の底で息を潜めていたのか、ヨルの話した内容をすっかり盗み聞いているようだった。
な、なんだこいつは……!? いったいどこの誰なんだ!?
あまりに不気味な登場に俺たちが震撼する中、その女は飄々と名乗りを上げた。
「私はメイル・ストーン。『恒久宮殿』の特級構成員が一人だ」
「アーバンパレス! それも幹部のエンタシスだと!?」
「その通り。予め言っておくぞ、『葬儀屋』」
そう口にしたメイルと名乗った女は、薄い色素をした金髪の短いツインテールを揺らして、軽く拳を振るった。
「ごぁっ……!」
その拳から飛び出した石槍が――ヨルの腹をぶち抜いて刺さった。
「なにぃ……っ!?」
「決して私の邪魔をするなよ。もしも命令を聞かないのであれば……お前たちから排除する」




