509.いつだって俺を動かしてきたのは
「『極死拳』――なにっ!?」
確実に過去一番。そうと言い切れるだけの踏み込みで間を詰め放った、その一打。
かつてない強敵を前に昂った気持ちが生んでくれた最高の打撃は……難なく受け止められていた。
ただの平手。なんの工夫もない『パー』が、伸び切った俺の『グー』をその力関係のごとくにシャットアウトしている。
「っとと。100レベルにもなってない来訪者にしちゃいいパンチだ」
「っ……!」
なんつー物言い。これが一歩も動かずに俺の最高を止めた奴の言い草ってんだから笑えてくるぜ……自分自身のお粗末加減にな。
腕が伸び切ってるってこたぁ、この拳は最大の威力を発揮してくれたはずだ。出掛かりを潰されるとか伸び切る前に抑えられるとか、そういう技術的な防御じゃあない。
一番いいところで届いた拳を、ただ手で阻んだ。『灰』がやったのはそれだけであり、そしてそれだけで十分に事足りるほど――俺と『灰』にはとんでもねえ差があるってことになる。
「ちぃ!」
腕を引っ込める、と同時に反対の腕で殴る。それを『灰』は、俺よりも二個ぶんは低い位置にある頭をひょいと動かすだけで躱した。しっかりと見えてやがるし、見切ってやがるな。ひたすらアクセル吹かしてる俺の動きにこんなゆったりと対応できてるのがその証拠。
さらに言やぁ、諸々の強化スキルの恩恵を受けた俺よりもこいつの素のほうが性能で遥かに勝ってることの証明でもある。
「おらっ!」
「!」
だがそんなことで怯んじゃいられねえ。まだ出されたままのパーの腕を引っ掴み、空振った左腕も搦めて『灰』の関節を極める。いや、極めるんじゃ遅ぇし甘ぇ。このままノータイムで折る!
普通立ったままでの関節技ってのはもっと完全に極める(寝技の締めとかな)ための繋ぎとして使うもんだが、これはルールのある戦いじゃない。即座に腕を破壊しても文句はどこからも出ねえうえ、まずこいつからギブアップを引き出せるとも思えねえ。
そもそもここから別の形に持ち込もうとすんのがこいつ相手にゃ欲張りすぎだ――取ったからにはすぐ壊す! 少しでも戦力を落とさせてこの先を有利にするのが吉だぜ。
と、思ったんだが。
「おいおい……! マジかてめえ?!」
お、折れやしねえ……! 全力で! こっちは両腕を使って全体重をかけて! 何がなんでも肘を壊そうとしてるってのに、ちっともそれが叶う気がしねえ。
まるで鉄骨でも曲げようとしてるみてーだ。いや今の俺なら鉄骨だろうと平気でへし折れるはずだが、『灰』の肉体はそんぐらいに飛び抜けて頑丈だってことだ。
こんな細っこい腕のどこにそれだけの耐久性があるってんだよ、おい!
「よっと」
「うぉっ!?」
無造作に『灰』の腕が振られ、俺は宙へとぶん投げられた。なんとか転ばずに着地はできたが、目を向ければさっきまでいたはずの場所に『灰』の姿はもうない。
「こっちだぜ」
「!」
わざわざの声かけ。【先見予知】からのアラームがないってことは『灰』の奴は攻撃体勢にすら入ってないんだろう。そう理解した俺は防御も回避も選択から捨て、即座に声が聞こえた真横へと蹴りを放つ。当然そこに『極死』を乗せることも忘れない――が、やはりそれも小さな手の平であっさり受け止められた。
「ふーむ……」
「ッ、」
ゴウッ、と衝撃だけが駆け抜けていく。それだけの破壊力が『極死』蹴りにはある。だがそれを止めた腕も体も一切揺れず、そして表情さえも変わらず。
『灰』にはなんの変化も生じちゃいない。
「まあ、悪くない。とびきりだもんな、ゼンタ」
「あぁ!?」
この言葉にも態度にも。別に構うことはねえ、と俺は連続で殴打と蹴りを繰り出していく。
なんのつもりか『灰』はちっとも攻めてこようとしねえ。舐め腐ってやがるのかそれともこれがこいつなりの審査の仕方なのか。どっちにしろ反撃がこないってんならそりゃチャンスだ。この余裕が打ち崩せるまで打ち続けてやる……!
そんな気概で攻め立てる俺だが、ムカっ腹の立つことに『灰』はひょいひょいと躱しながらお喋りまでしてきやがった。
「やっぱり個人でひとつの特異点だってことさ。伝わってくる感触からすると向こうの三人もそれなりみたいだが……それを踏まえてもゼンタ、お前は飛び抜けている。アリアやマリアからそう間を置かずにお前みたいなのが表れるなんてな。創造主様の世界を跨いだ『連れ去り』が真実ただの偶然で行われているのか、俺も少しばかり疑問に思えてきたぜ」
「偶然じゃなかったらなんだってんだ!」
「偶然じゃないなら必然だろ。神の目に留まるべくして留まった。つまり偶然選ばれること自体が必然の内だったという考え方だ。ま、これはどっちが先かっていう話になって堂々巡りなんだけどな」
「……!」
無作為のピックアップに選ばれたのを単なる確率と取るか運命と取るかは、確かに意見の分かれるところだろう。たまたまだからこそ運命的に感じるし、それは確率がシビアであればあるほどその実感を増すだろう。
上位者の来訪者に選ばれたのは偶然か、それとも必然か。
――俺の中での答えは決まってる。
「んなのただの運だろうが……! それも最低最悪の不運だぜ! そうじゃなきゃ、こっちの世界で死んじまった俺のクラスメートたちは! 担任は! それがそいつの運命で、必然だったってことになっちまう――そんな馬鹿げたことがあってたまるかよ!」
「けど本当のことだろ?」
「ああそうだ、それが現実だ! くそったれの上位者が俺たちを弄びやがったせいで、運命ってもんが狂ったんだ!」
「ははっ。生き延びてこの場に立っている男がそれを言うか」
「幸運なことに俺には悪運があるようなんでな……だから代表して話をつけにきた! 死んでいったやつらの無念を! 見て見ぬふりはできねえからなぁ!」
「ほー。そうかい」
するりと。
このとき初めて『灰』は俺の懐へと入り込んできた。それは攻撃を避けるついでのごく何気ない動作だったが、なのに俺は反応することができなかった。
『先見予知』の警報が聞こえてきたかどうか――、
というところで、それに被さって鈴の音のような声が告げた。
「甘ったるいぜ」
「ガッ……!!!」
腹が丸ごとなくなった。そう勘違うほどの痛み。それが殴られたせいだと理解するのに一瞬時間がかかった。
は、速すぎる――そして強すぎる!
これがこいつの拳の威力……!?
「っう、グぅ……、」
「どうにもこうにも足りてねーな、ゼンタ」
ぴったり半分。
たったの一撃で半減させられたHPバーを確かめつつ、俺は膝をつく。とてもじゃねえが立っていられなかった。
この魔族化状態でもここまでのダメージとはさすがにぶっ飛びだぜ……【金剛】をかけてりゃまだマシだったかもしれねえが、スキルを発動する暇なんざなかったんだから仕方ねえ。
俺にはこいつがいつ拳を握ったのかさえわからなかったんだからな……!
頭の高さが入れ替わったことで、俺を見下ろしながら『灰』は続けた。
「何を叫ぼうとどうれだけ意気込もうと、これがお前の言うところの現実だ。お前はそうして跪き、俺はこうして立っている。この力の差こそがどうしようもない必然の象徴だろう? いいかゼンタ。死んでいった命の無念なんかじゃない。お前が背負ってるのは、お前自身の無念。それと無力さだ」
「……、」
「理由を人任せにしちゃいけないぜ。強さを他人のおかげにしちまうと、弱さまで他人のせいってことになる。お前の強さも弱さも、お前だけのもんだ。お前が培ってきたものだ。もっと根本を思い出せよ。お前の原動力になってた何かを取り戻せ。柴善太って人間は本当に、ただ人のためだけに。世界っていうあやふやなもののために命を投げ打つような奴だったのか――?」
「「違う」」
俺と『灰』の言葉が重なる。
そこから先は俺だけのセリフになった。
「俺の根本にあるのは同情じゃねえ、責任でもねえ……いつだって俺を動かしてきたのは――『怒り』だ」




