507.だから灰なのさ
偽界と偽界は食い合うものだ。互いが互いを飲み干し嚥下せんと干渉を行う。それが偽界使い同士の戦い。なので、よほど相性や悪かったり術者の力量に差があれば、片方の偽界が展開すら許されずに食われるという事態も起こり得る。
しかしそれはあくまで理論上の話。そこはやはり偽界を習得した実力者同士であり、また偽界使いの総数そのものが少ないという点も合わさって、一方の作り出した世界が何も為せずに消えるなどという珍事はまず現実には起こらないと言っても過言ではない。
ないのだが――。
「無駄な努力」
「!」
ナキリからユーキへ。臍を噛む次期聖女候補の娘へと視線を移した『灰』は、労わるような口調で言った。
「俺個人としては嫌いじゃないが、それでも言わせてもらうぜ。神域を人間如きのちっぽけな偽界で破ろうなんざ、無駄が過ぎる。不遜が過ぎるってもんだ。それ以上石の魔力を浪費しない内にすっぱりと諦めることだな」
「……!」
「お前たちの常識が通用する場所じゃあないんだよ」
あまりにもなその宣告に、三人が押し黙る。
けれどその沈黙が、見つからない反論を探してのものではなく――三者が三様に別のことに頭を働かせていること。即ちこの状況をどうにかして覆さんと画策していることを見抜いた『灰』は、くすりと笑った。
「そんなにあいつの下へ行きたいか」
「――当然です。私たちはそのためにここにいるのですから」
臆せず肯定したユーキに、ナキリとマクシミリオンも頷く。
管理者を前にしている自分たちよりも、一層にマズい立場にいるのがゼンタだ。たった一人にさせられた彼が、今どんな状態にあるのか誰にもわからない。その手掛かりを握っているのは他ならぬ目の前の少女なのだが、ナキリの問いにもはっきりとした答えを返してくれないあたり、訊ねるだけそれこそ無駄だと彼らもわかっている。
とはいえ。
仮にこの少女が神域のどこかにいるゼンタの様子を映像付きで確認させてきたとしても、それがフェイクでない保証はやはり、少女の舌先三寸で決まることなのでどのみち信用などできはしないが。
確かめるなら自分の目で。そのためには――この場所からどうにかして移動する必要がある。
そして、その方法を知っているのもまた。
「悪いな」
と、本当に申し訳なさそうに『灰』を名乗る白い少女は言った。
「仲間を想うお前たちの気持ちはよくわかる。皮肉じゃあないぜ、本音さ。そういう『弱さ』がわかるように俺は作られているからな……だから胸が痛んで仕方がない。どれだけお前たちが願おうと、ゼンタには決して会わせてやれないってことが心苦しいんだ」
「それは何故だ?」
「邪魔だからだよ」
端的な問いに、端的な答え。眉根を寄せたナキリに対し、『灰』は「そりゃそうだろ」と肩をすくめた。
「それ以外に理由なんてあるか? 我が創造主様は一対一の対話をお望みなのさ」
「わからないな」
そう言葉で斬り込んだのはマクシミリオンだ。彼は鋭い視線と共に白い少女へ質問を投げかけた。
「上位者ともあろうものがたかだか人間三人ばかり、どうして排する必要がある。世界中の命をどうとでもできる存在にしては、少々やり口が矮小ではないか?」
言外に上位者は自分たちのことを恐れているのか、という挑発の意味も込めたマクシミリオンの問い。だが、それがわからぬわけでもあるまいに『灰』はなんのリアクションも見せずに飄々と応じた。
「神からすれば人間三人くらい、たとえどれだけの実力者だろうと誤差のようなもんだろうけどな……だけど思惑がどうであれ、神が謁見を許したのはゼンタ一人だけだ。となれば、その真意ならぬ神意はなんだっていい。そうと決められたからにはそうなるのみ――俺もお前たちも神の決定をひっくり返せやしない。単純な話だろ?」
それにな、と『灰』は言う。
「神と対話するための席はひとつだけなんだ。普段は俺が座ってるそこを、特別に空けてやってるんだぜ。その上で呼ばれてもない人間まで歓待する義理はないだろ? こうして事情を説明してやってるだけありがたいと思ってほしいな」
「「「……、」」」
「だからほれ、そう気色ばんでないで肩の力を抜けよ。どういう形にしろ対話が終わるまでお前たちも大人しく待っていればいいんだ――と、言っても。聞きやしねえよな」
それぞれ武器を抜き放った三人を見て、『灰』は呆れと愉快さが混じった表情を浮かべた。
こうなることは薄々わかっていた。どう口で説得したところで次には矛を交えることになるだろうというのは、監視を通して彼らを知る『灰』にとっても予想通り。あまりに予想通り過ぎて可笑しいくらいだった。
「嗤いますか。神の領域で、神のしもべに挑む私たちの無謀を」
「いいや? 言ったろ、無駄な努力は嫌いじゃないって。叶わないと知りながら足掻く人間を、どうも俺は嫌いになれない――むしろ好ましい。だから大人しくしろと口ではいいつつも、実は嬉しかったりするんだぜ」
「嬉しい?」
「ああ。お前たちは絶対に俺に勝てない。だけどそれでも、諦めたりはしないんだろう」
それが嬉しいのさ、と。
愛らしい笑みを作る少女の、それだけで敵対心が揺らぎかねない雰囲気が――次の瞬間には一変する。
「「「ッッ……?!!」」」
腕が、足が、体中が――心さえも。
今までに感じたこともない重圧で動かなくなる。自重が百倍にでもなったような錯覚を受ける三名が三名共に、あの日の魔皇すらも比較にならないプレッシャーを受けて。そしてそれを放つのがこの小さく美しい少女であることに愕然とし。
「優しく手折ってやるよ」
そこから絶望的な戦闘が幕を開けた。
◇◇◇
「ん……、」
名乗れというものだから肩書きも合わせてちゃんと自己紹介をしてやれば、それに何を返すでもなく『灰』は妙な顔をした。それはまるで、俺とは別の何かにふと気を取られたって感じの仕草だった。……ここには俺とこいつを置いて他には何もねえってのに、だ。
「どうしたよ」
「いや、大したことじゃないさ柴善太……賑やかなことだと思ってな」
「……ユーキたちにゃ何もしてねえんじゃなかったのか?」
「俺からは何もしちゃいない。選んだのはあいつら自身だ」
「戦ってるのか」
「そうみたいだな。向こうにいるのも『灰』とはいえ、異層じゃそこまで詳しくはわからないが。ま、バトってるのは確かだぜ。戦局は――どうなってるかなんて、言うまでもないか」
「…………」
ユーキたちから仕掛けた。ってのが本当なら、まず間違いなく俺を心配してくれてのことだろう。
敵地で単身姿が見えなくなった仲間がいたら、そらぁ心配する。逆なら俺だって平気じゃいられねえ。
そんだけ不安にさせといて、しかも戦うことまで選ばせちまって悪いとは思うが……俺も今すぐに合流を目指す、ってことはできそうにねえ。
「向こうにもお前がいるっつーのはどういう意味だ? 他の『灰』が相手してるんじゃあないのか」
「俺は管理者で、神に作られた道具だからな。この世界と同じくどこにでもいてどこにもいない。だから灰なのさ。白でも黒でもなく、その境界線上にこそ俺の居場所がある。俺は無数であり、一個であり、だけど本質的には存在していないんだよ」
――わからん。さっぱりわからん。ヴィオの時空講釈と同じかそれ以上に難しい。
俺の脳みそのスペックじゃちょっと処理しきれそうにねえ……なもんで、まだしもわかりやすそうな部分だけをピックアップしとくか。
「無数なのに一個だってこたぁ、あれか。お前の分身みてーなもんがユーキたちのところにもいるって理解でいいのか?」
「分身ね。ゼンタにとってそれがしっくりくるなら、それでもいいぜ」
「はっきりしねえな……分身だとして、オリジナルはどっちなんだ? それともどっちも違うとか?」
「ああ、違うね。その例で言うなら『俺たち』の本物と呼べる存在は、そもそもこの世界のどこにもいやしないんだから」




