528.そうすれば、きっと
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絶体絶命の窮地――否、千載一遇の境地に陥ったゼンタはそこで初めて【併呑】と【聖魔合一】を使いこなすに至った。
本領を発揮させたふたつのスキルの重ね合わせは実に効果的で、コンボというよりは右手と左手にそれぞれ強力無比な武器を持っているだけといった様相ではあったものの、それによって得られる強化の凄まじさは筆舌に尽くし難く、またその成果も如実に顕在化していた。
白い少女が地を蹴り、黒い少年がそれに追随する。遅れることなく自分を追ってきた影へ少女が振り向きざまの一発。コマ送りのように打つ瞬間から打ち終わるまでのモーションが見えないその攻撃に、しかし少年はしかと反応。首を傾け、ダッキングの要領で拳をやり過ごしながら接近。そして負けじと超速の打撃を打ち込む。
「うぉオッ!」
「おっと……!」
そのカウンターは空いている片腕によって防がれてしまったが、こんな風に『灰』と殴り合いができている時点でもう規格外。人としてどころか魔族としても来訪者としても外側にいると言っていい。何せ『灰』は――非常に珍しいことに――全力なのだ。全力の『灰』と向かい合って、凌ぎ合って、ぶつかり合って。
まだ立っている。まだ戦っている。そんなことは過去、どんな来訪者にだって成し遂げられなかった。まさしく前代未聞の偉業である。
ゼンタは神への謁見こそを目的としており、この戦闘は未だ道半ば。目的のための手段に手こずっている状態ではあるが、しかしこの時点で彼が英雄と呼ばれるに相応しい存在であることを。世界中から讃えられるに相応しい男であることを、否定する者はどこにもいないだろう。
しかし。
ああ、しかしだ。
それでも『灰』には及んでいない。
高速移動を繰り返し挟みながらの打撃のやり取りは、ゼンタが追って『灰』が追われる形で進んでいる。奇しくもそれは両者の実力面にまだ存在している差の視覚化でもあった。追い縋っているのがゼンタで、追い縋られているのが『灰』。彼我の距離は縮まっているがその図式に変化はない。戦闘開始当初から何も変わってはいないのだ。
『灰』から疑似覚醒モードを引き出せたのは大したものだが、皮肉なことにそれを引き出してしまったがためにゼンタに勝ち目はない。できることなら『灰』がそうなる前に倒してしまうべきだった――それが叶わぬまでもせめて一撃、痛恨の痛手を与えておくべきだった。
あの子を模した『灰』は、強い。何せあの子を模しているからだ。絶対に負けないあの子を。戦うとなればその時点では格上の相手にも必ず勝利してみせた、絶対的なあの子を。
大物食らいに関して言えばゼンタもその傾向が強く、彼もまた大概に勝ち目のない勝負にばかり挑み、それでも運と粘り強さで――悪運としぶとさで苦境を撥ね退けてきている。が、ならばそれと同じことが今も起こるのか。そうと問われれば首を横に振るしかないだろう。
あの子は格上にこそ強かったが、それ以前に格下には絶対に負けなかった。つまりは誰にも負けなしの、無敵だった。最強だった。怪物だった。
偽物でしかない『灰』ではあるが、しかしコピーではあるのだからその精神性は――どちらにおいても観測できる範囲で、という注釈は付くが――本物に近く、強さの在り方もまた程近い。
神の道具として生み出され、生まれながらに最上位の強度を持ち合わせていることで格上との戦闘経験など根絶皆無の『灰』だが、格下となら何度となく戦っている。無論、それは到底戦いなどと称せるような代物ではなかったけれど、負けなしという点では本物と同じである。
万が一にも『灰』を相手に大番狂わせを起こすことはできない。
そういった自覚を抱いてるかどうか、ゼンタはがむしゃらに食らい付く。
「うぉっらァ!」
渾身の右フック。が、空を切る。眼前を通り過ぎていった拳に構わず『灰』はゼンタの衣服の襟を掴み、引き倒した。首裏から猛烈な勢いで引っ張られたゼンタは打ち込み後の姿勢の崩れもあって抵抗ができず倒れ込む――しかし握っていた拳を解いた彼は、倒れる動きを利用して攻撃に転化。鉤爪のように立てた指先で『灰』の顔面を狙った。
小さく纏まった聖魔のオーラが、僅かばかりに尖っている。【併呑】で闇に質量を持たせられる彼は今や【聖魔合一】でも同じことができるようで、そのオーラは防具であり武具。そしてその指先の一本一本には先ほど『恨み骨髄』を用いて放った『極死』突きを超える破壊力が宿っている。如何な『灰』でもなんの防御もなしに受けられるものではない。これを食らってしまえば目鼻は先の比ではない被害を被ることになるだろう。
だが、それを承知で『灰』はゼンタの反撃を甘んじて受け入れた。
「ガッ……!?」
そしてその代わりに、殆ど逆さにひっくり返っているゼンタの後頭部を思い切り蹴り抜いた。
防御よりも回避よりも攻撃を優先させた。言うなればそれだけのことではあるけれど、これをやられるのがゼンタにとっては一番キツイはずだ。収支が合わない。引っ掻かれた顔をしかめている『灰』と、頭を打たれて地を転がり悶絶しているゼンタとを見比べれば、その割の合わなさは火を見るよりも明らかである。
いくら強化で差を埋めているとはいえそもそもの耐久力からして隔絶しているのだ。もしもこの戦法を『灰』が徹底するようであれば、ゼンタはもはや迂闊に攻め込むこともできなくなる。
「こんの――くそッたれめがぁ!」
いつもの……いや、いつも以上の憤懣を感じさせる悪態をつきながら彼は、しかし衰え知らずの闘志と共に立ち上がった。そうだ、これだ。へこたれない。諦めない。最後の最後まで戦い抜くその意思が、決して折れない。
そこに『灰』は希望を見ているし、無論――自分が彼を気にかける理由も同様である。
似ている、と言うのであれば。
彼のその精神性、在り方もまた――あの子によく似ている。
そこがゼンタ・シバという来訪者最大のセールスポイントと言ってもいい。少なくとも、私にとってはそうだ。
作業を怠るわけにはいかないので、楽しみにしていたこのイベントもながら見にはなってしまうが、けれど彼と彼の仲間たちの雄姿はちゃんとこの目に収めている。多少の見逃しは否めないけれど、それでも私は十分に満足感を得られている。今のところは。
しかし、高まった期待の分だけ怖さもあった。これで結局彼が『灰』に負け、認められず、謁見が取り止めになってしまうようであれば……がっかりなどというものではない。希望が大きいだけ失望も大きくなるのは摂理であり、ひとつの真理でもあった。だから私は期待をするのが怖いのだ。
昔はそうじゃなかった。なんにだって期待いっぱい、希望いっぱいに胸中が満ち溢れていたものだが――それも遠い遠い大昔の話。私がまだあたしだった時代の、二度と戻らない過去の話だ。
その頃に戻りたいとは、思わないが。
けれど今のままでいいとも思っていない。
そう気付かせてくれたのは他ならぬゼンタである。
だから――。
「頑張って欲しいなぁ」
手出しはできないけれど。あくまで試験官は『灰』であり、その判断に一任されるけれど。それでいいと決めたのは自分ではあるけれど。
しかしゼンタ・シバに負けてほしくない、諦めてほしくないと誰よりも願っているのは、きっと私なのだ。
彼はそれを身勝手な期待だと言ったし、なるほどそうだと納得もしたが。
だが大前提として。
過剰なる試練なくして、人が神の御許に立つことはできない。それはどんな世界におけるどんな神話を紐解いても必ず記されている、普遍にして不変の法則であるからして。
ならば是非とも彼には試練を乗り越えてもらいたい。
そうすれば、きっと。
彼もまた私のように――。
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