483.こいつらを屈服させる
骨。メモリの肉体を新たに覆ったのは、骨の鎧であった。
『無尽屍』によって生まれた骨を『屍細工』で幾層にも重ねて成型し、全身鎧を作り出した少女が手に入れたものは、文字通りの外骨格。その用途はそれを持ち合わせる多くの多生物と同じく、身を守ること。
しかしてメモリの場合は、ただ己が身の安全ばかりを求めてこの術を使用したわけではなかった。
「!」
装備が完了すると同時に飛来してきた指先と粘つく液体を、メモリは飛び退くことで躱した。その動きは普段の彼女を知る者であれば驚嘆を禁じ得ないほどの俊敏さだった。『無尽屍』の外骨格は単なる鎧にあらず、自在に動くその性質を利用することで『強化外骨格』さながらの駆動性の向上効果まで見込めた。
メモリにそういった技術の知識はない。けれど、欲するものを得るためにはどうすればいいか。試行錯誤を繰り返した上での着想が、彼女に自然とその選択を取らせた。
即ち肉体を肉体の力だけでなく、術の力で操ること。どんなに扱う魔法が強力でも本体の脆弱性という弱点を抱えていたメモリが、それを補うために編んだ秘策がこれだった。
「んっ……、」
ビキビキ、と軋む身体が少女の口から小さな呻きを漏らさせた。無視できない負担。飛び退くというたったの一動作だけで既に鎧の中身は悲鳴を上げていた。
当然だ、本来なら動けるはずもない速度で動かしているのだから。身を焼く『死魂の忌火』と合わさって『重複身纏法』がメモリに強いる苦痛は本人の想定を軽く絶するほどであった。無事が保証された試用と命懸けの実戦とでこうも負荷が違うか、と少女は強く歯を噛み締める。そうしなければ意識すら失ってしまいかねなかった。
硬いはずの床に突き刺さった指の弾丸、同じく表面をごぼごぼと融解させている液体。その被害からバラバラになった部位を糸で繋ぎ合わせている皮膚のない怪人と、無数にある穴から融解液を零れさせている巨大な球体。それらの脅威度を確かめつつメモリは計算する。
持って五分。それが今の自分の継続戦闘可能時間。
あまりにも短い。異形らの初見殺しとも言える能力のいくつかを無効化させ、更には強度と機動力も手にした。得られたものは大きいがしかし、失ったものも大きい。
五分しか戦えない冒険者など無価値にもほどがある。どんなクエストも受けられないし受けてはいけない――けれど、メモリにとってはそれでよかった。今の彼女は冒険者としてここに立っているわけではないのだ。
長く戦うことなど端から考えてはいない。殺意に満ち満ちたこの化け物たちを一人で相手取るにあたって、継戦能力の有無ほどどうでもいいことはなかった。
負担も負荷も度外視でいい。今はただひたすらに、強く。
どんなに短くても構わない。だからとにかく、一刻も早くこいつらを屈服させる。
「『矢尻重魂』」
メモリの体を覆う鎧が『屍細工』によって形を変え、その至る部分に弓が作られた。ピンと張った骨の弦につがえられるは闇の魔力。間を置かずして一斉発射された計四十五本の魔力の矢が異形の集団へと降り注いだ。
「……!」
鈍いのには当たった。融解液を吐き出す球体などは思いの外柔らかい体(?)を震わせて声なき悲鳴を上げている。だが、動けるのはかなりの速度で迫る矢の全てを避けてしまった。
メモリからしても称賛を送りたくなる見事な機敏さ。されど『矢尻重魂』の特性はその追尾性能にある。ただ避けただけの異形たちは背後から誘導してきた魔力矢を受けて悶えることとなった。
そいつらはいい――問題なのは矢を食らうでも避けるでもなく、払った数体。
特性を見抜いたか、それとも余裕の表れか。魔皇謹製のゴーレムすら砕ける強力な矢を真正面から各々の手段で打ち砕いてみせたその数体こそが集団の中でも特に危険な奴ら。
「――」
「っ!」
その筆頭である『屍蝋の王』が瞬時に間合いを詰めて繰り出してきた打突を、メモリは躱すことができなかった。
「うッ、ぐ……!」
バキリと鎧からイヤな音が響く。メモリは衝撃に耐えきれず、バウンドするように床を何度か跳ねることとなった。今度は舌を千切れんばかりに噛むことで飛びかける意識をなんとか引き留め、『無尽屍』で鎧を動かすことで無理に体を起こす。
なんの策もなければ触れられた瞬間、飛躍的に加速するはずの屍蝋化。その効力は炎と鎧による二重の防御で防げたが、単純な破壊力のほうは如何ともしがたい。殴打を受けた左胸付近の激痛は、もしも『身纏法』を開発していなければ屍蝋化を待たずして一撃で死んでいたであろう事実を克明に知らせていた。
「――、――」
が、それだけの痛みに耐えて立ち上がるメモリに即座の追い打ちを仕掛けるでもなく、『屍蝋の王』はその場に立ち尽くしていた。彼が見ているのは少女ではなく、自身の腕。たった今少女を殴り飛ばした己が右手だった。
辛うじて皮一枚で繋がってはいるものの、ほぼ切り落とされたも同然。手首に起きたその異変に首を傾げ、そしてメモリへ視線を移す。自分が殴った箇所。鎧の左胸あたりから鋭利な牙が幾つも生えているのを目にして、『屍蝋の王』は不可解な現象の正体に思い至った。
そう、メモリの鎧はただの鎧ではなく、如何様にも形を変える変幻自在の外骨格である。
その能力があればこのように、攻撃を受けた瞬間に該当箇所を変形させることで攻め手に傷を負わせられもする。先の殴打が凄まじかったぶんだけ、硬質な牙に腕を突っ込むことで『屍蝋の王』へ跳ね返ってきたダメージもひとしおだった。
『屍蝋の王』に痛覚はない。腕を失って悲しむような感性もない――だが彼には肉体の再生能力もない。少なくともこちら側にいる間は、受けた損傷はそのままである。
痛みと引き換えに片手を奪った。メモリの心中に達成感が滲む。あの刹那に『屍細工』の操作を間に合わせた自分自身を褒めたい気持ちがあった――けれど喜びはそう深くない。こんなことで満足していては死ぬ。と、彼女にはわかっているからだ。
奪ったものは決して小さくない。だがそれは十三体いる内の一体、その一部に過ぎない。
それだけのためにいちいちダメージを負っているようでは収支が合わない。遠からず破産は目に見えている。
ならばどうする。
「決まっている……!」
人の骨格に類似していながらやけに長い背骨と多い肋骨、そして幾本もの腕をせわしくなく動かしてムカデのように床を這いずって来る化け物を強く踏みつけて床に押し込み、メモリは跳躍。
そこを狙い撃たんと全身が水膨れになったような肥満体型の異形がその口元から伸ばしてきた触手を逆に掴み、手繰り寄せて傍に着地した。
その最中に尖らせた左腕の外骨格で肥満のはらわたをぶちまけさせる。よろめいた巨体を盾として顔と思わしき部位に口しかない怪物が放ってきた槍のような舌をやり過ごす。肥満体の頭部は潰れ、動かなくなった。
「まず、一体」
背後から迫っていた、ひとつの下半身に三つの上半身を持って逆さまで移動する異形の中でも『屍蝋の王』に次いで特に人間に近い一体を『不儀の忠誠』にかける。
彼らの召喚主は死の呪文書。その使役権を奪おうとしても今のメモリには叶わないが、ほんの一瞬だけ動きを止めることはできた。
逆さ三つ子を手繰り寄せ、遠方より糸繋ぎが放ってきた指の弾丸を全て受け止めさせる。三つの頭のうち運悪く中枢たる長男のそれに命中し、三つ子はその場に力なく倒れ伏した。ふたつの頭はまだ無事だが、彼らは戦う意思をまったくなくしてしまったようである。
「これで二体……」
停止した三つ子を打ち捨ててすぐに移動し、遠距離攻撃を有する異形の射線を別の異形で遮りながら――メモリにはこの試練を生き残るための唯一と言っていい答えが、少しずつ見え始めていた。
少女の限界まで、残り四分。
討つべき異形は、残り十一体。




