56.『決闘』をしましょうか
たくさんの誤字報告グラッツェ
「は……? なんでそこを疑うんだよ。だってこっちは俺たちの世界じゃねえんだぞ?」
「でも今はここで生きている。それに帰り方だってわからない。私も人を頼って調べてきたけど、少なくとも……来訪者が元の世界に帰ったなんて話はひとつも耳にしなかったわよ」
「ぐ……」
言葉に詰まる。まさにそこが俺の悩みどころでもあったからだ。
それを知っていたとでも言うように口角を上げて、カスカは頷いた。
「ここの組合長さんと知り合いだっていう来訪者はもう二十年以上もこっちにいるらしいわね。探せばもっと古くからいる人だって見つかるんじゃない? つまりはそれだけあっちの世界への帰還が困難、もしくはそんな手段は端から存在していないかの、どちらかだと考えられるわ」
「帰還は夢物語だと言いてえわけか」
クラスのみんな、ナガミンせんせーも合わせて二十七名が欠員なく揃って、あの教室に帰ること。口にするだけでもくたびれる作業ではあるぜ。だけどよ。
なんの手がかりもねえ数日前までだったら、確かに気の遠くなるような話だったかもしれん。
だがカスカや委員長と繋がりを持てた今ならぐっと希望が見えてきた。
協力すれば、全員集合だって夢じゃないかもしれん。
それまでにまずは帰る方法を見つけなくちゃならないのがネックではあるが――。
「そっちも、先輩来訪者に相談してみるまではどうなるかわからねえだろ? 俺は今、トードさんの知り合いに会うために冒険者ランクを上げてるとこなんだ。お前がクラスメートを探して、俺が帰る方法を探す。いい役割分担だとは思わねえか?」
「ゼンタにしてはしっかりと考えてるじゃない。だけど……ん、ちょっと待って」
そこで人差し指を口に当てて黙るようにジェスチャーをしたカスカは、無言で部屋の入口のほうへ移動した。そんで、バッといきなり扉を開けたんだ。
急に何をしてんだと訝しんだ俺だが、そんな戸惑いも一瞬で消えた。
なんてったって、開いた入口から部屋に倒れ込んできたサラ、メモリと目が合ったもんでな。
二人が何をしてたかはそのバツの悪い顔からも明白だ。
「お前らな……盗み聞きってのは趣味が悪いぞ、さすがに」
「ごめんなさい! どうしてもゼンタさんとカスカさんのお話が気になって、メモリちゃんを無理矢理誘って私が」
「それは違う。……わたしも、興味があったから」
「だからってなぁ」
「まーいいじゃないの。この二人にも関係のあることなんだし」
気まずそうにする二人を想定外のにこやかさで招き入れたカスカは、今度こそ部屋の外に誰もいないことを確認して扉を閉めた。
「帰る帰らないの話になったから思わず反応しちゃったのよね?」
「は、はい。そうです」
「…………」
メモリはうんともすんとも答えなかったが、否定をしないってことはサラと同じなんだろう。
「わかるでしょ、ゼンタ。あんたにはこうして仲間がいる。自分で作った仲間なのよ。……これは例えばの話だけど、明日にでもすぐ元の世界に帰れるとして。あんたは彼女たちを放ってさっさと帰っちゃうわけ?」
「……! いや、さすがにんなことは――」
「明日を逃すともう二度と帰れない、としたらどう?」
「……何が言いてえんだ。まどろっこしい喋りをしてねえではっきり言えよ」
「いいわよ、単刀直入に言いましょうか。ズレてるのよ、あんたの考え方は。私の話を聞いてたわよね? だったらわかりそうなものだけど……いい? カナデも、天満くんも、そして私も。あの委員長だってそう。この中に誰か一人でも、元の世界に戻りたがっている人はいた?」
「な……!?」
「そんなことを言っているのは、ゼンタ。あんただけじゃない」
きっぱりと。
まるで何かを切り捨てるような鋭い口調でカスカはそう断言した。
か、帰りたがってないだと……? カナデもハヤテも、そして委員長も――カスカ自身も?
「カナデはアイドルになろうとしている。天満くんはこっちの子と幸せになろうとしている。委員長にもやるべきことがある。私は天使として日々を生きている……あんたはここを私たちの世界じゃないと言ったけれど、それは逆なのよ」
「逆だって?」
「ええそうよ。あっちのほうがもう、私たちの世界じゃないってこと」
――馬鹿な。どう考えたってそれはおかしいだろう。今まで生きてきたのはこの世界じゃない、あっちの世界なんだぜ。
ここには魔物や魔獣、それに魔皇やその配下っていうとびきりヤベーのだっている。
いつ死んだっておかしくねえ危険な世界なんだ。
なのに、カスカたちは元の世界への未練をあっさり捨て去って、ここで一生暮らすことを選んだっていうのか?
「いつ死んだっておかしくないのはあっちの世界だって同じよ。危険度はこっちが上かもだけど、そんなの関係ないわ。やりたいことができるんですもの。それくらいのリスクは私たちだって織り込み済みよ」
「だからって、お前……あっちには家族だっているだろ」
「勿論いるわよ。で、だから何?」
そんなの当然だ、という毅然とした顔を少しだけ怒りに染めてカスカは続けた。
「私には確かに、父親と母親がいる。血縁上の両親がね。でも、それだけよ。あの二人は私にとってただの同居人。それ以上の意味合いなんてないわ。――あんな家になんて、誰が自分から帰りたがるもんですか」
「お前……」
「ゼンタだって、どうなの? あんたには家族だっていないじゃない。本来なら私なんかよりよっぽどあっちへの未練なんてないはずでしょ。なのに、どうしてあんたはそんなに帰りたがるのよ」
「お前な……勝手に決めんなや。俺にだって姉さんみたいな人がいるんだよ。別れの言葉もなしに永遠に生き別れなんてのは、納得がいかねえっての」
「ふーん。それだけ? じゃあその人にお別れさえ言えれば、あっちの世界を捨てたって不都合はないわけね」
「…………、」
「ほら。他に帰るべき理由なんて、見つからないんでしょ」
それからカスカは、滔々と語った。
それは大人が子供に言って聞かせるような話し方だった。
俺たちが進路の分岐点にいること。
俺は就職、カスカは進学。
共に追い詰められるような窮屈さがあっただろうとカスカは淡々と、しかしどこか重たく問いかけてくる。
将来の自分を考えたことはあるか。そこにどれだけ未来の展望があったか。あっちの世界に戻ったところでその先に、俺たちにとってどれほど輝かしいものが待ってくれているのか。
――そんなものはない。
そう言い切ったカスカは腕を組み、挑むような顔をして俺の目の前に立った。
「天使として人から感謝されて、崇められる。あんたは遊びでやっているとでも思ってたんでしょうけど、私は真剣そのものよ。真剣に、この世界で天使として生きていくつもりでいる。それの何が悪いの?」
悪いこたぁ、なんもねえ。
カスカは間違いなくいいことをしているし、そのためにこっちの世界に残りたいと自ら希望するんであれば……俺がそれにとやかく文句をつけるのはお門違いってもんだろう。
「そんなあんただって、仲間を捨ててはいけないんでしょう」
隣を見る。横にはメモリが、その隣にはサラが。二人はなんとも言えない顔をして俺を見ていた。
……カスカの言う通りだ。
俺はこいつらに助けられている。
仮に帰る方法が見つかったとしても、なんの恩返しもしないままにそれを実践はできん。
少なくとも、俺の目的が叶ったぶん、こいつらの目的も達成させないことには不公平ってもんだろうよ。
「……話はよくわかった。みんなが帰りたがってると決めつけてた俺は、確かにズレてたな」
我が意を得た、という顔付きをするカスカに「だけど」と俺は言った。
「だからってみんながみんな、帰りたがっていないと決めつけんのも早計だよな」
「……!」
「正直言って自分でもあっちに帰りたいのかどうか、わからなくなっちまった。お前の言う通り、姉貴にまた会いてえってこと以外には、未練らしい未練が見つからん。だがよ。クラスメートの中には一刻も早く帰りたがってる奴だっているかもしれねえじゃねえか。残りの二十二人の中に、一人でもそういう奴がいたら……そいつのために帰る手段は探し出しておかなきゃならん。だから、カスカ。それにお前も協力してくれよ」
立ち上がってカスカの瞳を真正面から見つめ返す。
しばらく無言で睨み合い……やがてカスカは厳しい顔付きを緩めて、ふっと苦笑めいた表情を見せた。
「あんたってやっぱり頑固なのね。いつでも、どこにいても変わらない。本当に呆れるわ。……けれど、私よりもあんたのほうが正しい物の見方をしている」
いいわ、とカスカは再会したあのときと同じ、いたずらっぽい表情で言った。
「天使活動に忙しい私の手が借りたいっていうのなら……来訪者同士で『決闘』をしましょうか。勝ったほうが、相手の意向に従う。決着に文句はつけない。後腐れがなくっていいじゃない?」
「――望むところだぜ、この野郎」
俺とカスカの間に、バチバチと火花が散った気がした。




