504.行っておいで
鼠少女からの干渉に反応し高まる紅蓮魔鉱石の力。瞬く間に輝きが増して、赤がより強烈にシェルター内を照らし出す。それに伴って俺たちの緊張も否応なく高まっていく。
「道を開くまでがぼくの仕事だ。責任を持ってその任を果たすと約束しよう」
石の力を確かめるようにしながらそう言った鼠少女は、ふとこちらの様子を見て苦笑を漏らした。
「大丈夫。転送は自動で行われるから、いま君たちが何をする必要もない。もっとリラックスしてくれていいんだよ」
と、言われてもな。勧められるまま本当にリラックスできりゃあ大したもんだが、この状況で張り詰めるなってほうが無理あるぜ。それにまったく未知の世界に飛び込もうってんだから、今の内からバリバリに警戒しとくに越したことはねえ気もするぞ。
「多少硬くなっちまってんのは認めるけどよ、油断して下手こくよりかは断然いいだろ?」
「確かにそうだね。OK、ならその集中が切れないうちにさっさと『通路』を開いてしまうとしよう――」
そう言うと鼠少女は瞼を下ろして、ぶつぶつとただひたすらに何かを念じ始める。声が小さくて何を言ってるのやらわからねーし、特別な目をこの場面で閉じちまうのかと意外にも思ったが……作業は順調らしい。
何がどうなってんのかはさっぱりだが、俺にもはっきりとわかるほど紅蓮魔鉱石の質が一変したもんでな。
「「!」」
委員長とマクシミリオンの表情が強張ったのが視界の端で確認できた。無理もねえ、俺のギルドハウスやユーキの覚醒のように、石の力を普段使いしねえやつにとっちゃこの感覚は異質に過ぎるだろうからな。
所有者に従ってその在り方を様変わりさせる紅蓮魔鉱石は、それだけでも神秘の証とされる通常の魔鉱石とすら一線も二線も画すぐらいの代物だ。……この言い回しが合ってんのかは知らねーけど、とにかく目の前のこれは、それだけ日常じゃ見ねえ現象だっつーことが言いてえんだ。
それにしても、すごいな。ギルドに使ってるぶん慣れてるような言い方をしちまったが、そんな俺でも思わず気圧されるくらいの独特なプレッシャーが空間を支配している。
――異質中の異質。ケースバイケース、用途によってがらりと力の質を変える紅蓮魔鉱石だが、鼠少女はたぶん過去に一度も例のねえ使用法でこの石へアプローチを仕掛けているんだろう。
と、異様な空気感に俺がごくりと喉を鳴らす横で、唐突にユーキが挙手をした。
「なんだい?」
目は閉じたままだってのにまるで見えてるみてーに――おそらく本当に視えているんだろうが――用件を訊ねる鼠少女に、ユーキのほうも戸惑いなく答えた。
「道を開いてしまう前にいいでしょうか? 少々懸念があるのですが」
「聞こう」
「魔皇との戦闘で起きた出来事を思い出したんです。あの人は心象偽界の展開を用いて私とオレゼンタさんを分断しました。『特定の対象のみを己が世界へ引きずり込む』。これは偽界の使い方としてはなんら珍しいものではありませんし、また偽界と神域を同列に語れはしないというのも門外漢ながらに理解できます。しかし……偽界の発祥が神の構築する領域にあるのであれば、神もまたそれを用いて魔皇と同様の行いをする可能性もあるのでは? つまり――」
「世界を渡る際に、柴くんのみを連れ去ろうとすることも考えられる……!」
結論を引き継いだ委員長が、やけに愕然とした感じでそう言った。そのデカいリアクションにはちょっと困惑させられたが、まあ俺も気持ちは一緒だ。
ユーキの不安、的中が全然ありえっぞコレ。
つーかやってくるだろ絶対。
招待されたのは本来、俺一人。
その真意ならぬ神意を知るのはそれこそ神のみぞってところだが、とにかく上位者と管理者がご所望なのは俺だけとのことだ。
他の面子はお呼びじゃない……なもんで、道が開けたとしてもそこを通れるのも実は俺だけだ、ってのはいかにも向こうがやってきそうな手口じゃねえか。
「ふむ……そうなると前提から変わってくる。作戦の練り直しが必要だな。いやいっそ、この任務への着手自体を見直さねばならないだろう」
分断の懸念をそのままにはできない、とマクシミリオンが重々しく告げる。それに対して委員長も「僕も同感です」と断固とした口調で同意を示したが、そこにきっぱりとした声が割って入った。
「懸念尤も。けれどその点も抜かりはないよ。ちゃんと君たち全員が通れる道を開いてみせるさ……ぼくに任せてくれ」
「……!」
任せてくれ、か。鼠少女にしちゃなんか、珍しく強めな言葉使いだな。
しかしどうやら、ユーキと同じ危惧はこいつにもあったようだぜ。あちらさんが用意した道が俺だけしか通れないようになってやしないか、しっかりと目を光らせるつもりでいるらしい。
普段とはちょいと違う態度も含めて、今の鼠少女にはやる気ってもんが満ち溢れてるように感じる……うむ、これなら道のこたぁ任せちまってもよさそうだな。
「わかりました。信じさせてもらいますね」
物申したユーキも俺と同じ感想を抱いたんだろう。上げた手を静かに下ろして、それ以上は何も言おうとしない。
その様を見てマクシミリオンも、そして一番反応を示していた委員長も口を閉ざした。
あとは信じるのみ。
それから、出来上がった通路へと恐れず突っ込むだけだ。
「随分と重たいな……」
しばらく静寂が続き、張り詰めた緊張感が刻一刻と高まっていく。そんな中、黙々と作業に勤しんでいる鼠少女がぽつりとそんな言葉を漏らした。よく見りゃその額には汗が滲んでいる。
大変な作業をしてるっぽいってのはわかっちゃいたが、いつも飄々としてるこいつがちっとも疲労を隠せないほどに根気のいることをしてる――翻って、それだけ上位者の領域へ足を踏み入れるってのはおっかないことなんだってのを、ありありと見せつけられてる気分になってくる。
向こう側からのお膳立てがあって、そのうえで世界を越えられる鼠少女の助力があって、初めてようやくだ。謁見の場に立つってだけでもとんだ一大事だぜ、まったく。
いったい神域とやらは、そしてそこにいるっつー上位者はどんなもんなのか。
それを今から拝むと思うとさすがにブルっちまうが、何もそれは恐怖だけが理由じゃねえ。怖さと一緒にどっか楽しさもある。
どうも俺は――ワクワクしてるらしい。
へっ、『悪鬼羅刹』も発動させてねえってのに、鬼の血が騒ぎ出してきやがったか? それとも肉体の変異に伴って精神まで変わり、こんな土壇場にも心を躍らせちまうことが、俺っていう人間の当たり前になっちまってんのか。
「――できた」
「!」
いつの間にか拳を強く握りしめながら考えに没頭してた俺は、鼠少女の呟きで我に返った。
今や赤の光はこの空間にある全てを満たし、沈め、その圧倒的な力強さで包み込んでいる。ここが既に、もうどこか別の世界みてーだ。そしてさっきまでよりもくっきりと浮かび上がる、充満した力の中心である紅蓮魔鉱石、その周囲。いやあるいは、その内部。もしくは俺の眼前に。
『道』がある。
ぽっかりと開いたそれが、俺を手招きしている。
「…………」
これが、神域に繋がる通路。
自然と吸い込まれそうになるのをどうにか堪えて、今一度周りを確かめる。ユーキ。委員長。マクシミリオン。三人も俺の顔を見て、そこに意思を刻むように、しっかりとゆっくりと頷いた。……うし、みんな心の準備はできているようだぜ。
「行き先は間違いなく神の領域だ。ぼくが保証しよう。つまり、この先では常人には踏み込めない、まったく予想のつかない世界が広がっている。どれだけの危険が待ち受けているか、もはや危険という言葉が当て嵌まるのかすらも不明な、圧倒的に透明で不透明な世界が」
改めて問う、と鼠少女は言った。
「最終確認だよ。本当に行くかい? 君たちを選び、送り出そうとしているぼくが言うのもなんだが、そんなぼくだからこそ最後に伝えたい。やめるなら今だ。踏み出してしまえばもう逃げられない。なんにしろひとつの結末を迎えるまでは、君たちはあちらの世界から帰ってこられない。そしてその結末がぼくらの望むものになる確率は決して高くない……いや。恐ろしく低い、と言わせてもらおう。こうするしかないが、十中八九どうにもならない。それでも君たちは――」
「「「「行く」」」」
「――ああ。行っておいで」
声を揃えて答えた俺たちに鼠少女は微笑み、指を鳴らした。
「!」
途端に生じる、引っ張られる感覚。偽界に取り込まれるときのそれに似た、けれどあれよりも遥かに強烈な――体の中身ごと、魂ごと掴まれて揺さぶられてるような、なんとも言い難い酩酊感。
通路へと引き寄せられた俺たちは、そうやってこの世界から姿を消した。




