456.大目に見てほしいものだよ
「――するのは、やめておこう」
練り上げた魔力と魔法式を、霧散させる。
撃ち出すために固定されていた『テンポラルパラドクス』が解除され、ただの力の残滓となって周囲へ散っていく。魔力風とも呼ばれるそれに前髪を揺らしながら、ヴィオは遠ざかっていくモルグ。その手の上で横たわっているであろうエイミィを見えぬままに見つめた。
「殺すことが目的じゃないからね」
あくまで連れ戻すため。そのために戦っていたのだ。あわよくばゼンタも捕えてしまうとも企んではいたが、そもそもそうやって欲張ったのが間違いだったのだろう。欲をかくには少々難のある二人であった。
レヴィを助けたがるエイミィと一緒だ。
あの日、メイルに敗れて命を落としているなら未練もなかったろう。だが生きていると知れば欲も湧く。助けたいと思う。それと同じで、逃がさないために殺すくらいなら大人しく見逃す。ヴィオはそういう選択をしたのだ。
あるいはこの場にローネン・イリオスティアが居合わせたなら、裏切り者の始末を断行させたかもしれないが――彼はここにはいない。ならば全てはヴィオの判断に委ねられる。またこの場所で何が起きたか、それを説明できるのも彼のみ。
「まあ、嘘をつく気はないけどね……」
キッドマンの身体へと戻りながら――『戻る』というのが何にかかっているのかで意味合いは正しくもおかしくもなるが――ヴィオはそう呟いた。
そうだ、下手に誤魔化すのはマズい。そこに嘘の匂いを嗅ぎ取ったローネンは隠した甲斐もなくすぐに真相を見抜いてしまうだろう。
なので最善は沈黙。エイミィがゼンタに連れ去られたという事実のみを伝えるのがベスト。
会話をまったく拾えなかった、というのは控えとして流石に不自然が過ぎるので、突如ゼンタが暴挙に出たということにしてしまおう。
そこまでの話の流れなどなんの関係もなくいきなり、空間魔法でも対処が追いつかないほどの迷いのなさでエイミィは持っていかれてしまった……そう報告するのだ。
これならローネンも迷う部分が出てくるだろう、とヴィオは考える。自分が何かを隠そうとしていることは見抜けたとしても、謎と仮定が膨れ上がり、その意図を看破するにはさしもの彼でも時間がかかるはずだ。
こんなことをしてまでエイミィの裏切りを発覚させない理由は――先にも言ったように、助けたいから。もっと言えば「殺すには惜しい人材だから」だ。
エイミィもゼンタも前途洋々の若者たち。でありながら、その若さに不釣り合いなほどの実力を既に身に着けてまでいる。
これでまだ伸びしろしかないというのだから恐ろしい……などと、つい今し方時空魔法という世界初の魔法を創造した男は自分のことを棚に上げて肩をすくめた。
「やれやれ。働き者の称号はこれではく奪かな……でも見ているのなら大目に見てほしいものだよ、上位者様。今日までの三十年近くを忠実に働いてきた僕の、これが初めての仕事における我儘なんだからさ」
彼が真に忠実であったのは己の探求心という名の欲望ではあったが、だとしても彼が『灰』にとって便利な駒として努めていたことに変わりはない。
いや、『灰』にとってではなく、唯一『灰』と密接な関りを持つローネン。ただ一人だけの真の『灰の手』とも言える彼にとっての便利な駒が、この自分であるのだが。
「君たちに何ができるかはわからない。だから少し期待しちゃうんだ。淘汰を待つこの世界に、ひょっとしたら思いもかけない未来が訪れるのかもしれない――そんな夢物語への投資だ」
エイミィがあちらに降ったところで大した問題はない。畢竟、ローネンが捕まらなければそれでいいのだ。何故なら『灰の手』全体に及ぶほどの支障が出るような情報は彼しか持っていないのだから。
しかし、ローネンが警戒しているマクシミリオンと来訪者たちが率いる存続政府。そこにレヴィとセットでエイミィまでもが鹵獲されたとなれば多少のプレッシャーにはなる。少量とはいえ確実に漏れる情報と合わせて、ローネンを不利にする要素であることは確かだ。
それがマクシミリオン側にしろローネン側にしろ今後の展開を左右するほどのものになるかは別として……今はとにかく、河岸を変えるエイミィに無言のエールを送るヴィオだった。
◇◇◇
「追撃は――こねえみたいだな」
しばらくは背後からの気配に神経を尖らせていたが、ソラナキの感覚にも【先見予知】にもなんの反応もない。
やがて十分すぎるほどにヴィオを引き離してから、俺はようやく息を吐いた。
「トカゲの尻尾切りならぬモルグの片腕切り。成功したようだぜ」
「そっ……すか。そらーよかった、っす。これ以上怪我したら、さすがにしんどいっすから、ね……」
「だいぶキツそうだな。ちょっと待てよ」
つゆだく牛丼なみに自分の血でだっくだくになってるエイミィは、戦闘終了で気が抜けたんだろう。さっきにも増して一気にダルそうにしてる。今にも眠ってそのまんま起きなくなりそうだ。
こんな状態でも普通に立ってたんだからすげえよな。戦ってるうちは気力だけで持たせてたってわけだ……だけどそれはいくら傷ついたって平気ってんじゃあない。気の持ちようにも限度ってもんはあらぁな。
「ほれ、ポーションだ。二本いっとけ」
「さ、さんきゅーっす……んく」
次元収納のポーチから引っ張り出したポーションをエイミィの口元につけて飲ませてやる。奇跡とも呼ばれる光魔法の治癒とは違って『肉体がすぐに元通り!』とはならんが、傷が塞がって出血を抑えられはするし、刺激的な風味は気付けにもなる。
念のために二本も飲ませときゃエイミィなら大丈夫だろう。
「ふー……生き返ったっす。かなり上等なポーションっすね」
「買えるもんは買っとくことにしてんだ。そこケチっちまうと自分の命まで安くさせちまうからな」
「冒険者の鑑っすね」
「へっ、まあな」
生存能力。それが優れていることもまた冒険者にとって重要な資質だと以前トードに言われたことがある。
それはタフネスに限ったことじゃあなく、無理を悟って潔く引いたり逃げたりできる能力のことも指しての言葉だろう。
「そもそも冒険者に限らず人間、まず生き残ることが第一っすからね……この礼は必ずするっすよ」
「いいよそんなもん。そんなことよりお前はこれからのことを心配してな」
「これから、っすか」
「ああ。俺が口添えしたって信用されないぜ、元『灰の手』なんか」
特にアーバンパレスや政府の生き残り連中は、魔皇だけでなく『灰の手』にも恨みがある。被害が必要以上に拡大したのは内部に裏切り者がいたせいだからな。
そうなると当然、現在幽閉中のレヴィと同様、エイミィもかなり厳しい立場に置かれることは想像するまでもねえ。
「やっぱそうっすよね。そうなると動けなくなるからヤだったんすけど……でも仕方ないっすね。こうなったからにはもう『灰の手』には戻れないっす」
「そりゃあな。つか戻ったら政府にいるよりも酷い目に遭うだろ、絶対。今度こそ殺されちまうぜお前」
ヴィオ――キッドマンの奴がエイミィをどうするつもりだったか。連れ帰る素振りはあくまで素振りで、いざとなれば殺してもいいと思いながら戦っていたのかは、あいつのみぞ知るところだ。
もし本気でそう思ってたんなら今頃エイミィは生きていない気もするが、憶測の域を出ねえ。ただし、ローネンならこんなもんじゃ済まない。出会えばほぼ確実に仕留めにかかってくるだろうってのは、憶測ではあってもかなりの自信を持って断言できることだ。
「やれやれ、っすね。だけど、これでむしろ諦めもついったっす。……少し眠るんで、ついたら起こしてもらっていいっすかゼンタさん」
「おう。休めるうちに休んどけ」
言った途端、すやすやと寝息を立て始めたエイミィ。体力消耗してるからって、モルグの手の平の上ですげー寝付きだな。見習いたいくらいの胆力だぜ。
「あー、モルグ」
「ゴア?」
「もうちょいゆっくり飛んでくれるか。なるべく揺らさず、時間をかけてな」
「ゴアッ」
航空法違反のお咎めを受けることを覚悟に入れつつ、俺はモルグに運ばれたままでの中央入りを目指した。




