453.『時の魔術師』の誇りにかけて
「くそっ、たれ……!」
魔皇にぶっ飛ばされたときを思い出す。そんだけの勢いがあったぜ、今のは。
おかげで全身が痛ぇのなんのって……視界も冗談みてーにぐわんぐわんしてやがる。
どんだけ近づこうとしても近づけない、近づくほどに残りの距離が長くなってくような矛盾しかないあの感覚。
あれが無限小の更新、なんだとしたらそれを反対にした無限大にゃあ、確かにこれぐらいのパワーはあってもおかしくねえ。
単純な力じゃなく、自然の摂理が歪められて俺たちに牙を剥いたって感じだがよ。
「うっ……く、」
俺と一緒に吹っ飛んだエイミィも起き上がってるが、どうにかこうにかってところだな。足の踏ん張りが利いてねえのが見てわかる。
無理もないぜ、エイミィは怪我をし過ぎてる。その体に今のはそうとうこたえただろう。
俺たちがヴィオを殺しちゃならねえのと同じく、ヴィオだってその目的は俺たちの取引を潰してエイミィを連れ帰ることだ。てこたぁ俺のことはともかく、エイミィを手にかけるつもりはないはず。
さっきの無茶な特攻はそれを担保としての「また時を止められたとしても命までは奪われないだろう」っていう判断のもとに実行されたんだ。
実際ヴィオはエイミィを殺そうとはしなかった。
制止した時間の中なら風の鎧を身に纏っていないエイミィなんて、喉や心臓でも一突きにすりゃそれで始末に事足りる。
だが奴のダガーが切り付けた箇所は尽く急所から外れている。それでも大怪我にゃ変わりねえが、ヴィオの不殺の意思の証明にはなる――と、思ってたんだがな。
そいつも怪しくなってきたぜ。【金剛】発動させてる俺でも参っちまうような魔法を、こんなボロボロのやつに食らわせやがるかよ? エイミィだからなんとかなってるってだけで、普通なら下手をしなくても死ねるぜ……。
エイミィだから、って部分に信頼を置いてのぶっぱなのかもしんねえが、にしたってヴィオは実験と口にした。そりゃつまり威力については奴にとっても未知数だったってことだ。
そんなのを連れ帰ろうとしてる仲間に試すとか意味がわからん……何を考えてるのかさっぱりだぜ。頭のネジが外れてるとしか思えねえ。
「ふむふむ。地平線の彼方まで飛んでいく、とはならなかったか。あくまで起点は僕だから、割合をひっくり返すと言っても効果までがそっくり裏返ったりはしないと」
まさに実験結果を考証する科学者みてーなノリで独り言を口にしながら近づいてくるヴィオ。
その足取りは軽く、全身の傷が血の跡ごとまるっと消え去っている。服のほうもまたしても修繕済みだ。
ちっ、治す隙を与えちまったか。ありゃたぶん自分の時間を戻してるとか、そういう魔法なんだろうな。よくわからんが。
だが若いときのままで肉体を留めているぐれえなんだから、リアルタイムで負った傷をなかったことにする程度は簡単なこったろうよ。
せっかくエイミィが被弾上等の覚悟で負わせた手傷もチャラになっちまった……とはいえ、奴が消せるのは傷だけ。
肉体の時間を戻したって失った体力や魔力までは戻ってこねえだろう。それが叶うならヴィオに死って概念はねえってことになる。だとすりゃ攻撃を避けたり遅延魔法で万が一の防御を仕込む意味もない――それらをしてるってことはヴィオにも死があるし、限界があるってことの証明。
つっても与えたもんと失ったもんは、とてもイーブンとは言えねえがな。限界があると言ってもその底がまだまだ見えねえヴィオに対し、こっちのやれることはかなり限られてる。
少なくとももうエイミィにさっきみてーな無茶はできねえし、させられねえ。今度こそマジで死んじまうぜ。
こっからは実質、戦力は俺一人だ。
「あー……マズいっすね、これ。人に戦闘任せきりにしてたキッドマンがここまで強いなんて、詐欺もいいとこっす……」
「まったくもって同感だな……参ったぜこりゃ。舐めてたつもりはねえがやっぱとんでもねえな、『最強団』」
仮面女やリオンドも大概だったが、まともに打ち合ってくれるぶんヴィオよりはまだしもやりやすいと言える。こいつに関しちゃそれもさせちゃくれねえからな。常に何が何やらわからず、謎解きにでも挑んでるような気分にさせられる。
こんなもん戦いとは言わねーぜ。ヴィオからの一方的な出題だ。
「立ち上がれるし、話せる元気もあるんだね。無限小という絶対に捕らわれた状態からの解放。本来ならその程度で済むはずはないんだが――ま、そこは君たちの耐久性を褒めるべきかな」
「人を実験道具かなんかみてーに言いやがって」
「あははっ! そう聞こえたならごめんよ。でも当たらずとも遠からず。せっかく耐えてくれたんだ、君たちを使ってもうひとつ実験させてほしい」
なんの屈託も、悪気もなく。ヴィオはさらに容赦なく俺たちのことを痛めつけると宣言した。もはやエイミィを引き止めようって目的はどっか果ての彼方へ置いてきちまってるようだ……はっ、確信したぜ。
アップルが持ってきてくれたパインからのこいつへの評価。『異常な精神性』……その文言にゃなんの偽りもなかったってことがな。
ヴィオ・アンダントはイカれている。興が乗ったかなんなのか知らねーが、今のこいつには明らかに時空魔法とやらの性能テストしか頭にない。その結果俺やエイミィがどうなろうともはやどうだっていいんだ。
ただ、知りたい。
それ以外のことなんて頭にねえ。
「四問目だ。無限大の正詠唱。無限小の負詠唱。二種類の『テンポラルパラドクス』を掛け合わせると何が起こるか?」
「掛け合わせだぁ? んなことまでできんのかよ」
「さあ、できるかどうかはまだ不明かな。同時詠唱も『リワインド』などとは比較にもならない難度であることは間違いない、失敗するかもしれない……わからないからこそやるんだよ。そして成功させてみせようじゃないか、『時の魔術師』の誇りにかけて……!」
時の魔術師。グリモアが『屍の魔女』と呼ばれてるみてーにこいつにも通称があったのか。
だがグリモアの死霊術の腕前ほど大っぴらにはなってないこともあって、おそらくそれほど通りのいい名称ではないはず。俺も初めて聞いたしな。
だがこいつがその名にプライドを持ってるのは確かなようだ。無邪気な子供のように飄々と。冷酷な科学者のように淡々と。これまでそういう風にしか戦ってなかったヴィオに、初めて並々ならぬ熱が灯ったように見える。
「負詠唱は既に実践に耐えうるものだと証明が済んでいた。正詠唱も君たちのおかげで――まだ実証は足りていないが――効力と実用性が示された。あとはこの両者を、果てのない最大と果てのない最小という究極の矛盾を同居させるだけだ。この十年以上僕の心を捉えて離さなかった問いの答えが、今ようやく――!」
「ストップだ!」
「――っと。何だいゼンタくん。僕は今崇高な実験に着手するところなんだけど」
「そうかい、そいつはよかったな……だがよヴィオ。俺たちに付き合わせてばかりで悪いたぁ思わねーのか? こっちはもう三問もお前の問いに答えてんだぜ。四問目にいく前にこらでちょいと、俺の実験にも付き合ってくれよ」
「君の、実験?」
「ああそうだ、忘れてたことを思い出してな。今の俺にやれることは一通り確認したつもりだったが、うっかり見落としてたぜ」
「忘れてたこと……ふむ。来訪者で死霊術師の君のことだ、死属性や闇属性のスキルや、それを駆使した技かな? さっきの『極死拳』のように……でも無駄だよ。言ったように今の僕を守る時空の壁は遅延魔法のそれとはレベルが違う。いかに先代魔皇の秘儀と言っても、もう通用はしない。君の実験も時間を無為にするだけの行為となるだろうね」
「へっ、そっちはそっちで試してーではあるがな。だが今からやんのはそれとはまるで別のことだ」
見せてやるよ、と俺は手を伸ばす。
こんなことしなくたって発動はできるんだが、ヴィオの目を引くためにな。
先に『テンポラルパラドクス』を使われちゃ敵わねえ――だが俺の期待通り、ヴィオはひとまず俺が何をするつもりか見ようという体勢に入ったようで何もしてこねえ。
ありがてえこったぜ、その余裕!
「【召喚】発動……!」




