535.貴方がそれを望んでいるようだったから
「なーんて、ウソウソ! びっくりした? 本気にしちゃった? ジョークだよ、ジョーク。ゴッドジョーク! ちょっと緊張を解してあげようかなと思ってさぁ」
「――はぁ?」
ころりと。
静かな笑みで物騒な言葉を吐いた上位者の態度が突然、百八十度変わった。
呼び出して、テストさせて、なのに結局は俺の排除が狙いなのかと身構えかけたところだったんで、思わずズッコケそうになったぜ。なもんでその問いにゃあびっくりしたし本気にしたとしか返しようがないが、そんなことよりも。
あははー、と馬鹿みたいに威厳もクソもねえ表情をする今のこいつは……いよいよもって神と呼ばれるだけの存在にはまったく見えん。おちょくられたっぽいことよりも俺的にはそっちのほうがよっぽど重要だぜ。
「念のために確認するが、お前が上位者なんだよな……? 『灰』とはまた別の神の道具だとかじゃあなくよ」
「あはは、ここにきてそんな伏兵は出てこないから安心してよ。私の手足は管理者として作った『灰の者たち』だけだから……ああ、一応は来訪者もそのカテゴリだけどね。でも役割が違いすぎるから一緒くたにはできない――って、こんなことは今更語ることじゃなかったね。ゼンタくんはもう、ここらの事情はよくご存知のはずだし。ね?」
……気安く喋りやがる。『灰』の奴も大概、言葉遣いや態度は気安かったが。持ち前の圧倒的な強さを除けば神の道具らしい部分はどこにもなかったと思う……精々がその忠誠心くらいか。会話だけをするぶんには、何も不都合なんて生じなかった。
だがまさか、それよりさらに上。
上位者ともあろうもんまでがそうだとは――いや、ともすりゃ『灰』以上に普通な奴だとは思いもしなかったぜ。
謁見の場がどういうものになるにせよ、意思疎通には大なり小なり苦労させられるだろうと。なんとなく神を相手に対話するのはさぞ大変だろうと予想していただけに、これにはちと驚かされる。
意外っちゃ意外だが、話が通じねえよりは通じるほうが断然いいか……。
「世界がお前の人形劇の舞台も同然だってこたぁ、もう知ってるぜ。来訪者が自覚なしの主役で、管理者が裏方であり黒子だ。悪役は各時代ごとにお前が消えてほしいと思う者どもで……そして何故かその物語の過程においてお前自身は手を出さない。それくらいの知識なんだが、どうだ。何か訂正はあるか?」
「ないね。何も間違っていない。訂正しなくちゃならない部分はどこにもない――けれど補足の必要はあるみたいだね。主に『何故私が手を下さないか』という箇所についてだけど」
「聞かせてくれんのか」
「勿論。そのために貴方を呼んだんだ。だって貴方がそれを望んでいるようだったから」
「…………」
「ま、話そうか。じっくりと腰を据えて、胸を開いて、腹を割って……少しお互いを分かり合う。そういう時間にしようよ。ほらどうぞ、そこに座って」
「!」
いつの間にか、俺の目の前にも椅子があった。
上位者と程近い距離感で対面するそれは、なるほど。『席』に違いねえ。これが魔皇や『灰』の言っていた神と直接言葉を交わすための一席なのか。まさかそのまんま小さな椅子のことだとはな……へん、今日は驚いてばかりなんでいい加減慣れてきたぜ。麻痺してきたと言ってもいい。
椅子の背もたれに触れて、そのひやりとした感触を確かめる。なんてことはない、ただの簡素な椅子だ。これ自体に特別な何かがあるわけじゃねえらしい。
「普段は『灰』のもんなんだろう? こいつは」
「でも今は貴方のものだよ。私と話すための権利を、ゼンタくんだけが持っている。嬉しい?」
「ああ嬉しいね。テストの苦労が報われるってんで涙がちょちょぎれらぁな」
「あは、それならよかった」
にこにこと見守る上位者の視線に少し居心地の悪さを覚えつつ、俺は『席』へとついた。くぅ、座る動作だけで身体中が痛んでしゃーねえ。これなら立ってるほうが楽だったかもしれん……が、対話が長丁場になるなら絶対腰かけてたほうが楽だ。ここは我慢のしどろこだな。
「さてさて。どこから話そうかな……どうやって話すのが一番理解しやすいかな。ゼンタくんが知りたがってるはずのことは当然なんでも知っているけれど、それだけに何から教えてあげればいいのか難しくってねぇ」
「そういうときゃ一から順にが鉄則だぜ」
「ふんふむ。一から?」
「そう、一から」
「なるほど了解――ならまずは、この世界の本当の創造主のことからだね」
あ、そこらのことも承知してるよね? と擦り合わせのように上位者は訊ねてくる。俺はそれに頷きを返した。
「物証があるわけでもなし、ただの予測でしかねえけどな。けど確かに、現支配者のお前と元々この世界を創った神が別々だってこたぁ薄っすら気付いてたぜ」
「素晴らしい勘の良さだね。私もあの場面は見ていたよ。『灰』が出したお手紙を吸血鬼ちゃんがちゃんと届けてくれるか少し気になってたからさ。だから貴方たちが話し合うところも見届けた。全部じゃないのが申し訳ないけどね」
「そうかい」
俺と鼠少女とカーマイン以外、他には誰もいなかったあの場を「見ていた」と当たり前みてーに言われて少し頭が痛くなったが、これもまた予測できていたことだ。
どこであってもどこからともなく上位者は見ているんじゃねーかってな。これは予測ってよりも、神と名乗るくらいの野郎ならそんぐらいできなきゃおかしいだろうっていう諦め混じりの推測だったが。
だから、俺が気になったのはそこじゃない。
「全部じゃない、ってのは? 神さまのお前にも見れてねー部分があんのか」
「世界の維持にはそれはもう気を使うんだ、ゼンタくん。ここは特に核石ひとつで全てを担っている変わり種でもあるからね。少しでも気を抜けば取り返しのつかない事態になりかねない。それこそ、貴方が忌み嫌う淘汰を以ってしても、どうしようもない世界そのものの崩壊とかさ。それは嫌でしょう? 今も裏では『作業中』だけど、容赦してくれると嬉しいな。貴方との対話だけに集中しちゃうと滅んじゃうかもだから」
「そんなにシビアなのかよ? よくわからんがその、世界を維持する作業ってのは」
「うん。核石は常に新しい命を生み出そうとするけれど、私じゃそこから生まれたものを制御しきれない。そういうのって危ないんだよね。今でもギリギリの均衡で世界は回っているっていうのに、そんなのお構いなしにバランスブレイカーが出てきちゃうから……生まれてからどうこうするより、そもそも生まれさせない。それが最適解かな。だけど世界の基礎である核石の機能を停止させることはできないから、そこら辺の調整にはいつも難儀しててね。そのせいで時々『うっかり』も起こるんだけど、まあ、こういうやり方でも今日までこの世界は続いているし。過ちってことはないと思う。思うんだけど――うーん。それを言うなら私がここに来ちゃったことが最初の過ちだったのかも」
「元の創造主を追い出したことが、か」
「貴方も鼠ちゃんも私のことを乗っ取り犯みたいに言ってたもんね。そう言われちゃうのも仕方のないことではあるけどさ、でも聞いてほしいな。もっと言えばだよゼンタくん。こんな世界に生まれた命があることが根本的な過ちなんだよ。だから私はむしろ、自分を『救世主』だと思っている」
「――――、」
そこで初めて、俺は目の前のこいつから。
上位者から神らしい気配――かどうかはわからんが、ともあれ『人らしくない』気配を感じることができた。
表情にも喋り方にも雰囲気にも。何ひとつ変化はない。『灰』が戦闘モードに入ったときのような重すぎるプレッシャー、その片鱗すらもない。
だが違う。やはりこいつは、人間とは何かが決定的に違う。
その違和感だけは『灰』よりも強烈だった。
「この話をするのは貴方が初めてだから。私のことをちゃんと知ってね、ゼンタくん」
そう言って笑う上位者の瞳の奥は、どこまでも無機質であることに。
今になって俺は気が付いた――。




