527.とてもとても残念なこと
闇を体内へ仕舞い込む。
どうしてそんな発想になったのかは、俺自身よくわからねえ。本当にふと突然、【併呑】で扱えるようになった先代魔皇やインガの力。種族に縛られてねえ今の俺ならそういうこともできるんじゃねえかと思い至った。
強靭な肉体がいる。そのためには後付けでもなんでもいいから、とにかく強化材料がいる。そして最もそれに最適なのは、俺の場合はやはり――闇を置いて他にはねえだろうと。そう考えたんだ。
ただ、ソラナキの闇だけならいいんだが。俺は欲張って【聖魔合一】がくれる光と闇が混じり合った聖魔のオーラまで一緒くたに取り込んじまった。ちょい苦手からすげー苦手に変わった光属性を、鎧としてだけじゃなく血肉として体内に取り入れるんだ。そのリスクは重々承知していたが、しかしそれでもやらない選択肢はなかった。
先の五十連もだが、ここまでの無茶をするのは全部が全部、『灰』があんまりにも強いせいだ。こいつの肉体が強靭にすぎるから。だから俺もこうして、強い肉体を手に入れるしかねえわけだ。
土壇場で未知数へ手をつけるこの蛮勇。こいつが吉と出るか凶と出るかはまだ不明だが、とにかく今の俺は。
生まれ変わっていくような気分を味わっていた。
光と闇の両方が、俺という存在をもう一段階。
別の領域へと押し上げていく感覚――。
◇◇◇
「……とうとう成ったか」
幽鬼の如く不安定に、体重を感じさせない所作で立ち上がったゼンタ。先ほどまでその身が強烈に放っていた禍々しさと神々しさが両立したオーラも今は鳴りを潜め、ほんの僅かに彼の全身を覆う程度に留まっている。
けれど、それはオーラの減退を意味しない。減った分は余さずその体内へ。『灰』の目には映らぬ場所で、されど見えずとも感じ取れるほど濃密に――そこで渦巻いている。
赤褐色の肌は黒味を増し、両の眼も真っ黒に染まり。瞳孔と髪色だけが灰がかった不気味な白色を保っている。覗き見える鱗や額の片側から生えた角もよりはっきりと、より長くその存在感を放っている。
金刺繍の施された黒い礼服のような衣装と相まって今の彼はどこからどう見ても人間とは思えない。魔族を目にしたことがある者なら、その誰しもが彼を生まれながらの魔族であると誤認するだろう。
だが、目を細めた『灰』の感慨はそれに由来するものではない。外見の変化など問題ではないのだ。重要なのはそこではない――あくまで中身。気質であり、性質であり、存在の質。その変化こそが彼女の視線を釘付けにしていた。
成った。
少々変わり種ではあれど、曲がりなりにも特異点として相応しき存在として。
ゆらりと立つ少年の姿からは、その気配からは、如実にそれを物語る音がする。
神の御使たる少女の耳朶に打ち付けられるは――『裏返った』音。
「誤作動が重なった結果だ。原因のひとつ目は【併呑】。これもまた、実験的なスキルではあった。けれど魔皇で実証実験は済んでいる。使い続ける内に人ならざる者へ変わっていきはするが、その有用性と安全性は保障されている……はずだったんだが。お前が【併呑】を手に入れて、ソラナキの闇を得て。しかもそれと相性が良すぎたのがきっかけだろうな。変化が急激過ぎるし、過激過ぎる。【併呑】だけじゃあそうはならない。同日にオニやドラゴンの力まで一遍に取り込んだことや、【聖魔合一】でそれらが『ドーピング』としてではなく、お前の元々の力であるかのように定着しちまったことも原因のふたつ目と三つ目だな。それがゼンタ。お前たちが言うところのバグに繋がった」
「…………、」
聞こえているのかいないのか。顔を下げたまま返事をしない黒い少年に構うことなく、白い少女は言葉を続けた。
「お前と同じような状態になった来訪者はこれまでにもいる。そういう奴が子供を持ったとき、その子孫は得てして強力な新種に――魔族になる。我が創造主はそれを面白がっているようだったが、俺は同意できなかった。強くはあっても俺にとっては有象無象だってのもそうだが、それ以前に。せっかく来訪者から変質した存在であっても、そこに至れなかった来訪者と同じく、何も為せずに死んでいくこと。俺にはそれがとても、とてもとても残念なことに思えてならなかったんだ」
魔皇や聖女もそうだ、と『灰』はかつてのとびきりを想う。
「あいつらは来訪者の到達点だった。【併呑】と【絶佳】。人ならざる領域へ足を踏み入れた切っ掛けはそれぞれ違うが、その以前からあいつらは強く、それ以降も自己を貫いていた。この二人ならひょっとして、と。百年前はそう『期待』をしたもんだ。だが結局……まあ、顛末はお前もよく知る通りだ。マリアはアリアの手にかかって、アリアはお前たちに退治された。救世の英雄として讃えられ、上位者からの覚えも良かった頂点二人がこんな結末とはな。しかし皮肉なことに、そう時代も経ず入れ替わるようにしてお前が辿り着いた。神域までな」
こちらを見ようとしない少年へ、『灰』は人差し指を突き付けた。
「次世代の『勇者』と『死霊術師』。マリアとアリアの活躍を喜んだ創造主様はもう一度、より完璧な二人の再来を望んだ。とはいえあの二人に続いてすぐに英雄が誕生するなどとは思ってもいない。しばらくは失敗続きになるだろうと覚悟はしていた――が、どうだ。まさにまさに。あの二人以上に変質し、なおかつ上位者に抗おうとする史上初の来訪者が、こんなにも早く現われたじゃないか。『勇者』がそこに至っていないことは残念だが、それでも! 言ったように創造主様は大いに期待しておいでだ。柴善太という一人の人間に対し、マリアやアリアでは叶わなかった分も含めて待ち望んでおられる」
わかるな、と念を押すように彼女は言った。
「これ以上の失望は許されない。だから俺は、お前を試すんだ。俺自身の趣味も混ざっていないとは言えやしないが。だが、全ては神のために。我が創造主のために俺はここにいる。お前の前に立ち塞がっている。……今のところゼンタ。お前は俺の『期待以上』だよ」
「――だったら」
「!」
「どこまでも好き勝手な期待を人にかけるくらいなんだ。お前たちのほうも、俺の期待に応えてくれやがるんだろうな?」
「ハ――それこそ愚問だろ、そいつは」
そう答えた『灰』を、ようやくゼンタは顔を上げて真正面から見据えた。そこに生じる圧ふたつ。視線同士がぶつかっただけ。ただそれだけで、両者の中間には歪みが発生していた。神域すらも揺るがす極度のプレッシャーが鎬を削り――。
「「――」」
同時にかき消える。
そして遥か上空で、『灰』とゼンタは拳を交差させていた。
「ッ……!」
「……ッ!」
クロスカウンター。互いの殴打で弾き飛ばされた両者は、共に中空を蹴って軌道を変え、またしても激突。だが今度はゼンタの伸ばした足が先に『灰』を捉えた。
「ゴふっ!」
したたかに腹を蹴られて息を吐く少女。が、その手はしっかりと自分を襲った脚を掴んでいる。
「!」
「そォらっ!」
ぶん投げる。それも真下へ。体勢を立て直す余裕もなく落ちるゼンタ。けたたましい撃音を立てて墜落した彼の肉体へ、お返しとばかりに少女の足裏が突き刺さった。
「がッは……!」
地面と蹴りでプレスされたゼンタの苦悶に、しかし『灰』は顔をしかめた。お返しにはお返し。ゼンタの手が己の片足をがっちりとホールドしており、放してくれない。ここからどうなるかは思考を巡らせるまでもなく目に見えている。
「オぉおァ! ――っ!」
「うッシャア!」
ならば先んじて動くまで。そう判断して足を掴まえたままのゼンタごと跳び上がった『灰』が、その勢いのままにもう一度彼を地面に叩きつけようと激しく足を振り上げて――それを待っていたゼンタはそこで手を放し、半回転。
手ではなく足がすっぽ抜けた『灰』の顔面へローリングソバットをお見舞いした。首を落とさんばかりの一撃――。
「!」
されど『灰』もさるもの。確実に決まると思われたその蹴りに、少女は腕でのガードを間に合わせていた。
「けっ。やってくれるな、てめえ!」
「そいつはこっちの台詞だろうが……!」
互いに空中で姿勢を翻した両者は、まったく同時に拳を繰り出した。




