552.敵となれる者など
「俺様と『決闘』をしろ、ゼンタ」
「…………」
――本当は、わかっていたんだ。
たとえどんなに言葉を尽くしたところで、きっとこうなるんだろうってことは。
「どうした、聞こえてねえのかぁ? ボサっとしやがってよぉ……『決闘』だっ! それで白黒きっちり終わらせようっつってんだぜ、この俺様がよォ!」
目を爛々とさせながらそう吠えたレンヤの足は、ガクガクと笑っている。先の一撃がまだ利いてるってのが明白だ。けれどこちらを食い殺さんばかりの殺気だけは鋭さを増している……これだ。この絶対の負けん気。自身の敗北を何がなんでも認めない高すぎる気位。
同じくクラスの『三ヤベ』として三毒院カルラも持っていたそれを、より強く。より強烈に。レンヤは常に自分の命よりも大事なところに置いているんだろう。真の勝機を掴むために一度や二度なら負けてもいいとクレバーに考えられるあいつとは違って、レンヤってやつはどこまでも目先の勝利に拘る男だ。
そんなレンヤですら今はまだ歯向かえないと自重せしめた『灰』は大したもんだが、その『灰』と立場を並べたとしても俺に同じ真似はできやしない。
なぜなら。
他ならぬこの俺にこそ階戸辺レンヤは自分一倍の負けん気を発揮するからだ。
俺からの降伏勧告――膝を付け、なんていう言葉にこいつが従う可能性なんて最初から微塵もなかった。確かに俺の対応は冴えたものじゃあなかっただろうが、けれどどんなに慎重になっていようが結局のところ何も変わりはしなかったはずだ。
上位者が俺にこの任務を命じた時点でもう……結末は決まり切っていたんだ。
「それがお前の選んだ道だってんなら拒否はしねーさ。『決闘モード』を使うのか?」
「『決闘モード』ぉ!? おいおい、もう来訪者じゃねえと宣っておきながら何を言ってやがる。んな日和ったもんに誰が頼るか! 正真正銘の決闘、互いの命のみを賭けた最初で最後の真剣勝負! それが俺様からの申し付けだッ、ゼンタぁ!」
「システムの援助なしがお望みか、レンヤ。――死ぬぞ」
「殺してみろよ」
ヒャハ、とレンヤは瞳に狂気すら滲ませて笑う。まるで軽々しく生死を持ち出してるようだが、それは違う。本気なんだ。本気でレンヤは……俺を殺すつもりでいるし、それが叶わなければ――自分を殺させるつもりでいる。
ああ、こいつは。
破綻者だ。
長嶺先生や砂川ハナと一緒で、現代日本だからこそどうにか越えずに済んでいた一線を越えちまった、本質的な異常者。あっちよりもこっちの世界がお似合いの精神性を持った連中の一人なんだ。
俺はレンヤのことを誰よりも詳しく知っている。だがそれと同時に、誰よりも知らなかったのかもしれねえ。
こいつの本性は。どうしたって打算や妥協より自負心を優先させ、そのためなら死んだっていいとすら思うような、この孤高が過ぎるプライドは。
慈悲をかけたところでどのみち悲劇しか待っていない。そう断言できる。できちまう。だとしたら。
レンヤのためにも俺は――。
「聞き入れる。降参なし決闘……決着はどちらかが死んだときだ。それでいいんだな?」
「確認なんかいらねえよ。さっさと始めようじゃねえか――ヒャハ! 常々思っていたんだ、お前を殺すのは俺様でなけりゃならねえとな」
「奇遇だな。俺もたった今そう思ったところだよ。お前を殺してやるのは、俺であるべきだってな」
「おうおう、神の使いともなれば言うことが違うなぁ」
小馬鹿にするように言うレンヤに、俺は「いいや」と首を振った。
「『神の使者』としてじゃあなく――俺が俺としてそう決意したんだ。レンヤ」
「……、」
ローブを脱ぎ去って構えを取った俺に、レンヤも無言で応じた。お互いに我流の、喧嘩という実戦のみを糧に編み出した独自の体勢。腕や足の置き所に違いはあれど、俺たちのそれはよく似通っていると言える。
敵に攻め入ることを第一としているという、その一点においてだけは。
「御名代中学三年E組、出席番号十三番。柴善太」
「御名代中学三年E組、出席番号十二番。階戸辺蓮夜」
「「――勝負!」」
◇◇◇
「……それは私にはくれないんだ?」
「来訪者なんて食えやしねえよ。煮ても焼いてもな」
横たわる遺体から目を逸らさず、ゼンタは私に素っ気なく答えた。
まったく、魔皇の娘たる私に対してこの遠慮のない物言い。世が世なら打ち首だけれど、私は度量が広いのでこんな無礼も大目に見てあげよう。そもそもゼンタにとって魔皇と言えば父ではないのだろうし、そんな相手に昔の威光を振り翳すのはなんだかダサい。
とはいえ。上位者の気変わりがなければ、いずれ私は高確率でこの男の子供を産むことになるのだろう……そうなれば私たちは夫婦だ。ならばそのときが訪れるまでにこの態度を改めさせたいところではある。
あの豪放磊落で我儘だった父も、母にだけはまるで頭が上がらなかった。そのおかげで父と母は夫婦足り得ていたのだと思うので、自分もそれは見習いたい。俗に言うかかあ天下というやつを目指すのだ。
今のところゼンタからは仕事仲間の後輩ぐらいにしか思われていない気がするのがネックではあるものの――実態を言うなら神に仕える者としては圧倒的にゼンタが後輩だけど――まあ、彼が『灰』以来の管理者となったことで自分もようやく管理者の一員になれたのだから、その扱いも止む無しだろう。
長らく実験場の管理人でしかなかったこれまでを思えばこの躍進はやはり嬉しいもので、素直に感謝を表明したいところだ。
とまれ、だからと言っていつまでもゼンタの後塵を拝すつもりなど毛頭ない。いずれゼンタのほうをサポートに回させる旨の発言は何も小粋な冗談などではなく、根っからの本心により口にしたものだ。
そのことにゼンタはたぶん気付いているだろうが、私がどういうつもりで下剋上を狙っているかまではピンと来ていないのだろう。それでいい。今のところはそれで十分だ。
「さっさと食いたいならまた開くか?」
黙った私をどう思ったのか、ようやくこちらに視線を向けたかと思えばこの言い方。まるで私がえらく食い意地の張った女のようではないの。失礼な。
「貴方の偽界にわざわざ私を招くの? 吐き出せば手間もかからないでしょうに」
「まだ全員生きてるんだぞ? 大半はもう動けやしないだろうが、レンヤが自慢してただけあって何名か活きがいいのがいる」
「逃げられでもしたら面倒だと言いたいわけね……それとも反抗されてどうにかなるとでも? ――この私が?」
「その危惧もないではない。けどそれ以上に、中庭でお前に食事させるのはちょいとショッキングが過ぎる光景だろうよ」
「どこがよ? 磨り潰して闇に飲み込むだけじゃない。散らかりもしないし、すごくマイルドでしょう」
「磨り潰す段階で獲物が絶叫するじゃねえか……アレ見て俺でもしばらく肉は要らんと思ったぞ」
「あなたが軟なのよ」
「一般的な感性だっての」
一般人でもないくせに一般的な感性なんぞ持っていてどうするというのか。仮にも先輩面をするのなら精神面でももっと超越者らしいとこを見せてほしいところだが……まあそれは今後に期待、ということにしておこう。
彼も私もまだ本当の意味で『神の使い』には成り切れていないのだ。
「――今はいいわ。まだ終わったわけではないんでしょう?」
「ああ。ローネンかリオンドあたりが直に交渉を持ちかけてくると踏んでるんだが、さてどっちが来るかな……」
死体の瞼をそっと下ろさせたゼンタが立ち上がったところで、空間の歪みを感じた。これは転移の門が開く感覚。同じものを察知した様子のゼンタと共にある一点を見つめれば、予測と過たずそこはぐにゃりと怪しげに曲がり、別の空間と繋がったことを私たちに確信させた。
「これも向こうの時空間魔法使いの?」
「まず間違いなくな」
ポケットに手を突っ込んだ不遜な佇まいでいるゼンタの横に、私も並ぶ。果たして彼の想像通りに主要人物のいずれかが話し合いにくるのか。それとも強硬策に打って出てくるのか……どちらにせよ何も問題はない。
私たちの敵となれる者など、この地上のどこにもいやしないのだから。




