502.神の領域
「予想はついているだろうけれど」
と、鼠少女は改めて台座の上にある紅蓮魔鉱石へと目をやった。
「『灰』が待つであろうその場所には、これを使って向かうことになる」
その説明に、俺を含めて四人とも無言のままに先を促す。
俺はともかく他の誰も何も言わねーってことは、紅蓮魔鉱石――正確には紅蓮魔鉱石の大元がこの世界の土台であり、上位者がそれを抑えてるってことまで既に知らされてるっぽいぜ。
思えばさっき鼠少女がぽろっと漏らした『上位者は別世界からやってきた存在だ』という事実にも、特にリアクションはなかったな。そこらへんのことも合わせてかなり丁寧な説明が事前になされていたらしい。
これからやることを考えると当然の措置だが、やっぱ鼠少女にその辺の抜かりはねえか。
「向かうって、どこにだよ? もしかして地の底にあるっていう紅蓮魔鉱石の核ん中に入るとか?」
単純に上位者さまがどんなとこであぐらをかいてやがるのかちっとも想像がつかねえんでそう訊ねたわけだが、鼠処女の返答は曖昧なものだった。
「核石の内部か……それも間違ってはいない。けれど、正しいとも言い切れない」
「いやどっちだよ?」
「表現が難しいんだよ。そうだね、まずは根本から話そうか」
――世界は『糸』だ、と鼠少女は唐突に言った。
「い、糸?」
「例えるなら、そうだ。そして糸は一本だけじゃない。ぼくが色んな世界を巡ってきたことはもう何度も聞いているね――糸は何本も編まれて『縄』のようになっている。そしてその縄がまた何本も、何十本も束ねられてできた『巨大で果てのない大繩』が全世界。目には見えないこの世の構造だ」
「「「「…………」」」」
お、おお……なんと言えばいいやら。こんだけスケールの大きい話をいきなりされてもついていけねえよ。
あっちの世界とこっちの世界。ふたつを跨ぐだけでも目を白黒させてるところに、それも全体から見るとほんのちっぽけなもんでしかない……とか言われたって、おおそうだったのかなんて納得はなかなかできんぜ。
「つまり君は、その糸から糸へと旅をしてきた、ということになるのか」
さっすが委員長だ。もう頭の中で整理が済んだらしい。確かめるようなその質問に、鼠少女は鷹揚に頷いた。
「そうとも。糸と糸は近いほどに移りやすい。隣り合っていれば尚更だね。とはいえ、たとえ触れ合っていたとしても別の糸だ。ひとつになっているわけじゃないから、移動のためには工夫が必要になる。異なるふたつの糸を繋げるための技法がね。その種類や呼称は様々だよ。『世界渡り』に『壁越え』に『門』……そして各世界において神と呼ばれる存在は、往々にしてこの技法を当然のように行使できる。いわゆる神の領域、『神域』というやつだ」
「『神域』……」
「上位者がこの世界に落とした『偽界』という魔法は、要するにこれだ。神の御業を地上へ授けた。勿論、人の身で使う以上それそのものとはいかなかったろう。最初の偽界習得者が誰で、どのようにそれを使ったかは、もはや歴史の片隅が過ぎてぼくでも見通せはしないが……とにかくその誰かから始まり、今日まで。紆余曲折の末に偽界は戦闘用の技能として定着し、極一部の実力者のみが使用できる究極魔法となった」
「はーん、そんじゃ魔皇が言ってたのもそういう意味だったのか……元々は世界を渡るための技術。その大元が神の技、『神域』だってな」
俺たちが使ってるのは、スキルの【偽界】も含めてその猿真似に過ぎねえってわけかよ。
つまり上位者に限らず神ってのは、性能がもっと良くなった『心象偽界』をデフォルトで備えてるってことだよな……へん。まあ、仮にも神なんだからそんくらいは当たり前かね。聞いててげんなりとはするが、特別目を見開くようなことでもねえぜ。
「神は御座す場を染め上げ、支配する。ただそこに存在しているというだけでひとつの世界を作り上げてしまう――それが『神域』の本質であり、実際のところは技と呼べるようなものではないんだ。生物の行う呼吸と同じく、何をしようともなくそうなってしまう……ただし、神ともなれば支配空間を御することで、疑似的な糸を生じさせることもできる」
「それが神の居場所なのか。違う糸にいるってんなら、上位者はこの世界にゃいねーっつうことか?」
「いや、それにも例外があってね。糸と本当の意味で重なり合う、質量のない糸もある。多層構造になっている世界は珍しくない……具体例で言えば、先日メモリくんが儀式を行った際に開かれたあの『門』。あれが通じる異界というのは、この世界の別のテクスチャ。透明で専用の手段を用いなければ誰にも認知されない、けれど確かに存在しているこの世界の別の側面だ」
……儀式のことまで知ってる、どころかそれを間近で見守ってた俺以上に詳細を知り尽くしてまでいることにゃあ、もう何も言わねえ。めんどい。
そんなとこ突っついたところで益体もねえし、今はとにかく話を先に進めたほうがいいだろう。
「ふむ……その例から推測するに、上位者がいる『神域』というのもこちらの世界に重なる、言うなれば異次元のような場所にあるということか?」
「お見事だね、マクシミリオンくん。まさしくその通りで、『神域』の上位者はこの世界にいるともいないとも言えない浮き上がった存在だ。そこをどう表現するか、どう表現すべきか。そこはぼくにとってもなやましい。その場所から核石を通して根を張っていることは確かだから、先ほどのゼンタくんの言い方も決して間違いではない――」
「けれど正しくもない。上位者は私たちの遥か下に埋まっているわけではない……。そういうことなら、こう表現するのがもっとも相応しいのではないでしょうか? ――神はどこにでもいて、どこにもいないのだと」
「ああ……それが正解なのかもしれないね、ユーキくん」
教えられたとばかりに深く頷いた鼠少女は、こう続けた。
「ゼンタくんの質問に答えよう。どうやって『向こう』へ行くか? それはこちらとあちらの相互協力によって成り立つ。ゼンタくんが儀式で目にした門。あれと同じように、『神域』という見えない世界へ通じる扉を開くんだ。その道を介して君らは『灰』と、そして上位者の下へ辿り着く」
ほほお。上位者の力(もしくは『灰』の力か?)と鼠少女の力を合わせて、ただの人である俺たちにも通れる道を敷こうってわけか。んで、その起点になるのが紅蓮魔鉱石ってこったな。
この理解で正確なのかって言われるとちと自信がねえが、大きく的を外しちゃいねえだろう。それはともかく、気になる部分がある。
「なあ、素朴な疑問なんだが」
「なんだい」
「お前にも世界を越える力があるんだろう? だったら上位者が自分から居場所を示した今、向こう側の力を借りなくても勝手にお邪魔しちまうことだってできんじゃねえのか?」
手紙に書かれた内容通りに『神域』へ出向くってのは、なんつーか……敵が用意した車に乗り込む感じがしてちょっとイヤなんだよな。
用心が要ると言ったのは鼠少女のほうで、それを徹底するならそもそも相手が提示した方法に従うのはナシのはずだ。
そう思って言ってみたんだが、鼠少女は申し訳なさそうにして。
「すまないね。できることならぼくだってそうしたかったんだが……それは無理なんだ。というのも、以前にも言った通りぼくが世界を渡り続けているのは力というより、呪いのようなものでね。通常の世界渡りとは趣も意味合いも異なるし、いみじくもぼく自身が制御できていないんだ。いくら重なっていると言ってもぼくだけの力では『神域』へは到底踏み入れない。何故ならそこは、何人たりとも侵してはならない絶対の空間として生み出されているものだからだ」
故に。
ひとまずは神の言葉に従うしかないのさ、と。
歯痒さをはっきりと滲ませつつ、だが厳かなまでに真摯な声音で、鼠少女はそう言い切った。




