460.目に映る全てがそうだろう
呆れて物も言えねえわ。
なんでも見通せる鼠少女の目は便利だが、紅蓮魔鉱石が上位者の力そのもの、ないしはそれと密接な関係にある場合、迂闊にその目で覗いてしまうと向こうから覗き返される可能性がある――まあ、要約ではあるが以前に鼠少女本人が語ってた危惧はこんな感じの内容だったと思う。
だからこその有志諸君を集っての研究所の設置であり、目に頼らず紅蓮魔鉱石の謎を解明することが目的だったはず。
てんてこ舞いのアーバンアレスや政府からも職員を借りて、教会から聖女の一人娘であるユーキを連れ出して、『葬儀屋』からもガンズたちを寄越すように頼んで……そこまでしておいてなんでこんなことになる?
「あーっと、つまりなんだ。危惧の通りに上位者に勘付かれたせいで、こうしてお前の下に『灰の手』がやってきたってことかよ?」
「簡潔にまとめればそうなるかな」
「そうなるかな、じゃねーっての。今日ばかりはそのニヒルな態度も格好つかねえぞ」
手詰まりになりかけてたとはいえここまでの研究は順調だったそうなのに、本当になんだって目の力に頼っちまったのか――いや待てよ。
ひょっとすると検討がついたっていう紅蓮魔鉱石の出処。それ自体が目に頼ったおかげで判明した事実だったってのも考えられるな。
「その通り。紅蓮魔鉱石の興味深い性質については、所員の手を借りて概ね理解できた。できたがしかし、それ故に抑えが利かなくなった。それで浮かび上がった新たな謎……というよりも、仮説かな。その是非を確かめずにはいられなかったんだよ」
「だから危険も顧みず目を使ったってか」
とにかく慎重で、まさに屋根裏に潜むネズミの如くに立ち回りに如才のないのがこの鼠少女だ。そんなやつが一時の衝動に任せて一番やっちゃならねえことを思わずやっちまうほどの仮説ってのは、いったいなんなのか?
「いやさ実に恐ろしいものだよ――紅蓮魔鉱石が世界の根幹である、なんて事実はね」
ごろん、と腰かけてるソファの前に置かれた机にふたつの紅蓮魔鉱石を転がしながら鼠少女はそんなことを言った。
俺には一瞬、その意味がうまく呑み込めなかった。
世界の根幹……それは前にもこいつの口から出たワードではあるが、そのときは上位者のとんでもパワーを指しての発言だったはず。魔皇戦後にぶっ倒れた俺が見た夢、それもまた上位者の力――上位者が作ったこの箱庭の根幹に繋がったから目にしたものだと。
「君が繋がったのは上位者の記憶ではなかったということさ。紅蓮魔鉱石が記憶し、記録している、世界の始まり。その瞬間を君は垣間見たんだろう」
「俺の見たアレが、そいつの記憶だって……?」
無造作に置かれた真っ赤な石を見る。
これらはガロッサのダンジョンにあったのと、魔皇が自力で発見して体内に仕舞ってたもんだ。残るふたつはうちのギルドハウスとユーキの身体に埋まってる。合計四つ……世界中を探せば他にもまだ見つかるかもしれねえが、今んとこはこれで全部のはずだ。
確かに紅蓮魔鉱石は自然物とは思えねえすげえアイテムではあるがよ、これが世界の根幹なんだと言われてもいまいち納得はしにくいぜ。
訝しむ俺の表情を見て取って、鼠少女は「少々語弊があったね」と緩く首を振った。
「ぼくが言っているのは目の前にあるこれらのことじゃあない。より正確に称するなら紅蓮魔鉱石の、源たる石の記憶さ」
「源? ってこたぁ、この石は……」
「欠片に過ぎない。もっと巨大で強大な力の塊。そこから漏れ出たほんの小さな欠片を、ぼくたちは素晴らしいお宝だと持て囃していたってわけさ」
「……!」
無限の魔力を有し、所持者に絶対的な恩恵をもたらす紅蓮魔鉱石。
それが、本来の紅蓮魔鉱石の欠片でしかねえ、だと?
にわかには信じ難いことだが、鼠少女が目で確かめた真相がそうだってんなら俺には否定のしようがない。
「探せば見つかる、どころじゃない。確かにこの程度の欠片であればまだ他にも何処かに転がっているだろうけれど……言い方を変えればそれは、紅蓮魔鉱石であって紅蓮魔鉱石ではないんだ」
「じゃあ、本物はどこにあるってんだ」
思ったままを口にしたその問いに答えたのは、鼠少女ではなく。
「どこにと言うなら目に映る全てがそうだろう。何せ紅蓮魔鉱石は世界の土台なのだから」
「カーマイン……?」
「根幹、という表現も正しかろうが。私は土台と言いたいな。この大地の奥底の底、どんな魔法でも辿り着けない深奥にこそそれはある。言うなれば世界の核、原初の魔鉱石がな。地熱を生み、土壌を育み、生命を宿らせる全の一。その力からこし出された灰汁が魔鉱石であり、稀に出現する純度の高いそれが核と同じ紅蓮色となって尽きない魔力を放つ」
そうだ、始まりは赤だった。目に痛いほどの真っ赤な光が世界の産声だった――俺が見たものが確かなら、それは正しい。
きっと紅蓮魔鉱石よりももっと強烈な真紅の色を世界の核ってもんは持ち合わせているんだろう。だが、カーマインのセリフで何より気になったのはそういう部分じゃねえ。
なんでこいつがそんなことを知ってるのかって点だぜ。
「これでも五百は下らない年齢だ。魔皇や聖女の小娘どもが世界の真実に気が付くよりも前から――魔族と呼ばれる存在が現れ、そして消えていく遥か以前から、私だけは知っていた。知ってなお何をするでもなく無関心を貫いた。どうしようもないことだったし、どうでもいいことだったからな。なんの因果か今でこそ『灰の手』の一員となってしまったが、それもまたどうでもいい……せめても我が子孫が生き残ってくれさえすれば他のことはなんだって構わない」
「他のことね……五百年以上生きてるとなりゃあ魔族だけじゃなく、他の消えていった色んな種族を見てきたってことだよな。淘汰に巻き込まれた吸血鬼だってその範疇だ。なのにお前は上位者を信用して『灰の手』に甘んじるってのか? 野郎のやり口は嫌ってほどわかってるだろうによお」
「だからだよ。適応が最善だ。私はひとまず今回の淘汰を乗り越えることしか考えていない。次にまた上位者が何をしようとするかはわからない。新世界では『灰の手』が不要になるかもしれない。不安や不確定はいくらでも数えられるが、それを口にしたところで詮無いこと。私たち箱庭の住人にできるのは、揺れる箱から振り落とされないようにその都度必死にしがみつくことだけ。それ以外に何がある?」
「へん、振り落とされるってんなら都合がいいぐらいだ。思いっきり飛び出して箱を揺らす張本人に噛み付いてやるぜ」
「こっ恥ずかしいほどに青いな、小僧っ子。お前では上位者をどうしようもないよ。それ以前に管理者にすら手も足も出ない。これは予想ではなく確定事項だ」
「んなこたやってみなけりゃ――」
「わかるんだよ。私は魔皇や聖女ほど強い来訪者を見たことがない。そんな二人が選んだ道はどうだ? 聖女は管理者の手中にいながらやれる範囲で救える命を増やそうとした。魔皇は管理者と敵対しその立場になり替わろうと画策した。ふん、流石は選ばれし勇者とその相方。どちらも一癖や二癖では済まない。心を折られ大人しく迎合するしかなかった『最強団』とは比べるべくもない」
だがな、とカーマインは低く言った。
「そんな奴らでも上位者との対立だけは、選ばなかった。選べなかったんだ。魔皇が目指したのは自らが淘汰を起こすことで管理者を無用の存在とすることであり、聖女が内から変えようとしたのも管理者の体制だ。上位者に歯向かうことも、管理者と矛を交えることも良しとはしなかった。少なくとも、過激この上ない手段に訴えた魔皇でさえも直接対決は最後の最後まで避けていたのだから――それがどれほどの無理筋かは推して知るべしと言ったところだろう」
「…………」
「百年単位で準備に費やしたあの二人ですらこれなんだ。なのにお前は、魔皇も聖女も避けたその道をなんの用意もなく突き進もうとしている。もう一度言わせてもらおう、シバ・ゼンタよ。お前は上位者に辿り着く前に、管理者に嬲り殺されて終いだ」




