454.魔術師潰しのお手本
奇々怪々。出現したその存在はそうとしか言いようのないものだった。
肉塊の化け物。それも膿んだ色合いの、死肉が積み重なってたまたま人型となったような恐るべき様相で――しかも翼を生やしている。黒とも灰とも違うその炭色の両翼は、見るからに重い肉の化け物でも容易に空へ飛び立たせるであろう力強さを感じさせた。
しかしアンマッチだ。怪物的な容姿に艶やかな翼。そこ以外がまさに『肉』でしかないせいもあって、別の生き物の部位と部位を無理やり結合させたようなアンバランスさがある。そもそも『肉』である部分からしても継ぎ接ぎだらけの、ひどく人工臭さを匂わせるモンスターではあるのだが……。
と、ゼンタの使い魔の一体、死肉のゴーレムであるモルグを一目見てのヴィオの感想はこういったものだった。目にした瞬間、何をするでもなくただ異様さに思いを馳せた。
その無防備は余裕の表れや挑発を目的としたものではない。単純に彼の気質の発露であった――並々ならぬ好奇心の強さ。ヴィオをヴィオ足らしめているそれが初めて目にする魔物に対して即断の排除を許してくれず、ゼンタに絶好の機を与えてしまった。
「巨大くなれ、モルグッ!!」
「!?」
出現が一瞬ならばそれもまた一瞬だった。肉塊の化け物モルグが瞬時に大きくなった。縮尺そのままにサイズ比を増したのだ。
最初から人の背丈など優に越してはいたが――目測三メートルほどか――今やそんなものでは済まされない。天を衝かんばかりの巨体となり、右手の平には大事そうに主人とその輩を乗せている。これではまるきり巨人である。
(あんな場所で何を――?!)
まさかの巨大化にも驚いたが、それ以上の意外性がゼンタとエイミィの行動にはあった。巨人の手の平に乗る。一見安全そうだが不安定で、しかも敵との距離が遠いそのポジション。
近接主体の二人が揃ってそこにいる意味はまったく理解が及ばなかったが、とにかく今は目の前のことに対処すべきだろう。
大きさとは強さだ。
人間の十五倍はあろうかというこの巨体ではただ『一歩踏み出す』という動作がとんでもない破壊行為になる。
そんな悪魔的な一歩の踏み場に選ばれてはヴィオとて堪ったものではない。
事前の対応は必須であり、またゼンタの次なる指示が「歩け」などという生易しいものにはなるはずはない。モルグは明確な攻撃を行なう。それは推測するまでもない確定事項だ。
「けれど……!」
時空魔法『テンポラルパラドクス』。
無限大を生み出す正詠唱で肉の巨人ごとゼンタとエイミィを墜とす。
実践二度目ということもあって先以上に上手く魔法を操れる自信があり、ならば敵が如何に巨大であろうと自分ならば手玉にも取れよう。そういった自負もヴィオにはあった。
「――うッ、」
己を起点とする性質上、モルグの攻めに対してカウンターでの発動が望ましい。一撃粉砕のためにベストを尽くそうとしたヴィオの目論見は、しかして不可解な肉体の重みによって脆くも崩れ去った。
この重さに覚えのあったヴィオは瞬時に理解する。ゼンタのスキル! 先ほどもエイミィの補助のために使われたものだ。
使用条件はいまいち読めないものの、はっきりしていることがふたつ。ひとつがその効力の強力さ、そしてそういったものに往々にしてありがちな持続性の脆弱さ。
(動けないのはほんの一瞬! だがここでの一瞬はマズい……!)
スキルによって止められる一瞬。そしてその後に『テンポラルパラドクス』を唱え直す一瞬。合計の喪失はほんの数瞬でしかない。ただしそれはヴィオの命を終わらせるのに十分な数瞬。
肉の巨人が自分を潰すのには二秒もあればお釣りがくる。それがわかっている彼は故に、自身の肉体を加速させた。
正確には老化を早めた。
そうすることで己が身に降りかかる術の効果をも早めさせたのだ。
種類によっては呪いに対しても有効なこの方法。早めた時間によって戻す作業が急務であったり、敵の術の効果がひとまとめになって襲ってくるという改善しようのない欠点もいくつか存在するものの、戦闘時においては緊急の回避手段として優れた手法であることに間違いはなかった。
元よりこのスキルで止められる時間は短い。加速させて得られる時間的猶予もごく僅かなものでしかないが、しかしその『僅か』の掴み合いこそが戦いだ。
だから、ヴィオは解き放たれた。どんな相手だろうと確実に一秒程度は動きを封じるゼンタの【怨念】。聖女にも魔皇にも通用したそれを、ヴィオは時間魔法という稀にも稀な才覚によって最小限以下の拘束時間で脱した。
そうして彼は次に時空魔法の再発動へと手を伸ばし――。
それと同時に、地面に突き立った山刀。己を取り囲むように投げられたその三本を目にしたことで表情を歪ませた。
「景気よく燃え盛れっす!」
「っ――っぐぁ!」
刀が火を噴いた。刀身を真っ赤に染めて、焼け爛れ融解するほどに熱く激しい熱量が三方からヴィオを襲う。
これでは山刀が完全に溶けきるよりも先に自分が消し炭になる。竜のように猛る猛火が肌を嘗めるより早くそう悟ったヴィオはひとまずそちらへの対処に舵を切った。切らざるを得なかった。
実を言えばエイミィの山刀もマジックアイテムなのだ。
加工した魔鉱石によるチャージ式のものであり、充填に時間をかけることでエイミィは風属性ほど適性のない火属性を戦闘の実用に耐えうるだけのものにしている。
闇と光を除いた基礎属性にしか対応しておらず、またチャージなどしなくてもただ持っているだけで魔力が馴染むヴィオのダガーよりも希少性で言えば遥か格下でしかない。
だがいざとなれば刀身すらも犠牲にして限界を超えた火力を生み出せるだけの強化方法となり――単に乱暴に扱って壊すのと変わりはないが――許されるのはたった一度切りという制約によって、威力という一点においてのみはヴィオをしても脅威を感じさせるだけのものがあった。
「ここで三本を捨てるか、エイミィ!」
彼の力量ならたとえ三方どころか四方八方からの攻めでも難なく処理できる。が、ヴィオの胸中には少なからず焦りがあった。
何故なら火に視界が包まる直前、彼の目はしかとそれを映していた。巨人の拳。それが自分目掛けて迫らんとしているところを目撃してしまったのだ!
巨拳に備えて火の対処を諦めるならそれでよし。拳を止めてそのまま焼かせ、限界のところで殴り直すだけ。
巨拳よりも先に火を片付けるならそれもまたよし。火が防がれたその瞬間を狙って巨拳で叩き潰すだけ。
ゼンタとエイミィの策は概ねそういったものだろう。
火に応じれば圧され、拳に応じれば焼かれる。なんとも嫌な二択であり、なんとも効果的な波状攻撃である。魔術師潰しのお手本のような攻め方だ。
ただしそれはそこいらの冒険者のような一般人をつかまえての話。ここにいるのは『時の魔術師』だ。痩せても枯れてもSランク冒険者。命を張った実戦に立つ機会こそ長らく失ってはいるが、その間も暇をしていただけではない。
研究があり、研鑽があり、研磨があり、その結果を出すときが今。
「『テンポラルパラドクス』――!」
肉体時間の加速、からの時空魔法と負詠唱と正詠唱を連続発動。
ヴィオをもってしてもなかなかの無茶と評せるだけの組み合わせを、しかし彼はやってのけた。しかもそれだけではなく、脳の別の部分では負と正の重ね合わせ。無限大と無限小の融合という矛盾の極点とも言えるそれを用意しながらだ。
――轟音と共に大地が揺れる。火を遠ざけつつ山刀の陣から脱出した途端に振り落ちてきた拳を、今度こそ無限大で迎え撃つ。
モルグの殴打はあまりに強大で余波だけでも地表をこそぎあげたものの、被害の中心にいるヴィオは無事。だけでなく、殴打を腕ごと弾き返すことまでできた。その刹那に彼が感じたものは様々だった。
素晴らしい、と即席の詠唱にしてはよくやったものだと己を褒め。
備えなければ、と更なる波状攻撃の続行を予想しながら魔力を練り。
おかしい、とどこか妙な思いが頭の片隅に生まれた。
何が気になる? はっきりとは言えない。ただし強いて言えば、そう。
弾かれた巨腕の挙動がどこか――。
「何……!?」
頭上で肉塊の化け物の腕だけが宙に舞っていることに気付いたとき、彼は自身のとある誤解を悟った。




