482.『重複身纏法』
「ひえっ! メモリちゃんが火事ですよ、火事!」
衝撃的な光景に取り乱したサラは俺の肩を掴んで激しく揺さぶってきた。ぐわんぐわんと頭も揺れるが、そんなシェイクされた視界の中でも煌々と燃える青い輝きはしっかりと目に映った。
メモリの全身は薪になったも同然の状態だ。
あれじゃあ人間キャンプファイヤーじゃねえか!
「見えてっから揺らすなオイ、吐くぞ俺! それよりグリモアさん、ありゃ何がどうなってんだ?! メモリの自滅か? あの化け物のどれかに何かをされたのか!」
「いや! 何かをされた結果の自滅ではなく、何もされないための計画的な自滅だよ」
「計画的な自滅ってなんですかー!? 聞いたことありませんよ、そんな言葉!」
サラのツッコミはもっともだ。グリモアの言うことが本当なら、メモリは冷静に自身の肉体へ着火したことになる。が、そんなことをしてる時点で冷静だろうがテンパってようが常軌を逸してることに変わりはねえ。
それに、ネクロノミコンを二冊手に入れてから操るようになったあの青い炎。
見てると熱気と同時に何故か寒気もするそれがどんだけ恐ろしい火力を有しているかを、被害にあったモンスターの死に方で俺はよーく知ってる。
まさか敵を焼くみてーに自分まで焼いてるってことはねえだろう。火加減はされてるとは思うが、それでも限度ってものはあるぜ。
いつまでも火にくるまれて耐えられるわけもねえ。
あのままじゃ遠からず、メモリは黒焦げになって死んじまう――!
やにわに焦る俺たちに対し、けれどグリモアだけは泰然と笑みを浮かべていた。
「心配ご無用、見る限り燃えているのは成長した肉体だけ。メモリくんの火力調整はばっちりだよ」
「なに……?」
「あの身体は元より大禁忌に持っていかれる触媒や血肉を賄うためのものでもある。勿論、二冊のネクロノミコンを用いた戦闘における負担に耐えるため、というのが第一ではあったが……いざとなればそういう利点もあるということだ。そして今こそそれを活かすとき。私が『死重層壁』でそうしたように、メモリくんは自らを死の炎で燃やすことで異界の住人たちの害悪極まりない能力をシャットアウトしたのさ」
ま、苦肉の策に違いはないがね。
とグリモアはシニカルに締める。
「っ、やっぱ体が縮むってのはそんだけ無茶をしたってことなんだな……!」
魔下三将ラハクウとの一騎打ちを果たし、疲労を滲ませながら元の子供らしい姿に戻っていたメモリ。あのときの様子が脳内に思い起こされるが、今やってることはあれ以上の無茶なんじゃねえか?
――いや、それはいいんだ。無茶をしなけりゃどうにもならねえってのは最初からわかってる。
ネクロノミコンを調伏し、屈服させ、言うことを聞かせる。そのためにはこれぐらいやらなきゃ話にならねえってことなんだろう。
だから問題なのは無茶そのものじゃなく。
「こんな戦い方をしていつまで持つか、だな。実際のとこどうなんだ、グリモアさん。あんたの目から見てメモリの勝機ってのはどんくらいあるんだ?」
「それは――そうだね」
珍しく、すぐに答えを出さずに言い淀むグリモア。それは彼女をしても勝機の算出が難しかったからか、それとも……シビアな現実を突き付けることを躊躇ったのか。
「……二割弱。仮にメモリくんが実力以上の力を発揮できたとすれば、だけどね。どんなに甘く見積もっても儀式成功の確率はその程度だ」
「マジか……そこまで厳しいのかよ」
「そんな……、そこをなんとか、もう少し色を付けてもらえませんかね?」
「馬鹿野郎サラ、売り物の値段交渉してんじゃねえんだぞ」
「でも、あんなに頑張ってるのにたったそれだけの成功率しかないんじゃメモリちゃんがかわいそうです!」
「かわいそう、だぁ?」
はっ、それこそ馬鹿を言うなって感じだぜ。
あそこに立ってるのは覚悟を決めた一人の死霊術師。俺たちの仲間であり、パーティの頭脳担当の頼りになるやつだ。
俺から聞いといてなんだが、グリモアの導き出した勝率なんてもんに大した意味はねえ。成功か、失敗か。結果としちゃそれだけしかないんだから、完全体ネクロノミコンを調伏できるかどうかは五分五分だ。
そんでその全てはこの日が来ることを待ち望み、しっかりと力を蓄えてきたメモリ次第。
あいつがどれだけ才能と努力の成果を見せられるか……そんだけだ!
「信じようぜ、サラ。メモリがぶっ倒れちまうそんときまでは、あいつが勝つことを100パーセント信じきってやるんだ!」
「……! そうですね、ゼンタさん。だったら私のぶんも合わせて、メモリちゃんの勝率は200パーセントになりますね! 二回は勝てちゃいます!」
や、その計算はおかしい。おかしいがしかし、悪くねえ。
孤独な戦いに身を投じるメモリへ、どうか俺たちの思いが届いてくれますように。そう祈った矢先に、異形を吐き出して役割を終えた門が閉まり、床に置かれたネクロノミコンと一緒に空間に溶けて消え去った。
いよいよ調伏の試練が始まった――。
◇◇◇
「…………」
無造作に伸ばされる腕。その指先が掠るかどうかというところでメモリは倒れ込むように自ら地を転がり、触れてこようとした相手から距離を取った。
やや大げさなその動作には当然意味がある――流れるように片膝をついたまま起き上がったメモリは、腕だけでなく様々な物体が自分のいた場所を横切る光景を、忌火によって薄く青ざめたフィルター越しに確かめた。
血管のような触手、伸びた骨や指、舌。そして黒々とした気体状の何か。
十三体のうちの数体が一斉にメモリの肉体を『味わおうとした』結果がその有り様だった。
中には化け物同士で傷を付け合っているのもいたが、彼らは一様に互いの損傷に興味を持っていなかった。十三体共に、視線を向けるは自らを呼び出した少女のみ。
「ふー……、」
息を吐く。そして吸い込む。そうやって気持ちを落ち着かせる。
『死魂の忌火』によって生み出された炎は通常の炎とは異なる性質を持つ。生物の入れ物だけでなくその中身まで焼き尽くすこの炎は、調整しているとはいえやがてメモリ自身の生命まで燃え滓へと変えてしまう。
門を介して現れた異形らの中に、自分も召喚だけは可能な――使役まではできない――『屍蝋の王』を認めたことで彼女は、グリモアが言う通りに苦肉も苦肉の策であるこの手法を取らざるを得なくなった。
ラハクウへの苦戦と、大禁忌の召喚術でかかった想定以上の負担。その苦い経験を糧に編み出した、『死魂の忌火』を纏うことで屍蝋化を防ぐ『身纏法』はまさしく『屍蝋の王』が持つ能力への対策である。
次の召喚に備えて用意していたそれが、こうして儀式に役立っていることは運命の悪戯かそれともなるべくしてなった必然か。
いずれにしても少し前までのメモリでは即死していたであろうこの状況下で、だが彼女はまだ生きている。命をなんとか繋ぎ、勝機を見出さんと思考し行動することができている。
同じ空間にいるだけで生物を死に至らしめる怪物たち。この世に存在してはならない醜悪なる異形……しかし彼らの恐るべきはその能力だけにあらず、単純な戦闘能力の高さにも警戒が必要だ。
ジリジリと命を焦がす『死魂の忌火』だけでは対策として不十分。故にメモリはもうひとつの秘策を迷わず切る。
「――、――」
自らの腕が燃えることも厭わず、なんの躊躇もなく真正面から腕を伸ばしてきた『屍蝋の王』。空振った手をぷらぷらと揺らしつつ、脳漿を涙のように垂らす溶けたその眼球が、メモリをじっと見ている。口元を嘲笑の形に歪めてちっぽけな小娘の死に様を見たがっている。
彼の嗜虐的な笑みに呼応するように、他の異形らももぞもぞと殺意に身を蠢かせた。
――躊躇っている暇はない。
「『邪法・無尽屍』と『屍細工』――『重複身纏法』」
そしてメモリを包み込む、呪怨の炎ともうひとつ――。




