467.喧嘩ってのはフェアじゃねえと
指定された時刻と場所を守り、二十四時を回ったのを目安に俺は屋上に来ていた。鍵のかかっていない扉を開けると、そこには先着していた吸血鬼の背中があった。
今日が明日に変わる暗い時間に、月を見つめて堂々と仁王立つ。まさに始祖らしい堂々たる後ろ姿だ。……背はちっさいけどな。
「来たか……おや」
振り向いて俺のほうを見たカーマインは、片眉を上げて少し意外そうな顔を見せる。
「同伴者は一人だけか。何人で来てもいいと言ったはずだが」
「ぞろぞろと連れ立ってもしゃあねえだろ。みんな朝からまた仕事だしな」
というわけで、俺と一緒に来たのはユーキのみ。他にも志願者はいたんだが、もしもの場合は俺とユーキだけのほうが動きやすい。
「見届けるのははこいつだけで十分だ」
「お初にお目にかかります、カーマイン・ミラジュールさん。不肖ながらこのユーキ・イチノセが決闘の立会人を務めさせていただきたく思います」
「ふむ……」
先達への敬意を見せて丁寧に頭を下げたユーキに何を言うでもなく、カーマインは軽く頷き。
「それは構わんが、見届け人というのならもう一人いるぞ。ほれ」
「ん――あっ、鼠少女!」
屋上の隅っこで柵にもたれかかっていた鼠少女は、俺たちに見つかると帽子をくいっと傾けながら口角を上げた。
「やあゼンタくん、良い夜だね。君たちにとっては絶好の決闘日和といったところかな」
「お前も来てたか。紙とのにらめっこはもう終わったんだな……でもいいのか? ここにいちゃ絶対に巻き込まれねえって保証はねえぞ」
いくら逃げ足自慢の鼠少女でもこんな近場で観戦しようってんならそれなりに危険だ。それこそユーキくらい戦えるやつじゃねえと危ないだろう。ましてや戦闘力皆無を自慢げに謳うようなこいつだと、戦う側としてもちと心配になるぜ。
「観戦にのめり込んで身の安全を疎かにするような真似はしないさ。それに、そこまで派手な戦いにはならなそうだよ」
「うん? そりゃどういう意味だよ」
「詳しくはカーマインくんから聞くといい」
おっと。昼間はミラジュール呼びだったのに、今は名前で呼んでらぁ。いつ親しくなったんだか。ま、別にそこはいいんだが。問題は派手な戦い云々のほうだ。
「なんだよカーマイン、何か制限でも設けようってか?」
リオンドとの決闘が特殊ルールだったことを思い出してそう訊ねてみれば、然りと肯定が返ってきた。
「制限というより、配慮だがな。目を凝らして床を観察してみろ。お前ならそれだけで見えるはずだ」
「うん? ……お、なんだこりゃ」
言われた通りに自分が立ってる屋上を矯めつ眇めつ眺めてみると、確かに見えたぜ。まるで血で書かれたみてーな真っ赤な紋様がぼんやりと浮かび上がってきたんだ。
なんだかわからんが、いつか他所の冒険者パーティの人に見せてもらった魔法陣にどことなく似ている。あれは確か特定の魔法を使う手助けや効力を高めるためのものだったはずだが……。
「これも魔法陣だよ。ただし吸血鬼オリジナル――つまり始祖の独自魔法である血魔法によるものなので、一般的なそれとはだいぶ異なるがな」
「魔法陣を介する血魔法ね……で、効果は?」
「床の強度を上げたのだ。死合いのフィールドに相応しくあるようにな」
「強度を上げるだって? 血魔法でそんなことができるのか?」
いくつかヨルのお披露目で俺も目にしたが、血魔法ってのはそういう感じのものじゃあなかったような。
無属性や光属性が得意とする強化とは縁遠く、どっちかてぇと攻撃一辺倒と言われる火属性に近い性質を持ってるように思えた。まんま言わせてもらえばまさに攻撃的な、敵に血を流させるための魔法って具合にな。
「敵の流血を促すのも血魔法の役目と言えば役目だがな。しかしそもそも血液とは生物にとって命も同然の、生命力の象徴とも呼べる代物だ。そういった側面を活かせばこういうこともできる。おどろおどろしいのみだという思い込みはいかんよ」
そう言いながらカーマインは右手の五指の爪を伸ばし、目にも留まらぬ速さでそれを足元へ叩きつけた。真っ二つになる屋上を幻視した俺だったが――。
「と、止まってやがる」
カーマインの爪の先は床に触れたまま、ピタリと静止している。傷ひとつついちゃいねえ……こりゃ強化されてるってのに嘘はなさそうだな。
普通の建物じゃどんなに頑丈に造ったところで、今の一撃を受けてかすり傷すら負わないなんざ絶対にあり得えねえ。
「そらご覧の通りだ。血を染み込ませる都合上、手早くできないのが難点ではあるが、そのぶん強度は折り紙付きだぞ。私の爪でも砕けないのだから」
「まさかお前、昼間からこの準備をしてたのか。決闘のフィールドメイキングのために?」
「私から言い渡した死合いだからな、このくらいの備えはするさ。いいかシバよ。私が私自身に課すルールはふたつだ」
ピッ、と指を二本立てるカーマイン。なんだかこういう仕草はリオンドに似てるな。
「聞こう」
「ひとつ、私自らが設置したこの血の闘技場から一歩でも外に出れば敗北。当然、外とはこの屋上というリングに限らず空中も含まれる」
「要は屋上に面したとこだけで戦うってことか。かなり広いし別に不便はなさそうだが……上はどこまでOKなんだ?」
「面積の範囲なら原則上方への制限は考えていない。ただし、空中では体の全体ではなく一部、あるいは術などで生み出された物体等でも線の外へ出たなら負けということにする。飛び回れるぶん場外負けの判定を厳しくした」
「ふむふむ、わかった。ふたつ目は?」
「お前への攻撃のために血魔法は用いない、という誓約だ。私はこの死合い、この身ひとつを武器としよう」
「ほー……。その心を聞いてもいいか? 戦う範囲を狭めるのも含めて、なんのためのルールなのか」
俺の問いに、カーマインはふうとこれ見よがしに息を吐いた。
「配慮だと言ったはずだぞ。ここは政府敷地内。無辜なる善良な市民が多く所属している。作業量を思えばこの時間にもまだ起きている者が大半だろう。連中の仕事の邪魔をしていいものか?」
そんなのノーに決まってらぁ。わかりきってる俺の返答を待たずにカーマインは続けた。
「だから屋上という人目につかない場所を選んだ。また『静かな死合い』に拘るために血魔法による攻撃も封印する。使えばどうしても広範囲に散らばってしまい目立つ上、他の建物に被害が出ないとも限らないからな」
「だから場外負けのルールか……なんともな」
「どうした? これくらいのことはして当然の配慮だと思うが」
「や、そうかもだがよ。その配慮を吸血鬼がやってると思うとなんつーか、始祖のくせしてすげー良識的なんだなって」
ふん、と俺の感想に始祖の少女は一際強く鼻を鳴らしてみせた。
「五百年を越す経歴は伊達ではないということだ。私は長らく人に混ざって生きてきたんだぞ? この程度の常識が身につかなくてどうするか」
「なるほどね」
好き放題暴れ放題だった逢魔四天とかとは、そりゃあ違うか。魔族が必ず持ってるっていう破壊衝動も生来薄いか折り合いをつけてるのか、あんまり感じられないしな。
獣人とのハーフだからか、やはり吸血鬼ってのは魔族としても変わり種の種族であるらしい――そしてカーマインはその発祥、始祖だ。
偉そうなのは演技で素の調子だと人の好い少女でしかないヨルなんかを思えば、その先祖であるカーマインの人となりも察せられるってもんだ。
「つってここまで場を整えてくれるってのは予想外だがな。だけどこれで――」
言いながらユーキを見れば、向こうも視線と頷きを返してくる。
本当はここでカーマインへ決闘場所の変更を頼むつもりだったんだ。だがこいつがこんなにも気を使ってくれてるからには、もうその必要もない。床の硬さも実証されたことでユーキからの許可も下りた。
これで安心して戦えるってもんだ。
「乗ったぜ、そのルール。俺も同じ条件でいい」
「範囲外に出ると即敗北、か? これは私の自重のためのものだ。お前まで律義に守らなくてもいいんだぞ」
「いいや、守る。それと俺も武器や使い魔は使用は縛る」
「……!」
「これで血魔法を使わねえお前とも対等だろ? やっぱ喧嘩ってのはフェアじゃねえとな」
――面白い。
そう小さく呟いたカーマインは、血の色の瞳をさらに鮮血に輝かせた。そして脚を広げて立ち、両の腕をだらりと体の前に下げる。
ヨルのそれによく似た、けれどもっと堂に入った姿勢。これが吸血鬼の身体能力を活かした構えなんだろうな。
さあ。いざ決闘の――いや。
カーマイン流に言わせりゃ「死合い」の始まりだ。




