486.限界まで残り
『矢尻重魂』に対応せしめた最後の一体。隻腕のシルエットをした黒い人型のそいつが、指先をまるで銃口のように向けてくる様をシデムから伝えられた。異界の住人が意味もなくそんな動作を取るわけもなく、メモリは隻腕が儀式が始まって以来初めての攻撃を行なおうとしているのだと実行前から悟ることができた。
その気配を読み切って異形二体を始末させたのはいいが、しかしここまでの威力とは思っていなかったし、そして撃ち出したはずの『何か』の正体が掴めなかったことは完全に誤算であった。
見逃した? いやあり得ない。自分の目だけで確かめたのであればその可能性も考慮に入れたが、そもそも今のメモリに視力はない。彼女の目の代わりを果たしているのは無数にいるシデムシたちだ。
あらゆる角度から戦いを眺めている彼らが射出から着弾までを丸々見逃すなど、考えにくい。
(見えず気配もない『弾丸』……)
異形二体をまとめて跡形もなく吹っ飛ばした威力からしてそれは『砲弾』と呼ぶべき代物なのかもしれないが、いずれにしろ着弾の余波を味わっただけでも直に食らえばどうなるかは重々に想像がついた。絶対に当たってはいけない――そうと理解しただけに、メモリの反応は早かった。
隻腕がまた指先をこちらに向けてくる。それに合わせて体勢低く加速。ジグザグの軌道で駆けてなるべく偏差射撃の脅威を散らす。
向かう先は最後の異形、体のいたるところからサメの背びれを思わせる独特な刃を生やした如何にも接近戦主体の化け物……メモリは隻腕の射撃に巻き込む腹積もりでこの刃男に近づいたが。
「ギキキッ!」
「!」
全身を回して放つ、剣撃としては異様な一太刀。手肩背中から生えた刃が怪しく閃いた瞬間、まだ届く距離ではないというのにメモリの背筋が粟立った。根拠はない。しかし少女が抱いた予感に従うのは当然のことであり、そして咄嗟に真横へ飛び退いたその判断は極めて正しかった。
「……!」
一撃で三筋の斬撃。が、ぐんと伸びてきた。床を斬り削りながらすぐ横を通り過ぎていったそれの冷ややかさにメモリは眉根を寄せる。これもまたまともに浴びてはいけない攻撃だ。
避けられたのは僥倖。けれどうかうかしていては隻腕の弾丸が来る。程近い距離感故に刃男の挙動に着目していたメモリだが、この場で足を止めることの意味を忘れてしまったわけではなかった。
すぐに動かなくては――しかしどちらに? 近寄ってはいけないと理解できた刃男にそれでも接近するか、それとも隻腕からも刃男からも遠ざかるように下がるか。
それは瞬時の迷い。
メモリが選んだのは接近だった。
下がった場合そこにまるで見計ったように『屍蝋の王』が待ち構えていることに気付いたからこその選択。なのでこれはメモリが選んだというよりも選ばされたと言ったほうが正しいのだろうが……だがそのことに対しメモリが忸怩を抱くことはなく、むしろ反対に都合のいいことだとすら思っていた。
脳食らいも隻腕も刃男も押しなべて厄介だが、誰を一番警戒するかと問われればメモリは『屍蝋の王』だと答える。
全身を燃やす青い炎も彼への対策であり、異形の合間を駆け回る最中も彼にこそ最大の意識を割いていた。そうしなければ不意打ちを食らう回数がもっと増え、メモリはとっくに動けなくなっていたはずだ。
屍蝋化を防げたところで、あの悪辣が形になったような生き物の脅威が薄らぐことはないだろう。一度は曲がりなりにも彼を召喚した経験を持つだけにその確信を強く得ているメモリだ。故に、そんな『屍蝋の王』から距離を取れるのなら刃男への吶喊程度は安いものだと考えた。
「『無尽屍』」
外骨格の増設。
「『屍細工』」
からの変形。
幾重にも展開させて出来上がった局所的な骨の森は、近づく少女を真っ二つにしようとしていた刃男の視界から獲物を見えなくさせた。「ギキッ」とそのことを嘆きながら――しかして攻撃を止めるような異形ではない。
構わず踏み込み、そして両腕を勢いよく振るう。今度は四筋の剣閃が交差し、絡み合った骨子の壁をバターもかくやという容易さで切り裂いた。その先にいる少女も同様に……と思いきや、手応えがない。刃に人の柔肉を斬った際の心地良い感触が伝わってこない。
「『矢尻重魂』」
「ギッ!」
至近距離。いつの間にか自身の左側、懐も同然の位置にいた少女が撃ち放った魔力の矢を、刃男は腕の刃で防御した。
身を守ることに意義を見出さない異形としては異例なまでの守りの硬さ。ほぼゼロ距離射撃にガードを間に合わせた反応の良さも含めてこれはメモリにとって想定外の出来事だった。
けれど――と刃男が防御に使った腕とは反対の右腕を振り被った様を眺めてメモリは思う。反撃を誘うことは想定の内。あとは自分がこれを避けられるかどうか……!
「ぐッ……う、」
外骨格を操作しての急加速。ボロボロの体にそれがより強い負担をかけることはわかりきっていたが、それでも少女は自ら誘い出した攻撃を避けるためにそうせざるを得なかった。
この位置、この方向へ斬り付けてもらう必要があったのだ。何故なら斬撃が伸びた先には、そうなるように仕向けたことで無防備な脳食らいの姿があったのだから。
「っっ…………、」
斜めに首と腹部を切り裂かれて沈む脳食らい。明らかな致命傷だが口がないせいで悲鳴のひとつも上げられないようだ。シデムシの視界で崩れる彼の様子を確かめながら、左腕の肘から先を失った少女はその痛みに顔をしかめた。
矢を防がれたせいで想定よりも反撃が速く、完全には避け切れなかったのだ。ひょっとすれば切断まではされないんじゃないかという淡い期待は肉と骨が断たれる感覚で砕け散った。一応は『屍蝋の王』の拳打でも壊れない骨の鎧の強度をまるで紙切れの如くに無視して斬り捨ててくるとは、訓練場の強固な床を切り裂けるのも納得の威力である。
そんなものを食らった脳食らいが命を落とすのは必然であり、そして――メモリが狙ったのはそれだけではない。脳食らいは常にメモリを見ていた。刃男もメモリを見ていた。そんな二体に挟まれる位置にメモリは移動したのだ。つまり。
「ギ、キキ……、」
脳食らいが刃男の斬撃を浴びたように、刃男も脳食らいの視線を浴びた。正確には、目が合った。能力発動の条件は満たされたことで刃男の脳は食われた。脳食らいが先に死んだことで頭部が空っぽになることはなかったようだが、なんにせよもう彼は助からない。
異形とはいえ、異界の住人とはいえ生物は生物。
昆虫ですら脳を失えば無事ではいられないのだから彼らとてそれは同じはず。
論拠は弱くもメモリの推論は正解だったようだ。目からも口からもダラダラと血を垂らしながら呻き声を出す刃男の様子を見ればそれは確定的だろう。
そんな状態でも刃男は異形としての本能か意地か、刃を掲げて攻撃するような素振りを見せたが……その動作は先程のキレが影も形もなくなっており、ひどく鈍い。結果、攻撃が行われるよりも彼の顔面を魔力の矢が撃ち抜くほうが遥かに早かった。
「ギ」
それが刃男の断末魔になった。だがそれを聞いて満足はしていられない。
「…………」
弓状に変形させた右腕を元に戻し、左腕の剥き出しの傷口を覆う。高速移動に適した形状に戻ったメモリは残る『屍蝋の王』と隻腕の攻撃に晒されないためにもすぐに動き出そうとして――その瞬間、足にぶつかったとある物体に気を取られた。
それが何なのかはわかってる。胴と切り離された脳食らいの頭部だ。ここまで転がってきたのだということはシデムシの視界から知っていた。気になるのは、別のシデムシが見た隻腕の仕草。
隻腕は何故か、メモリにではなくこれに指先を向けていた。なのに、『見えない弾丸』を撃たなかった。この場面で死骸を撃つ理由などないように思えるが、それを中断したのはもっと意味がわからない――隻腕はいったい何がしたかったのか?
「っ……!」
まさか、と思ったときにはもう遅かった。
先の二体の異形同様に脳食らいの頭が尋常ならざる勢いで爆ぜ、その衝撃でメモリの小さな体は宙に躍った。
鮮血が飛び散る。
限界まで残り――。




