475.飛び出してました
今度は俺だけじゃなく、カーマインまでもがポカンとだらしのない顔になった。
そうもならぁな。たった今自分の敗北を認めたところだってのに、すぐさまそれをひっくり返されちまったんだから。かく言う俺も、せっかく手に入れた勝利を取り上げられちゃあ落ち着いてはいられねえ。
「どういうこったよ、ユーキ。カーマインがなんて言ったか聞いてなかったのか――自分で負けだって認めたんだぜ?」
「それは私にも聞こえていました。ですが、決闘における立会人とは審判のようなものでもありますから……なんでもありならともかく事前にルールが決められている以上、それに沿った判定を下さざるを得ません。よってこの勝負は……オレゼンタさんの反則負けとなります」
「反則負けぇ!?」
なんだってよりによってそんな負け方になるんだ、と訊ねるよりも早く答えは告げられた。
「飛び出してました」
「へ?」
「『ブラックウイング』、ですか? あの超高速突進の後。方向転換のためにブレーキをかけていましたが、その際に屋上の範囲外に体が飛び出してしまっていました。ですのであの時点でオレゼンタさんの負けになります」
「な……!」
いや確かにそのルールはあったけど。俺だって覚えちゃいたけども!
だから空中戦でもなるべく派手に動き回らないようには気を付けてたんだ。カーマインもあれだけぴょんぴょんしていながら場外には出てなかったしな。それを見習って俺も見えない線は意識してた。
『ブラックウイング』による加速が自分の想像よりもぶっ飛んでたんで慌てて逆噴射ブレーキをかましたんだが、マジか……間に合ってなかったのかアレ。体感では線ギリギリで持ち堪えたつもりだったんだが。
「ホントに範囲外に出てたか? ほら、下からじゃそういうのって確認しづれえだろ。もしかすると見間違いってこともあるんじゃないか?」
「いいえ。立会人としてそこはきっちりと見誤らないように注意していましたから」
「あ、そう……」
にべもない断言。ユーキを疑うわけじゃないが、俺は助けを請うような気持ちで鼠少女のほうを見た。下から俺たちの戦いを見てたのはこいつも一緒だからな。ユーキとは違う意見が聞けるんじゃねえかと期待したわけだ。しかし。
「審判を気取っていたつもりはないが、勿論ぼくも見ていたよ。その上で言わせてもらえば、ユーキくんの判定に間違いはない。君は確かに体一個分範囲外へ飛び出してしまっていたからね」
「……さいですか」
特別な眼力を持つ鼠少女までこう言うんじゃ、もう誤審の可能性も反論の余地もねえ。俺はラインオーバーをしちまってたし、そのせいで負けたってことも覆せない事実なんだろう。
「ちっ……しゃあねえな。やっちまったもんは仕方ねえ、俺も潔く負けを認めるぜ」
「ふ――ふふ、はっはっはっは!」
「カーマイン?」
貰った勝利を送り返すつもりでそう言うと、カーマインは急に声を上げて笑い出した。勝てたのがそんなに嬉しかったのかと思えば、どうもそういうわけではねーみてえで。
「こんな結末になるとは思いもしなかった。試合に勝って勝負に負けた、といったところか? 逆ならまだしもこの勝利の後味は褒められたものではないな……」
「その気持ちはわからんでもないが、こりゃお前が決めたルールの通りだぜ」
「しかしそもそもフィールドを限定したのは勝ち負けを意識したものではなく、政府職員へ迷惑をかけないようにという配慮が元だ。好き放題に戦いの範囲を広げてはならない、と自律を心掛けるためのな。シバはそれに付き合ったに過ぎない。義理もないのにわざわざな」
「そうだ、わざわざ乗ったのは俺だ。フェアじゃねえと勝ったときにすっきりしねえからな。そんで乗っちまったからにはきちんと従うさ。俺がゴネたって勝ちにゃならねえように、お前も何を言おうが負けにはならねえぞ」
そう言うと、カーマインはやれやれとばかりに肩をすくめた。
「ひどい男だ。勝ちを譲られては気持ちよくないからと私に押し付けるか。私のほうこそ一度は負けを口にした身だぞ。リボンを巻かれた勝利など貰ったところでどう感じるか。それはお前にもよくよく理解の足るものだと思うが?」
「そうは言ってもなぁ……反則認定を受けてんのに勝った扱いされんのは俺だってご免だからよ」
思い付きで試した技の制御が甘くて自滅。
なんとも情けねえが、これで勝者判定を受けるほうがずっと情けねえ。
勝負の内容だってカーマインの胸を借りたようや な内容だったんだからなおのこと、負けは負けとして受け入れねえとな。
と言っても、俺に俺なりのプライドがあるのと同じく、カーマインにだって曲げられねえもんはあるだろう。矜持云々と先に言い出したのはあっちだしな。
カーマインから見りゃ赤ん坊並に若造もいいところの俺に「勝ちを譲られた」んじゃ、そりゃあそっちはそっちで納得なんてできねえだろう。
譲るも何も反則をした時点で勝利は俺の手にないんだが、そうとは知らずに俺もカーマインも戦闘を続けて、立会人の言葉も待たずに勝手に勝敗をつけちまったからな。こいつのほうこそ勝利が自分のもんだとは露ほども思えねえんだろう……その無駄に頑固な拘りは、カーマインの言った通り俺にもよく理解できる。
理屈じゃあねえからな、こういうのは。
真剣勝負の勝った負けたってのは必ずしもルールだけでその結果が決められるもんじゃない――。
「ならこうすればいい。死合いの結果は『引き分け』だ」
「なんだって?」
互いに譲らない、というより譲る気しかない俺とカーマインの問答に割って入った鼠少女に視線が集まる。くい、と指先で帽子のつばを上げて鼠少女は続けた。
「試合に勝って勝負に敗けた。勝負に勝って試合に負けた。勝ちと負けが互いにひとつずつ。だったら合わせて差し引きゼロ、戦績はドローということでいいんじゃあないかな? 勝利も敗北も納得がいかないならそうするしかないだろう」
「「…………、」」
俺とカーマインは顔を見合わせる。それでいいならそうしようか? とどっちもが相手の出方を窺っている状況だ。しかし、問題は審判でもあるユーキがドロー判定に同意してくれかって点だが。
自然と次にユーキへ視線が集中すると、彼女は「是非もないでしょう」と頷いた。
「このままだと勝ちを押し付けるためにもうひと勝負が始まってしまいそうですから。そんな無益なことをさせるくらいなら、いっそ引き分けということにすべきだと判断します」
「なんか悪いな、ユーキ」
付き添わせた挙句立会人までやらせたのに、下した判定をどっちも受け入れねえってんだからな。けど俺の謝罪にユーキはいいえと首を振った。
「空の上のこととはいえ反則を認め次第、すぐに勝負を中断させなかった私にも非がありますから」
まあ、あそこで止められてりゃこんな風に話がこじれることもなかったか。
つってあの場面で終わりとなっちゃあ俺もがっくし来てたし、カーマインも消化不良でどっちみち気持ちのいい勝利は手に入ってなかっただろうから、難しいところだ。
今は一応、こいつにもやりきった充足感はあるみてーなんで……どっちが良かったかは一概にゃ言い切れねえ気もするぜ。
「ふん。本来は私の負けだが、ここは引き分けということにしておいてやろう」
「はん。本当なら負けてんのは俺だが、おあいこってことにしといてやるよ」
「二人とも勝ち気に何を言ってるんだろうね、ユーキくん」
「恐ろしく意固地ですね、どちらも。そのせいで共に負けたがる妙な事態になってしまっています」
「意固地なら普通は勝ちたがるはずだからね……プライドが高すぎて一周回ってしまってる感があるよ」
隣で何やら好き放題言われてるが、俺たちは気にせずに握手を交わした。決闘終わりの挨拶みてーなもんだ。
そういやリオンドとも引き分けになって、こうして握手で手打ちにしたんだったな。トンズラこいたヴィオ戦も含めて、どうも『最強団』とは戦う機会があっても決着をつけられねえ運命らしいな?
「はあ。なんだかねえ」
「しょげることはないぞ、シバ。勝敗はあやふやになったがそれで報酬を渋るほど私はケチじゃない――お目当ての物ならくれてやるとも」




