60.あなたの勝利です
つばを吐きたい気分だったぜ。
カスカの言葉が本当なら、あいつのHPはもう三割ほどに減ってたはずなんだ。なのに、苦労して与えたそれだけのダメージが帳消しになった。
その事実だけで、疲労感がずしっとさらに重みを増したようにすら感じるほどだった。
「顔色が変わったわね。さすがにキツくなってきた? それともそれは、私の油断を誘うためのポーズかしら。……あんたにまだ手札が残っているのかどうかは、戦えばわかることよね」
不遜な角度に曲げた口でそんなことを言いながら、カスカは「そういえば」と何かを思い出したように訊ねてきた。
「ムカデ戦で見せたドラゴンゾンビをどうして呼ばないの?」
……それはSPの消費量が馬鹿にならねえってのと、消費量に見合った活躍をドラッゾができるか微妙だっていう理由からだ。
今が屋内での戦いだってのもあるが、腐食のブレスがカスカへ効果を与えられる確信もなければ、仮に与えられたとしてもなんらかのスキルで無効化される恐れもある。
最悪、ムカデも押し返したエンジェルスマッシュの一発で召喚が解除される可能性もある。
そうなりゃ50ポイントの無駄遣いだ。
そりゃあ、気軽に呼び出せはしねえってもんさ。
だがそんな事情を馬鹿正直に打ち明けてやるこたぁねえ。
カスカは今、俺がドラッゾを切り札として出すのを勿体ぶってるのか、それともなんらかの事情があって札として切れない状態なのかを探って確かめようとしてるところなんだからな。
「ああ……実はよ、前にやった決闘じゃあドラッゾの力でさくっと勝っちまったもんだからな。今回は使わないでおいてやろうと思ってな」
「ふーん。縛りプレイってわけ」
苦しい言い分だと自分でも感じたんだが、カスカは意外と簡単に納得してくれた。これ幸いと俺は話題をカスカ自身のほうへと移すことにした。
「お前こそ、ムカデをノロくさせたあのスキルはどうした? あれを使えば大抵の戦闘は楽勝になるんじゃねえの」
「ああ、『ヘビーフェザー』ね。アレは使わないんじゃなくて、使えないのよ。【清き行い】は人のためじゃないと発動できないって条件があるから。今みたいに自分のためだけに戦ってるときは無理なの」
ほほう、なるほどな。
俺は【血の簒奪】っていう一対一ならかなり強いスキルを持ってるが、その発動条件は敵に流血するくらいの傷を負わせることだ。
つまりこいつは、どんなに攻撃を食らっても血を流すことなんてない来訪者が相手じゃ完全に死にスキルになっちまうという、残念な面があるわけだ。
それと似たような感じで、カスカにも戦闘用であっても場面ごとに発動できるもんとできないもんがあるらしい。
「だからって自分が勝てるなんて安易に思わないことね。あんたに遠距離攻撃用のスキルがないってことはここまでの戦いでわかった。だったら私は容赦なく、この場から動かずに攻めさせてもらうわよ」
「……!」
そりゃ、読まれるわな。
あいつも俺が飛び道具の隠し玉を持ってることへの警戒を解いたわけじゃないだろうが、十中八九くらいにはそんなものはないと確信を抱いているだろう。
――これは、いよいよ覚悟を決めなきゃならんときが来たらしいな。
使えるスキルは大体使った。残された手段は少ねえ……そしてそのぶんSPも少なくなっている。それだけスキルをぽんぽんと使ったせいでもあるし、【補填】で少量ずつHPを回復させてたことも原因だ。【SP常時回復】があっても追い付かないほどにSPの減りが早いんだ。
うっかりと重たい一撃を食らってHPが1にならないように気を付けていたんだが、もしかすっと……考え方としては逆だったのかもしれねえな。
来訪者の強みはどう考えても、スキルの突拍子のなさ。それで敵を翻弄することにある。
その強みを万全に活かすには、潤沢なSPが必要になる。俺はその助けになるスキルを持っておきながら、HPを減らさないことに注意するあまり本来の持ち味を活かすことを自分から放棄しちまっていたんだ。
そうとわかれば……すべきことは決まったぜ。
「【心血】発動」
HPをごっそりと捨てる。
そしてそのぶん、SPを取り戻す。
HPバーはほぼ全快から二割弱に縮んだのに対し、SPバーは全体の五割ほどにしかならなかった。やっぱ変換効率がめちゃ悪ぃな、これ。だが、あって助かるスキルなのは間違いない。
「覚悟は決まった?」
俺の顔付きが変わったことに、カスカは目敏く気付いていた。おそらくは俺がどう打って出るかも、こいつには大方読まれているんだろう。
しかし関係ない。
読まれてようがなんだろうが、俺は俺の意思通りにひたすら押し通るまでだ!
「【武装】と【活性】と【集中】をまとめて発動ぉ!」
「!?」
スキルの三つ同時使用し、さっきよりも強い怨念のオーラを纏った恨み骨髄を手に駆け出した俺にカスカは少しばかり驚いたようだった。
取り戻したSPが一瞬で溶けちまったが、構やしねえ。ここを逃したらどうせ俺に勝機なんてないんだ。
一気に決着をつける!
「近づけさせるわけがないでしょ! 翼魔法『タイダルフェザー』!」
「うぉっ!?」
広がった両翼からドバっと羽根が放出される。数十枚、数百枚――いや数千枚からそれ以上か!? とにかくものすげえ物量の羽根が津波のように押し寄せてきて俺は進めなくなった挙句、ろくに前も見えなくなった!
「くっ、んだこりゃ……また目潰しなのか?」
数も数だし、小せえし、なのにふわふわと柔らかい。弾丸みてーだったさっきの技と違ってこの羽根は恨み骨髄で払おうにも手応えがなく、払い切れねえ。
だが特にHPが減る様子もないことから、ただの目隠し以上のことはねえと安心したんだが。
「――っ!」
「『エンジェルスマッシュ』!」
その安心を突くように、背後からそれは来た。俺がそれを躱せたのは奇跡……とプラス、新しいスキル【集中】のおかげだろう。
飛び退いた横を、空間ごと羽根を一掃するように閃光が走り抜けていった。【翼撃】が空振ったことにめげる様子もなく、カスカは活き活きとした笑顔をしていやがった。
「よく避けたわね! いい身のこなしだわ!」
「そりゃどう、も!」
接近戦を望まないようなことを言いながら、裏をかいて自ら距離を詰めてきていたカスカの策。
その巧みさに感心しつつ、俺は体勢を整えながらよく見る。
カスカが何をしてくるか――案の定奴は、次なる攻撃を即座に叩き込もうとしてきた。
「旋風魔法『ウァールウィンド』!」
……! やっぱり見える。見えるぜ!
小さく渦を巻く風の砲弾みてーなのが、五つ生じた。互いの距離が近いこともあってこいつは回避が辛いな……!
だが、今なら避け切れねえってほどじゃねえ!
そう判断した俺は、勢いよく飛び出してきた風の弾を全てギリギリのところで掻い潜ってカスカへと接近してみせた。
「なっ……、」
カスカが目を見開いている。その顔も今の俺にはよく見える。
これは【集中】の効果だ。自分でも怖いくらいに感覚が鋭くなっているのがわかる。意識が極限まで高まっているんだ。スポーツとかでよく使われるもので、最高の集中状態を指してゾーンっつー言葉があるが、こいつはそれを意図的に引き出せるようなもんだと思っていいだろう。
【活性】による身体強化と合わさって、まるでスロー再生の世界を俺だけが普通に動けているような感じだ。
だが真相は逆で、傍から見ると俺の動きは異様に素早くなっているはずだ。
「急に動きのキレが……! だったらこれならどうかしら!? 旋風魔法『ストームブラスト』!」
「!」
こちらに向けられたカスカの手。
そこから今やり過ごしたのとは比較にならない大きさの風が撃ち出された。
こりゃ確かにデカさからしてもう避ける選択はねえな……だけど!
「俺にとっちゃでけえほうが対処は楽なんだよぉ!」
いつものホームラン打法で風の塊へと恨み骨髄をぶつける。
みしり、と恨み骨髄越しに風の衝撃が俺の腕を軋ませる――が、こんなんで俺は止まらねえぜ!
「だぁっしゃあああ!」
「なんですって……きゃあ!」
腕を振り抜き、風を弾き飛ばして霧散させる。飛び散っていく風圧にカスカが身体を流された、その瞬間を狙う。
「おらぁ!」
返しの一発。風を斬った(?)のとは逆の軌道で三度、恨み骨髄がカスカを叩く。
命中は、したにはしたんだが。
「ちっ!」
思わず舌を打つ。
クリーンヒットではなく、今度は翼が間にあった。
あそこからガードを間に合わせるたぁ大した奴だぜ! 当たったとは言ってもこれじゃあダメージは半減以下だろう。なんせこいつの翼は、こいつにとってのメイン武器なんだからな。
間が悪く【集中】も切れた。【活性】はまだ続くが今のような的確な回避はもうできねえ。
ヤバい、大ピンチだ。
だがなんとしても攻勢を譲らずにこのまま攻め切るしかない。
そうじゃねえと俺の負けだ――と。
焦りと共にもう一度恨み骨髄をバットのように構えたところで、カスカは目の前で信じられないことをした。
「……参った。降参するわ」
両手を上げて、翼を畳んで。
あっさりとカスカは自分の敗北を口にしたんだ。
『決闘モードOFF。あなたの勝利です』
何が起きたかわからず呆ける俺の視界に、勝ちを教える味気ねえ文章が映った。




