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488.過去最高のコンディション

 新たに切れる手札は多くない。どころか、はっきり言って皆無に等しい。


 『重複身纏法』でメモリは三つの術を常に使用している状態だ。それも特殊な使い方であるからして、そこに加えて別の術を重ねるのは、如何に彼女が天才と呼ばれるに相応しい死霊術師ネクロマンサーであったとしても無謀な行為である。


 だがここまでに幾度となく彼女はそれをやった。まずもって発動が不可能が大禁忌や、本来なら十八番の術であるが『身纏法』との併用が叶わない『死の軍勢』などは除外して、それ以外のもの。


 効力が弱まったとしても辛うじて発動が可能となる術――召喚術や『矢尻重魂』、『虚脱の闇』に『不儀の忠誠』といったものはもはや合わせて何度使ったか……否、使わされたかわからない。そうしなければ死んでいたのだから仕方がないとはいえ、それによってメモリの負担が格段に増えたことは事実だ。


 ましてや今の彼女には負傷と疲労が蓄積している。新たな術を唱えることはもう不可能。魔力も体力も枯渇寸前の瀬戸際。


 メモリはなけなしの気力を振り絞って立っているに過ぎず、いつ倒れてしまっても、そしてそのまま永遠に目を覚まさなくてもおかしくない。


 それほどまでに追い詰められている。


 そんな現状を正しく把握しながら。しかし、攻めてくる『屍蝋の王』を見つめるメモリの眼なき瞳は冷静そのものであり、行動は迅速だった。


「――!」


 先に仕掛けたのは『屍蝋の王』だったが、それとほぼ同時に一歩を踏み出したメモリは鋭利に伸ばした外骨格の右腕部を突き出していた。僅かな遅れも早まりもない完璧なタイミングでの迎撃。迂闊に跳んだ『屍蝋の王』にこれを回避するすべはない――かと思われたが。


「――、」


 空中で身を捩り重心を入れ替えた『屍蝋の王』は、物理法則を無視して己が進路を変えてみせた。胴体のど真ん中を貫くはずだった骨の剣は彼の脇腹を薄く切るだけに終わる。とん、と巨躯に見合わぬ軽やかさで降り立つ『屍蝋の王』を見やってメモリは眉をひそめた。


 最初の一撃。開幕の油断に付け込めなかったのは惜しいことだ。決まる予感はあったのだが……されど決まらない予感も同程度にあった。『屍蝋の王』の尋常ならざる身のこなしは対ラハクウ戦で明らかになっており、少女の脳裏にもまだ色濃く焼き付いている。


 残念だが落胆はしない。そんなことをしている暇はない。メモリのすぐ後ろには限界という奈落が迫ってきている。立ち止まって失敗を振り返る余裕など、彼女にはないのだ。


 だから前へ。


「……!」

「――!」


 体感、あと十秒と少し。下手な駆け引きに貴重な時間を取られることを嫌い敵に張り付こうとするメモリだったが、此度先んじたのは『屍蝋の王』のほうだった。


 彼もまた少女の自滅による決着など望んでいないようで、その攻めはあまりにも果断かつ強烈だった。拳打に対し咄嗟に差し込んだ剣があっさりと砕かれたことでメモリは距離を詰めようとしていたのとは裏腹に、一旦自ら距離を取ることにした。


 ただし一歩だけだ。それ以上は下がらない。


 小さく開いた間合い。だがそこは長身と長い手足を持つ彼にとっては十分な攻撃圏内である。それがわからぬメモリではないだろうに、しかし彼女は自ら選んだその位置から動こうとしない。


「――――」


 次の一秒間で『屍蝋の王』が放った片手だけでの連撃は優に十発を超えていた。


 死の間際でメモリが命を燃やしているのと同じように、それを感じ取っている彼もまた絶好調。速さだけでなく重さも十分に乗った打撃はその一打一打が致命の拳。


 強化外骨格を身に纏って運動機能を補助しているとはいえ、魔術師メイジであるメモリと、戦闘法の括りとしては戦士ファイタータイプである『屍蝋の王』とでは格闘能力に雲泥の差がある。どれだけ外骨格の操作に気を揉んだところで殴打戦で互角に渡り合うことは土台無理な話。


 その、はずが。


「――、」


 致命の連撃を、避け切られた。そのことに『屍蝋の王』が溶けた眼球を見開いた、ところに再生成された骨の剣が襲いかかった。


 今度は右腕だけでなく肘だけになった左腕にも生えたそれらが同時に『屍蝋の王』の肉体を削る――勿論、それだけでやられるような彼ではない。リーチのより長い右の剣は深く入ったが、左の剣が残したのははほんの掠り傷。そして人間とは身体構造の違う彼は一太刀浴びた程度では大した問題にもならなかった。


 けれど。

 流石に、殺す気で放った拳の全てが掠りもしなかったというのは……。


「――」


 驚き、というよりも不可解。その謎を解き明かすべくすかさず反撃に出た『屍蝋の王』は、再び連撃を繰り出す。確かめるための攻撃、とはいえそこに重度の殺意が込められていることに変わりはない。一発でも対処を誤ればそれで終わり。ミスの許されない瞬間的かつ連続の回避をメモリは強いられることになる。


「……」


 それをメモリは、まるで先の再現のようにまたもや完璧に躱してみせた。ギリギリの、余白のない避け方。数ミリの狂いで全てが終わりそうなスレスレの見極め……一度だけなら偶然のそれも、二度続けば偶然とは言えない。


 つまり、と悟った彼の認識は正しい。

 メモリには『屍蝋の王』の攻撃が見えているし、読めているのだ。


 昂った感情、極限まで研ぎ澄まされたネクロマンサーとしてのセンス。燃え滾るそれらを内包しながら思考だけはクールに。今のメモリの状態は、そのズタボロの様相とは正反対に過去最高のコンディションであった。


 元から鋭かった察知能力はより鋭敏になり、自ら視力を手放したことも一助となったかのように――よく『視える』。

 『屍蝋の王』がその手足を動かすたびに屍蝋化の瘴気が拡散され、シデムシのカメラは一瞬のうちに何台もダメになっていっているが……もはやそんなことはどうでもよかった。


 カメラなどもう必要ない。むしろないほうがいい。そう思えるほどに、メモリの視界は良好だった。


 リオンドの演算のような、ゼンタの【先見予知】のような極めて高い精度での先読みを実現させた少女は、それによって肉体性能の確然たる差という覆しようのないスペックの不足を、技量だけで埋めた。


 本来なら一打たりとて躱せないはずの連撃の全てを回避できたのは見るよりも早くに動き出し、回避の動作から一切の無駄を削ぎ落すことが可能となったからだ。


 それでもやはり余裕はなく、紙一重の躱し方にはなってしまうが……けれど傍から見るような危うさはそこにはない。決して当たりはしない。たとえいくつ拳が来ようとも。


「――」


 静かに顔を向けてくるメモリの落ち着きようから、『屍蝋の王』はもうひとつのことを悟った。このままでは意味がないし、埒が明かない。どれだけ拳を放ったところでこの少女の命を終わらせることはできそうにない。とすれば。


 最高速の連撃が命中してくれない。という事態でも、『屍蝋の王』は悩まなかった。殺すことのみを考え続ける彼のやることは、いつだって単純明快シンプル


 普通にやって当たらないなら、普通ではない一撃を送り付けるだけだ。


「――!!」


 それ以上の連打を取り止め、先ほどのメモリのように、軽く一歩。体格と歩幅の差からメモリのそれよりも広く取られた間合いを使って――『屍蝋の王』は強く地を蹴って加速。


 たった数メートルで異次元の速度に達した彼は、その勢いを一切殺さずにメモリへぶつかっていった。


 たった一撃。腕だけでなく体全体を最高速に乗せて放つ殴打。

 これで殺す、という『屍蝋の王』なりの全身全霊を懸けた一打にして、外れてしまえば自分にもダメージを与えかねない自爆のような一擲。


 いくら先読みができたとて対処のしようがない攻撃というのはある。そのひとつがこれ。己が身を顧みない、ある種捨て身にも等しい無我の突貫である。


「……!!」


 元々のスペックで上回っている『屍蝋の王』の側が捨て身になった。そうなると確かに、メモリにはどうしようもなかった。皮肉にも進化した察知能力が、その精度で以ってしかと訴えてくる。


 この拳は躱すことも受け止めることもできない。


 やれるとしたら、精々が――。


「っ……、」


 少女の肉体を、それを守る鎧ごと『屍蝋の王』の腕が貫いた。


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