516.気になってるんだ
ゼロの瀬戸際、ゲームオーバーぎりっぎりに減らされたHPを見て、やはりこいつには俺のHPがかなり細かい部分まで見えてる――あるいは読めてるらしい、ってのを確信する。
【補填】でHPを回復させるぶんのSPはまだ残っているが、もう次はない。こんなにじゃかすか非効率な変換をやってちゃいくら【SP常時回復】があったって追いつかねえ。HPを確保するとなるとスキルを使えなくなっちまう……もしも『灰』が、俺を殺す気がないのなら。
少なくとも今すぐやっちまおうってつもりじゃねえのなら、ここはあえて何もしないってのも手だ。
魔族化が進んでからの俺は実のところ、何もしなくてもHPが回復するようになってる。HPバーだけじゃ具体的な数字がわからねえのはいつも通りだが、SPと一緒にHPもじわじわと戻っていくんだから間違いねえ。
黒塗りになったちまったスキル欄に新しくHP回復系のもんが加わってる可能性もあるにはあるが、俺の感覚からするとそれは違う。こいつはスキルじゃなく、体質だ。以前はHPもSPも一晩眠れば大抵全快してたが、今じゃ眠らなくてもそれができちまう。
そういう体に、そういう存在に俺はなったんだ。
まさに、さんざ俺を苦しめてきた魔族の強敵たちみてーな生き物にな。
だったら、ここで焦って下手にSPを減らすよりも大人しく自然回復を待つのも賢いだろう。『灰』がトドメを刺そうとする素振りを見せねえならそれが正解のはず――と。
モルグが消されて、『不浄の大鎌』もぶっ壊されて、激痛に跪いて。
そんな状態でも頭のどっかじゃそういう風に我ながらクレバーに物を考えていられたんだが……けどそれもできなくなった。
『灰』の口から飛び立て思わぬ言葉に、冷静な思考なんてもんはどこかに吹っ飛んでっちまったからだ。
「今なんつった――俺がもう、レベルアップできねえだと……!? そいつぁいったい、っぐ!」
「そうだ」
どういうことだ、と聞く前に襟元を引っ掴まれてぐいっと持ち上げられた。強制的に半立ちの体勢にされたままで、俺は眼前にあるその顔を睨んだが、そんなことは意にも介さず『灰』は続けた。
「これだけ力の差を見せつけられても、お前の目に残る希望の光がなんなのか。ちょっとわからなかったが、そいうことだったんだな。それはつまり俺から得られる経験値が目当ての、なんとも来訪者らしい戦略が当てになっていたってわけだ。だけど本当、そうだとすれば残念としか言いようがないぜ。いや、狙いそのものはいいとは思う。経験値を欲しがるのは来訪者の常だもんな。それ自体は真っ当だ――だから惜しむらくは、そんな平穏無事ないつも通りが神域でも通用すると思い込んじまった浅はかさにある。これも既に言ったことだぜ? 神の世界に、お前たちが持つ常識なんて通用しないってな」
「……! そんじゃあ、まさか――」
「そう、さっきから戦っちゃいるが、お前に経験値は入ってねーよ。俺を相手にいくら戦い続けたところで誰も経験値なんて一切得られないし、故にレベルアップもできない。それはお前だけじゃなく、向こうの三人も一緒さ。おっと、三人の内一人は来訪者じゃあないんだっけか? まあ、とにかく。それを狙うだけただの骨折りになるってことは言っとくぜ。かつてここに招待したアリアやマリアも同じ。来訪者の経験値稼ぎが許される場所じゃあないんだよ」
「ッ……!」
今度こそ愕然とした。
こいつの言う通り、俺はレベルアップこそをこの難局を乗り切るための唯一無二の手段として当てにしまくっていた。
これまでそうしてきたみてーに、今回も戦いながらの連続レベルアップ。それでガンガンにHP・SPを回復させつつ、ステータスも伸ばしつつ、何より新たなスキルで状況を打破する。
そういう戦い方が染み付いていただけに、こんだけ強いのにまったく経験値をくれねえ敵……そんな慮外を前にしちまって何をどうすりゃいいのか、さっぱりわかりゃしない。
だが……薄々おかしなもんは感じてたんだ。
俺と『灰』の実力差は相当なもんで、だからちょっと一撃食らうだけでも貰える経験値は莫大なもんになってるはず……それを何発も食らって、俺に経験値を還元するはずのキョロやモルグとも一緒に戦って。なのに一向にレベルアップの表示が出ねーこと。
体感上ではもう既に繰り返しそれが起きてて不思議じゃねーってのに、一回すら起こらない。
何かがおかしい。とは、心のどっかで思ってた。気付けてた。
だけど――、
「気付かないふりをしてたんだろ? そうでなきゃいよいよ勝ち目が皆無だと、自分で認めなくちゃならないからな。それが怖かったんだろう、お前は」
そのものずばり。頭ん中で考えてたことをばっちし言語化されて、俺は口を歪める。当たってるからって何を言われても腹が立たないわけじゃあねえ。それに、惨めすぎるこの姿勢もそうだ。
俺は鬱陶しくも胸ぐらを掴み続ける『灰』の手を意地で振り払って、自分の足で立ち上がった。
「――うるせぇんだよ、いちいちよぉ。てめえがどんだけ高レベルなのかは知らねえが、同じ上位者の道具を見下すことがそんなに楽しいか? あぁ?」
俺は自分をクソ神の道具なんだとは断じて認めねえ……つーより認めたくねえが、管理者であるこいつの視点からすればそれは揺るぎない事実だ。
なんなら、こいつにとっては自分よりも上位者から遠くて、しかもその立場に自覚すら持たない来訪者ってのは見下して当然の存在なのかもしれねえが、こっちからすりゃんなことは知ったこっちゃねえ。
上から目線でこられてもただただ不愉快なだけだ。そもそも来訪者と管理者とではまったくその由来が違うんだから――と、そういう気持ちで問いかけた俺に、『灰』はどこまでもフラットに応じた。
「いや。俺にレベルなんてものはないぞ」
「……!?」
「むしろなんであると思った? こんなにも来訪者と管理者には違いがあるんだと、お前にも理解できてきているはずだぜ? レベルがあって、ステータスがあって、スキルがあって。それは全部来訪者だからこその特徴だ。だってのに、『灰』に同じものがあるはずないだろ」
「……言われてみりゃ、スキルを使ってる様子もまったくなかったな。全部が全部ただの身体能力。素の力でやってることだってわけか……馬鹿らしくて敵わねえぜ、ったく」
「その通り。俺は最初からこの強さで、この先もずっとこの強さだ。成長も含めて創造主様を楽しませることがお前たち来訪者の役割だが、俺がするのはそのお膳立て。あくまで裏方だからな。そこに物語はいらないんだよ。だから下限にして上限。決まり切った強さで生み出された」
「初めからべらぼうに強くあるようにっつって、上位者の手ずから丁寧に作られてると。はん、そりゃあ強いわけだぜ。うんざりするぐれぇによ」
「だろ? だけどこれでも、モデルになった本物にはまるで及んでいないらしいがな。模倣じゃ限界があるらしい。ああいや、別に悲しんじゃいないぜ? 俺は所詮偽物で、道具だ。役割を担うこと以外に目的はない。故も知らないオリジナルのことなんてどうでもいいし、この強さにだって特別思うところはない――けれど」
ちょっと気になるんだよな。と、『灰』はそこだけを独り言のように小さな声量で言った。
「気になる……?」
「ああ。お前たちみたいに……俺以外の全部みたいに。本物として生きるっていうのが、どういう感覚なのか。自分のために生きて、自分のために戦って。それができるっていうのは、どういう気分なのか。徹頭徹尾が神のためにある俺にはちっともわからないものだからさ……そう、ほんの少しだけ、気になってるんだ」
そう結んで、ふと俺から目を逸らした『灰』は。
初めて俺の目に、見かけ通りの少女のような、迷子の子供のような――弱い姿として映った。




