521.それさえ信じることができるなら
「く、う……」
地に片手をつき蹲るナキリ。彼を庇うように前に出ながらも、大きく肩で息をしているマクシミリオン。
そんな二人を見やるユーキもまた、どうにか刀を握ってはいるものの……もはやそれを満足に振るうことはできないだろう。
疲れ果てていた。
全員共に疲労困憊。その窮状を作り出した元凶はしかし、戦闘開始当初から何ひとつ変わっていなかった――否。むしろ活力を増しているくらいだ。
全身から白い輝きを、そして目からは深紅の閃光を。
眩いまでの出で立ちとなった美しく、それでいて怪物的な少女は、自らの腰に手を当てて明後日のほうを向いていた。
「ま……こうなるわな。この状態になっちまえばもう戦いにはならないし、時間潰しにもならない。それはわかっていたんだが……にしてもちょっと期待をかけ過ぎたかね」
「……ッ」
歯噛みする気配を感じ取ったか、そこで相対するユーキへと視線を戻した『灰』は苦笑を見せる。
「ああいや、貶してるんじゃあない。文句を言ってるんでもない。俺をこうさせただけでも大したものなんだ。大金星だと思わなくちゃいけないだろうさ――お互いにな」
「大金星……」
この現状を指してユーキたちにとっての大金星とは、ふざけた物言いだ。だが否定はできなかった。彼女が本気となってからは確かに、まるで勝負の体をなしていなかったのだから。
鎧袖一触とはまさにこのこと、三人がかりの決死の攻めすらも片手で薙ぎ払われてお終いだった。手も足も出ない――しかしそこまでの力を引き出させたのは紛れもなくユーキたちなのだ。
そのことを大した戦果だと『灰』は言っている。
そうと理解しつつも、面と向かってその称賛を送られたユーキは。
「礼を言います」
「うん?」
「精も根も尽き果てたこの体ですが……あなたのおかげで、もう一振りくらいはできそうです」
プライドを傷つけられた。という、安い話ではない。
誇りでもなければ怒りでもない。命を懸けて敵地に立っている者に対して『灰』の自覚なしの暴言、それを契機に注がれた燃料の名は――使命感。
ここで自分が諦めては世界は、ゼンタはどうなるのか。そのことを改めて、まるで気遣いのない少女の台詞で思い起こされたのだ。
(なかんずく共感云々、ということではないのでしょうが……彼女には決定的に『人の視点』がない。極端に言えば何故私たちがこんなにも弱いのか。人ならざる、生物ならざる彼女にはそれすらもわかっていない)
ゾッとしない話だ。上位者の意思通りに世界の管理を行う『灰の者たち』。その正体がここまで逸脱した怪物であるとは。
一見して人らしく、会話も成り立つ。それが余計に不気味であると感じるほどに、管理者と呼ばれながらも目の前の少女はその対象がなんであれ、『管理する』という行為からは酷く遠くあるように思えた。
だからこそ、ユーキはここで折れてしまうわけにはいかなくなる。そしてそれはユーキだけではなく。
「あと一撃……せめてお供させてもらうよ」
「無理はするなよナキリ。なんだったら、お前のぶんまで俺が斬ろう」
マクシミリオンの手を借りてどうにか立ち上がるナキリ。彼は、『サンドリヨンの聖剣』によるスキル斬りの能力。それを利用して『灰』のシステム斬りを果敢に狙ったことで最も被弾が多くなった。
『灰』にはシステムによる保護が一切施されていないと知らされた今となっては無駄な徒労だったとも言えるが、ユーキ以上に矢面に立ち続けた彼の奮闘あってこそ『灰』も本気になったのだから、一概に無駄の一言で切って捨てられるものではない。
実際、鬼気迫る彼の剣気に『灰』が取り合う隙を突いて本命であるユーキの太刀を何度となく浴びせることができた。『灰』はいくら攻撃を当てても大してこたえた様子もなく反撃に出てきたが、そこを抑えてユーキを守ったのがマクシミリオンだ。
独自の剣術により幾度も少女の足を止めさせた彼の技巧はやはり三者の中でもずば抜けて高く、その足止めがなければユーキはとっくに地に伏して戦線から脱落していたことだろう。
この三人だからここまで戦ってこられた。たとえそれが『灰』にとっては戦いではなくても、しかし。
自分たちはまだ負けていない――!
武器を構え直し、疲弊した身でありながらなお気迫を増大させる戦士たち。その闘志にあてられながら……『灰』は嬉しそうに、だが気の毒そうに言った。
「その闘志は見事なもんだ。拍手を送ってやりたいくらいにな。だけどさ……お前たちはどうしたって違うんだよな。真っ当過ぎるというか、なんというか」
「……? それはどういう意味ですか」
「神域に立つ来訪者っていうのは。その括りに定まらず、人間っていうのは。どいつもとびきりイカれていた。そうでなくちゃここに立てない、立てたとしても何もできない……今のお前たちのように。これはそういう話だ」
「……、」
「極少数の例ではあるけどな。説教かましてきたり、話も聞かずにぶん殴ってきたり……俺が直接説得しなくちゃならない奴らってのはまあ、そうなるだけあってやっぱり滅茶苦茶なんだよな、色々と。柴善太もその枠組みに入るんだろう。けれど、お前たち三人はそうじゃない。強くはあるが常識的だ。どこまで行っても人の道……そもそも俺からすると人なんて、どいつもこいつも弱っちいもんだ。だからむしろイカれっぷりのほうが大事になってくるのさ。神域で試されるのはそういう部分なんだよ」
「そうですか――よく、わかりました」
「へえ?」
ユーキのすんなりとした返事に、『灰』はこてりと首を傾げた。
「わかったと言うわりには、刀を握る力が増している気がするな? 俺は遠回しに『不合格』だと伝えてやったつもりなんだけど」
まずもって、この三人との戦闘もどきはテストですらない。
これは謁見の権利を手に入れるための試練ではないのだ――それを行っているのはゼンタのところにいる『灰』である。その様子は大まかにではあるが、『灰の者たち』のフィードバックにより把握できている。
経過としては……順調とは言い難い。だが、こちらよりもあちらのほうが楽しんでいる。それは間違いのないことだ。
畢竟、ゼンタがテストを終えるまで。
それが合格だろうと不合格だろうと、命を落とそうと生き延びようと。
その結果が出るまで大人しくしていてくれるのなら、『灰』が拳を作る必要もない。
ユーキたちがこうまで痛めつけられる必然性など、初めからどこにもなかったのだ。
今からでも遅くない。どうせ勝ち目はないし、もっと言えばこの奮闘には意義もない。ならば潔く膝を折ってはどうか、と。多少なりとも遊べたことで拙いながらも満足を得た『灰』は、純然たる親切心からそう勧めたのだが。
「やはりあなたには人の心がわからない」
毅然とそう言われたことで、少女は目をぱちくりとさせた。
「それは――言葉を返すようだが。わからないのは当然だ。だって俺は人じゃないんだから」
「いいえ、そうじゃありません。あなたにもわかっているものがある。それは『強さ』と『弱さ』。その二元論に収まるのなら、あなたはとても話が通じる。けれどそれ故に見落としているのです。『強くあろうとする』心を。弱さ翻っての強さを。弱いからこそ強くあれる気高さを。人が人のために奮起し、立ち上あがらんとする力の尊さを……あなたはちっとも理解できていない」
「――」
もはや二の句もない『灰』を前に、ユーキはそっと瞼を下ろした。刀を構えたまま、つまりは最も良い緊張が保てる体勢を維持したまま、それを行う。
諦めを促す『灰』の言葉は、彼女にとって思わぬ収穫だった。
(オレゼンタさんもまだ負けていない。諦めていない!)
一対一だ。自分たち以上の苦境にいることは想像に難くない。だがそれでも、ゼンタは抗っている。孤独な戦いに身を投じている――。
――否!
(孤独ではない。たとえ異層だろうとなんだろうと、私たちとオレゼンタさんは共にこの場所で死力を尽くしている――共に戦っている! ならば……!)
探す。探す。探す。意外にもそれは外部ではなく内部、己の深層へと向けた作業になった。今やユーキの裡に存在しているのは紅蓮魔鉱石だけではない。
そう、彼女は確かに持っている。比類なき相棒との絆。その繋がりが結ぶ一本の糸を。
その先に彼はいる。それさえ信じることができるなら。
ユーキの思惑が叶わない道理はなかった。
「【聖魔合一】発動――!」




