462.来訪者は恵まれている
「お望み通りご愁傷様とは言わねーぜ。だけど気になったことがある……食われたっつったな? それは、お前の父親は――母親の胃に物理的に収まったと。そういう解釈でいいのか?」
「まさしくそうとも、比喩ではない」
「……そいつはおかしいぜ。名剣だろうが名刀だろうが来訪者を斬ることはできないんだぞ。お前の母親がどんな獣人だったかは知らねえが、その牙も爪も俺たち来訪者を傷付けることはできやしないはずだ。ただ殺したってだけならともかく、食うことなんて不可能だ。……それともまさか、人間を噛まずに丸飲みできるくらいデカい女だったとか言わねえだろうな?」
「――ふ!」
俺の問いに軽く噴き出したカーマインはすぐに顔を背けたが、背けた先でも笑ってるのが丸わかりだった。肩が震えてるし、くつくつと例の喉を鳴らす音が聞こえてるんでな。
「おい?」
「いや、いやいや。我が母は巨人よろしくの巨体なんかじゃあなかったさ。サイズとしては私と同程度。お世辞にも体格に恵まれているとは言い難い人だったよ」
「だったらなおさらだ。どうやったら来訪者を食うなんてことができる?」
「なに、単純なこと。父の時代の来訪者への保護は今ほどに手厚くなかったと。そういうことだよシバ」
「!」
「アップデート、と言えばいいか? 上位者は物ぐさで自らの手を下さない。だが、五百年何もしていないわけじゃない。魔族の発展も含めて来訪者を守るためのシステムは世代ごとに革新されていっている……という印象を受ける。あやふやで申し訳ないが私も毎世代ごとに親交を持っているわけではないのでな」
と少しも申し訳ないとは思ってなさそうにふんぞり返るカーマインは、俺のリアクションを見て楽しんでいるようだった。
そうとわかっても、さっきから連続でやってくる衝撃のせいで俺ぁ反応を取り繕う余裕なんざまったくなかったぜ。
「つまり、お前の父親んときにはなかったってのか――俺たちの身体を守るシステムが!」
「だろうな。いつの間にかそんなものが出来ていたので驚いたのも私にとっては記憶に新しい。確認できたのは聖女たちの世代の直前ぐらいだったか? それ以前は酷いものだったぞ、次々と来ては次々と死んでいく。過酷な環境、という奴だな。まさに野生に帰された飼い犬が如くだ。それでも生き延びる奴は生き延びて子供まで設けたが、どのみち大往生とはいかない。誰一人とてな」
子供を残しても結局早死にしちまってたのか……無理もねえな。身体の保護システムがなけりゃ俺だって最初の森で死んでただろうし、仮にあそこを抜け出せても死ねる場面はいくつもあった。それこそ数えるのもおっくうになるほどにな。
マリアや魔皇だって、このシステムができてねえ頃だったらどうなってたかはわかんねえぜ。
あの人らだって最初の最初はただの子供だったわけだろ? どんなに機転や度胸があってもちょっと不運がかさめば死んでた可能性は大いにある。
それくらい、『傷を負わない』ってことの恩恵は偉大だってことだ。
「システムが改善されるまでに犠牲を出し過ぎているようにも思えるが、しかし上位者の他の所業を思えば改善する気があるだけ、お前たち来訪者は恵まれていると言えるだろう。真の被害者は魔族だ。上位者の思い付きで生み出されたに等しく、そして思い直しで消されたに等しい。上位者は加減を知らない。人間ばかりを守り増やし過ぎたのと同じように、魔族もまた短期間に増殖させ過ぎた。種類も総数もな。だが悩んだ時間は短かったろうな。一寸も悩むことなどしなかったかもしれない。ちょうどいい、と閃きを持ったのだ」
「おい、じゃあ一世紀前の魔族との戦争ってのは――、」
「失敗作の魔族を消し、ついでに人間の数も減らす。だから『ちょうどいい』だろう? 多すぎるもの同士をぶつけ合わせればそれで帳尻が合うんだからな。無論、魔族が敗北すること、人間が減り過ぎないこと。その辻褄を合わせるために管理者や当時の協力者たちは悪戦苦闘したのだろうがそんなことは知ったことではない。魔族や人間からしてみればこの上なくふざけた話だ、上位者の失策の都合を何故自分たちの命で清算しなければならないのか――?」
「そりゃ誰だって、真相を知ればそう思うぜ」
「だが誰も知らなんだ。『灰』の陣営を除けば魔皇と聖女のみがその事実を知ることを許された。それだけでも過去類を見ないことだがな……当然、二人ともにシバ同様――否、当事者としてそれ以上の怒りに打ち震えたことだろう。あの戦争ではあまりに多くが死んだ。その裏にあるものがこれだと突き付けられれば無理もない。だが結局のところ、淘汰とは常にそういったものだ。生まれ消された魔族は悲劇の象徴でもあるが、それ以前に消えていった全てが似たり寄ったり。上位者のちょっとした匙加減の狂いの修正のために犠牲となったのだ」
システムが出来上がる前に連れてこられ、あっさりと死んでいった来訪者たちみてーに、か?
なるほど、聞いてみりゃあ納得だな。どれもこれもいかにも上位者らしい仕事のしかたじゃあねえか。
こんだけ雑なのにそれでも改良を重ねた結果だってのは軽く驚きだが、それよりも。確かに俺たち来訪者は恵まれてると否が応でも思っちまったね。
なんせ改良が、次に繋がってる。犠牲があったからこうしてシステムがより良くなってんだから、先人たちには頭が上がらねえ。俺が生きてるのも彼らがいたからこそだ。
だがそれは来訪者に限った話であって、世界のほうはそうじゃない。こんだけ辻褄合わせ、カーマインの言葉で言えば修正主義――要するに上位者の杜撰な管理の被害に遭い続けてるってのに、それが次に繋がってねえ。先細りにしか、なってねえ。
挙句にゃ贔屓してなるべく減らさないようにしてたはずの人間の大幅削減まで決めちまった上位者だ。
改善なんてちっともされてない。
もう世界は限界だ。
「淘汰にも大小があってな。小さい淘汰は影響が小さいが数が多い。大きい淘汰は滅多に起こらないが影響が甚大……というのが私が若い頃に学んだ法則だったんだが、今ではそれも通用しない。小さい淘汰は少なくなったが大きい淘汰が数を増した。それもどんどん間隔を短くさせて、だ。三十年ほど前の魔獣事変も被害は大きかった。人間もそうだが何よりあらゆる魔獣の数と分布が一変したからな。大淘汰に数えてもいい規模だった――だというのに僅か三十年でそれ以上の規模の淘汰が目前となっている。ふふ、正しく限界だな」
「笑ってる場合じゃあねえだろ? 今を乗り切ることに必死だとお前は言ったが、今を乗り切ったところでお先真っ暗じゃなんにもなりゃしねえじゃねえか。ヨルのことを守ってやりてえんならお前のすべきことは恭順なんかじゃねえだろう」
「ではどうしろと? お前のように上位者に殴り込みをかける腹積もりでいろというのか。その石ころを武器に?」
俺にも、そして紅蓮魔鉱石にも冷めた目をやってカーマインは鼻を鳴らした。
「冗談にもならん。いいか、シバ。最後の賢人の言葉をもうひとつ教えてやろう――『神は死んだ』。死せる前の神ならば祈りを持って慈悲を請うてもよかった。あるいは神罰を覚悟に物申すことだって私はやっただろう。だがもうダメなんだ。そんなことにはもはやなんの意味もない。今の神に期待などするだけ無駄でしかない」
「……、」
「わからないか? だろうな。ならわかるように言ってやる。この世界を創ったのは――」
「上位者じゃない、別の神様」
「!!」
「上位者は創造主なんかじゃあなく、人様の作った箱庭を横から掻っ攫っただけ。……そういうことだろ?」
「…………」
セリフの先を奪われ、目を丸くさせているカーマイン。
これが初めて俺に見せる、吸血鬼の始祖の素の表情ってやつだろうぜ。




