546.俺たち人間と一緒に
俺の言葉を嚥下するための間を設けてから、それでも上位者は大きく首を捻った。
「うーん、さっぱりわかんないや。いったい何の時間を稼ごうっていうの?」
「大淘汰をやらねえためなら、お前のためにあくせく働く。そらぁもう馬車馬も顔負けってくらいに東奔西走して小淘汰の手伝いをしてやるさ――だがその代わり、お前にもばっちし働いてもらうぜ。前段階としてまずは意識改革ってもんをしてもらう」
「重ね重ね申し訳ないけど、ますますわかんない。私の意識改革ってなに? どんな改革が必要だっていうの?」
だってよ、と俺は言う。
「お前のほうこそ諦めてるじゃねえか」
「……、」
「先細りは仕方ねえって。いつか人類を守れなくなる日が来るのも仕方ねえって、すっかり諦めてる。延命措置のために四苦八苦はしてるようだが、根本の解決をしようとは露ほども思ってねえ……それがわかったから俺ぁ道具になってやることを決めたんだ」
トン、と音がした。それは上位者が肘掛けを指先で軽く叩いた音。小さいがよく響いたそれに乗っけるように、上位者は問いかけてくる。
「どういう意味なのかな。私が諦めている――いずれ訪れる世界の破綻を受け入れているのは、紛うことなき事実として。貴方にそう語ったのは私だしね……でもそれを知ることがどうして、貴方にその決断を促したのか。そこを教えてくれる?」
「何をしてもどんな手を打っても先細りになってくのは、お前が核石の制御を諦めてるからだ。どんだけ平和を築いても長続きしねーのは核石がそれを否定するから。お前の支配を脅かす全ての原因は核石にある――問題の根本はそれなんだ。なのになるべく触れないように、刺激を与えないようにとアンタッチャブルにしちまってる。そりゃあ何をしたってその場凌ぎの応急手当にしかならねえ。だって本当に健全な肉体を取り戻すためには核石を排除するっきゃねえんだからよ」
核石が存在している限り。
それがこの世界の土台を担っている限り、何をしたって無駄。言った通り根本の解決にはならねえ――なんせ根本に埋まってるのが諸悪の元凶そのものなんだからな。
魔皇も提起してブチ切れてた『先細り問題』をどうにかするには核石を取り除くor無害化・無力化させるのが絶対条件。そしてそれができるのは……上位者である目の前のこいつだけだ。
「お前を手隙にする。淘汰のことは俺に任せろ。他の細々としたことも全部『灰』か『灰の手』に回せ。少しでも長くお前が全力で核石だけに取り組める時間を稼ぐ。その時間を使ってお前には本当の支配者になってもらう。この世界の真の所有者にな。――それが俺からの提案だ」
「……………」
トン、トン、トン。と何度となく指先が音を立てる。そうやって上位者は沈黙の間を埋めながらも、決して俺から目を離すことなく何かを考え続けていた。そして。
「どれだけ無謀なことを言っているか、自覚はあるのかな」
「わかってらぁ。今こうして俺との対面に集中してるようでも、意識の大半は世界の管理に費やされてるんだろ? そのリソースを全ぶっ込みしたところで核石がどうにかなる保証はどこにもねえ、そんなことは俺にだって――」
「ううん、わかってないよ。ゼンタくんは健全な世界を『取り戻す』と言ったけれど、そもそも世界は不健全極まりないものだったんだよ。原神の邪悪な遊び場を、見てくれだけでも浄化させたのがこの『糸』なんだ。私が支配者として最初にしたのはなんだと思う? 貴方が言ったことだよ。『全力で核石をどうにかしようとした』。でもそれはできなかったんだ。新参者の神様には所詮その程度が限界ってこと――」
「言い訳はダサいぜ」
「!」
言葉の遮り合戦だ。だがお互い別に意地悪でやってるわけじゃねえ、これは主張のぶつかり合い。『灰』とやったのとはまた違う、俺と上位者との勝負なんだ。
負けてられねえし、折れてもやらねえ。
「何億年経てばその肩書きが外れるかは知らんが、新米だってことを言い訳に使うなよ。お前はこの世界唯一の『神』なんだろうが。支配者は原神じゃねえ、お前なんだ。お前がここを何千年と守ってきたんだぜ」
「……、」
「今のお前ならできる。神さまだって成長くらいするだろ。たった一年で俺は自分でも驚くくらいに変わったぜ――お前もこっちに来たばかりの頃とはてんで違ってるはずだ」
「――あは。挑戦しろよってことだ? できっこないと神が判断していることを、貴方からの後押しでチャレンジしてみろって? ……現状は悪い意味で安定している。大きな淘汰が必要だというこのタイミングでそんなことしてみていいのかな。下手すると先細りどころか今日が崖っぷちになっちゃうかもしれないよ」
「そんときはそんときだ。やらなきゃどうしようもねえならやるしかねえし、やって駄目ならもうしょうがねえ」
「……しょうがねえ、で済ませちゃうんだ? 貴方がそんなに守りたがってるのは世界というより、お仲間でしょう。彼ら彼女らに顔向けできるの? この世界で紡いだ縁に、自ら終止符を打つような真似を貴方はしているんだよ?」
「確かに口幅ったいことではあるが……これでもずいぶんと良縁にゃあ恵まれててな。俺のこの決断を責めるようなのは知人にいねえ。や、嫌味をぶつくさと言ってきそうなのは何人か思い浮かぶがよ。でもそいつらだってたぶん、反対はしない。何もしないで諦めるよりかは一か八かに賭けてみる。俺の仲間たちはみんなそういうやつらだよ」
「――」
少しだけ見開いた目をそのままに上位者は口を閉ざした。無言の質が今までとは違うように思える……まるで上位者は俺を見てるんじゃあなく、俺の瞳に移る自分自身を見てるような。そんな感じがしたぜ。
「だからお前も、諦めるな。破綻を受け入れるなんてことはしねえで最後まで足掻いてくれ。俺たち人間と一緒に」
言い切る。これで伝えたいことは全て伝えた。あとは上位者がどう思うか。どう判断するかにかかっている。
筋書だけ書いてあとは眺めるだけ。それをやめて、俺たちの手を取るか否か。それはつまり――たった一人だけこの世界の一員になれてない『仲間外れ』の立場から脱却するかどうかっていう決断だ。
固唾を飲んで返答を待てば、やがて上位者は。
「いつからか……弱くなっていたんだね、私は」
「……」
「だからなのかな。どんな苦境にもどんな受難にも心折れない、絶対に諦めない貴方を見て。あんなにも心が躍ったのはきっと、私がその気持ちを忘れていたから……納得したよ。理解じゃなくて納得だ。『あの子』の面影を追ってしまっていたのは、それだけ参ってたってことなんだよね。うん――訂正するよゼンタくん」
「何をだよ」
「この世界が惜しくないって言ったこと。『糸』が切れてもしょうがない、で済ませるにはちょっと愛着が湧き過ぎてたみたい」
「だったらどうするよ」
「うーん、頑張るしかないね。どうしても守りたい。存続させたい。自分の本心に気付いてしまったからには……気付かされてしまったからには、こうして座してばかりもいられないかな。意識改革だ。貴方のお望み通り、私は変わろう。より上位者たる相応しい私になろう。だからそのために」
立ち上がる上位者。その腰を与っていた真っ赤な椅子はどこかへ消えた。
それを受けて俺も『席』から立つ。
もう交渉の権利なんていらねえ。俺たちに駆け引きなんてものはもう必要ねえんだ。
「貴方はうんと苦労することになると思うけど――というよりこれは確定なんだけど。それでも私の手を取ってくれる?」
にこにことしながら脅しめいた文言を口にする上位者が差し出してきた手を。
俺は迷わずに握り返してやった。
「当然。なんでも言えよ、なんでもしてやる。ただし、お前のほうもしっかり頼むぜ」
「あは。OK、ちゃんとやる。貴方のクラスメートは送還するし、大淘汰もストップする。そして仕事は全部貴方たちに放り投げて爆弾の処理に専念しよう。……あっさり失敗してドカン!! となっちゃったらごめんね」
「謝んなくていいからそうならねーよう気張ってくれや――、うッ!?」
上位者の茶目っ気にしては不吉すぎる謝罪に呆れたところで、俺は異変を察知した。




