550.許される?
「――『万世永夜』」
喧騒の中であってもはっきりと聞こえたその宣言。レンヤは瞠目する。
(野郎。使えるのか……!)
レンヤはゼンタと同じく魔力を持たない来訪者だ。それ故にどう足掻いても心象偽界の習得には至れない枷があるものの、【偽界】のスキル自体は持っているし育っている。
必中必殺を誇る恐るべき魔法も自分にはその効力を十全に活かすことができない――MPがないはずのゼンタがどうやって偽界を構築しているのかという一点には疑惑を抱きつつも、その時点のレンヤには確かに余裕があった。だが。
「――…………、」
目を奪われる。
それは例えるなら。
夜に歌う鳥の群れ。
夜に漕ぎ出す小舟。
夜に手を繋ぐ恋人。
夜に揺られる草花。
夜に探す金の指輪。
いやあるいは――目に映り肌に感じる全てが夜そのもの。月明かりすら黒く染まった永遠に明けることのない闇。
それが、空と大地を一瞬で通り過ぎていった。
無限の時間が瞬きの間に凝縮されたように。終わりのない夜が終わったとき、喧騒は痛いほどの静けさに変わっていた。
構築された偽界が解け、元の中庭でレンヤはちらりと背後を窺う。――そこにはもう誰もいなかった。
「……っ!」
四百人超の人間が消えた。音もなく気配もなく。何が起きたのかは一目瞭然である。レンヤ以外の全員はまだあの夜にいるのだ。彼らは偽界という脱出不可の牢獄に飲み込まれてしまった――。
「レンヤ」
「!」
名を呼ばれ、目をやる。ゼンタは泰然とした顔付きで組んでいた印を解いた。
「この世界における魔法ってのは原神が核石に仕込んだアクセントみてーなもん、らしいぜ。徹底したやられ役の人間までどうしてそれが使えたかって言うと、まあ、それも悪趣味の一環だな。二十歳も超えれば老人扱いだった時代には魔法もろくろく発展しやしない。黒の陣営に対抗するにゃちっぽけなナイフみてーに頼りないものだ。だけど武器があるから人は最期まで抗うことができたんだとよ。頼るそれがどんなに小さくても希望の象徴にはなれる――そう信じて無惨に死んでいく様を見て楽しんでたってわけだ。反吐が出るだろ?」
それはともかく、といまいち理解が及ばないレンヤに構わずゼンタは独白のように言葉を続けた。
「不憫に思った上位者が人類にくれたもんは意外と多い。環境の改善だけじゃあなく戦うすべも伝わって、その最たる例が『心象偽界』。魔法の極致とも呼ばれるそれは本来、世界から世界へ渡るための神業が形を変えたものだ。戦闘用に切り替わったのは当然として、その習得難度の高さから人間よりむしろ魔族御用達になってったのもまた当然の成り行きなんだろうよ。けどそもそもは上位者が伝授したもんだからな。師匠としてはうってつけだったぜ。弟子の俺はお世辞にも出来が良いとは言えなかったが……」
「し――師匠だと? まさかてめえは上位者に」
「おう、直に習って身に着けた。大変だったぜ? 管理者を名乗れるようにちょっとした訓練がいるっつって結局五年以上も缶詰だったからな。つって、現実じゃあ五日も経ってなかったのには助かったけどよ」
おかげで色々と身についたし、とゼンタは言う。
管理者としての、訓練。それが不可能を可能にした原因。MPを有していなければ来訪者が魔法を使うことはできない――そのルールを事も無げに破る今のゼンタはなれば真実、来訪者ではないのだろう。
管理者・柴ゼンタ。
それが現在の肩書き。
「ちょっと」
とんとん、とゼンタの肩を指先で叩いたのはもう一人の白ローブ。レンヤの予想に違わず女性らしい高いその声音には、ほのかな非難の色があった。
「殺したの?」
「いや、まだ死んじゃいない……わかってるって、あとでちゃんと全部お前にやるよ。俺だって早いとこお前が管理者になってくんなきゃ困るんだからな。サポートしてくれるんだろ?」
ふん、とその女は鼻を鳴らす。
「逆でしょう。貴方が私のサポートをするのよ」
「それでも別にいいけどよ。単にお前のほうが苦労するってだけだし」
「……やっぱりしばらくはサポートに回るわ。貴方よりも適任でしょうし」
「さいで」
衝撃的な事実を連続で知り、従えていた軍勢もなくし、拳を握りしめることしかできずにいるレンヤをまるでいないものとして扱うような二人のその態度。プライドの高い彼が再び歯を軋ませたのが契機となったのか、思い出したようにゼンタは言った。
「ああ、悪いけど連中は返せないぜ。あいつらの末路はもう決まってる。別に気の毒だとも思わんが……冥福くらいは祈ってやるさ。それよりお前のことだ、レンヤ」
「俺様がどうしたって?」
「やるか、やらないかだ」
「……」
「わかってるだろうが、勝ち目はないぜ。降伏を選んでくれるなら俺ぁこれ以上何もしねえ。闇ギルド所属でもお前だけは許される――」
「許される?」
と、そこでゼンタは失敗に気付いた。言葉選びを誤った。この状況がレンヤの神経を逆撫でてしょうがないものだとは承知していたが、特に言ってはいけない物言いをしてしまった。
案の定、レンヤは獣のように歯を剥いている。
「俺様が誰の許しを得なきゃならねえってんだ? 上位者様か? それともお前の許しかゼンタ。ヒャハ、ヒャハハハハハハハハハハハハ……こいつは愉快だぜ、なあゼンタ。――俺様が俺様であることに! どうしててめえらなんぞの許可がいるんだよ、えぇ!?」
怒気を全身から立ち昇らせながら一歩ずつ近づいてくるレンヤに、ゼンタは舌を打つ。
「そこで止まれレンヤ。お前をチンピラの犯罪者どもと一緒くたにしたくはねえ」
「ハッ! 大層なもんだなゼンタ。知らねえ間に随分と偉くなった。そのご機嫌さを俺様にも分けてくれよ! 【王冠】発動ォ!」
「馬鹿野郎が――」
ゼンタの言葉を待たず、レンヤは踏み込む。
【王冠】は持ち得る強化スキルの一斉発動と併用における負荷を軽減させる強力なスキルだ。その仕様は【聖魔混合】及び【聖魔合一】へと受け継がれた言わば参考元のひとつだが、レンヤにはそれを知る由もない。加えて言えば条件をいくつか付け加えた代わりにより強力になった【王冠】とも呼べるそれらのスキルの脅威を、今日この時の彼が知ることもなかった。
「ッ……?!」
見失った。踏み込んだ瞬間、既にゼンタの姿はなくなっていたのだ。
どこに、と考えるよりも。スキルが危機を訴えるよりも先に己の本能に従ったレンヤは全力でその場から脱することを図った。
「ガぁっ……!?」
だが間に合わず。なんらかの攻撃を受けて彼は逃げようとしたその方向へ吹っ飛んだ。身体が地面に擦られて止まったことで彼はすぐに起き上がった。そうして自分がいた場所に立つゼンタを見て、レンヤは愕然とする。
見えない。食らってもわからない。奴の動きが、何ひとつとして。
馬鹿な、と思う。こんなことがあり得るのだろうか? 【王冠】によって発動しているスキルの中には【天賦】も含まれる。【天賦】によって今の自分はゼンタのステータスに並んでいるはずなのだ。
仮に全ての数値で負けていたとしても、このスキルさえあれば差は差でなくなる。その状態から他の強化スキルが適用されているため、たとえゼンタが待ち構えている間にいくつスキルを仕込んでいようと上回れない道理などない――だというのに。
たった一度のやり取りだけでもわかる、この絶望的な戦力差はなんなのか。
「これでも管理者なんだぜ? もうお前の喧嘩相手にはなってやれねえよレンヤ」
「て、めえ――どの口がぁ!」
「言っとくが。俺はスキルなんて一個も使っちゃいないぞ」
「っ、」
激昂していても、思わず口を閉ざすだけの。それだけゼンタの発言は信じ難いものであった。
いや、スキル未使用の告知以上に。
それを告げるゼンタの瞳こそがレンヤには受け入れがたかった。
その、明らかに下を見る目。
自身が上に立っていることを単なる事実としてのみ認識している、その目付きが。
他の有象無象とは違う、唯一対等だと認めた男から――だからこそ屈服させたいと夢見たライバルから、そんな視線を向けられることが。
「――ヒャハ」
何よりもレンヤには許せなかった。




