437.誰も責めやしない
「…………」
無言で佇んでいる仮面女。
さっきまでは確実に誰もいなかったはずのそこに、いつの間にか腕を組んで立っていた。ギルドハウスの壁に背を預けているその姿はなんとも偉そうなもんだ。
すぐ傍に出現した仮面女にぎょっとしたサラは、メモリの手を引っ張って俺のほうにやってきた。
「ゼ、ゼンタさん。あの人が例の……?」
「ああ、俺を鍛えてくれた仮面女だ。オブラートな表現だがな」
サラの問いに俺は迷いなく頷く。
仮面を被ってるんでパッと見じゃ本物かどうかはわからねえ。だが顔を隠してたって伝わってくるこの迫力。まるで不機嫌なときの姉貴を前にしてるみてーに脚が竦んじまいそうになるこの感じは、間違いなく仮面女のそれだ。我ながらイヤになる判断基準だけどよ。
と、俺の言葉にぷふっとリオンドが吹き出した。
「そうそう、道すがらトードから聞いたよ。ゼンタは彼女のことを仮面女と呼んでいるんだってな? くっくく……わざわざ名も顔も隠すくらいだ、俺からも何も言わないほうがよさそうだな。なあ、そうだろう?」
最後の問いかけは俺じゃなく仮面女へ向けられたもんだ。そう訊ねられた仮面女は「ふん」と鼻を鳴らし、ゆっくりと俺たちのほうに歩き出した。
「言うまでもないこったろうが。そいつに余計なことをほんのちょいとでも言ってみろ、リオンド。あんただからって容赦はしないぜ」
「おっと、怖いな。若かりし頃の苦い記憶が蘇る……君との喧嘩はもうご免だ、大人しく黙っておくとしよう」
退きながらそう言ったリオンドに再度鼻を鳴らし、仮面女は俺の目の前に立った。
「順調そうだね、ヘボガキ」
「おかげさんでな。扱き魔さんよ」
「はっ、あんなのが扱きだぁ? どこまで甘ったれだよてめーは」
「…………、」
かーっ、相変わらずの物言いだぜこいつ。メモリに対してはそうでもなかったんで俺にだけ厳しいやつなのかとも思ってたんだが、リオンドへの態度を見るにそうでもねーようだな。誰にでもこんな感じか。
まあリオンドと比較しても俺への当たりはキツすぎる気もするが……。
「おい」
「あ? ――ッぐ?!」
パパパパン! と突然の衝撃。
連続で何発か殴られた……!
ぶっ倒れそうになるのをぐっと堪えて、何をしやがるんだと詰め寄ろうとした俺に「黙れ」と仮面女はぴしゃりと言い付けた。
いや、まだ何も言ってねーんだが。
「ちょっとした餞別だ」
「なにぃ?」
意味がわからずマジで気が触れちまったのかこの女、とけっこう本気で心配したんだが……疑問はすぐに解けた。
『レ■ル■■プ■■した』
魔皇戦以来の表記が視界に映った。ステータス画面と同じようにバグって文章がジラついちゃいるが、それの意味するところはわかる。こりゃレベルが上がったことを知らせてるんだ。
そういや昨晩の戦いでも今の決闘でも、かなり激しくやり合ったのにレベルは上がってなかったな……ってまさか仮面女の言う餞別ってのは――。
「もう一息でレベルアップしそうだってんで、そのぶんの経験値をくれてやったのさ。感謝しな」
「……あーはいはい、イイもんありがとよ。しかしあんた、他人の経験値がどんくらいたまってんのか見られるのか?」
「めんどくさいがスキルを使った。少し気になったもんでね……だがろくに見えやしないときた。なんだかお前、少し妙なことになってるみたいじゃないか?」
む。さてはこいつ、委員長の【天眼】みてーなので人のステータスを覗き見しやがったな? ……まあいいか、ちょうど誰かに聞きてーところだったんだ。
「なんかバグってるみたいでよ、俺も自分のステータスが確認できなくて困ってんだ。ひょっとすると来訪者みんなこうなってんのかとも疑ってたんだが」
「あたしはなってねーな。たぶん他の誰もなってない。お前だけだろうぜ」
「マジかよ。……どうすりゃいいんだこれ」
「知らないね。上位者さまにでも聞きゃいいんじゃねーの。どうせ面を拝むつもりなんだろ?」
「――あんたは止めねーんだな」
「言ったろ、あたしはこの件に関わる気なんてない。『灰』に動けと命じられれば別だがな」
「そうかい」
こいつでもやっぱ『灰』には、管理者さまには逆らえないわけか。当然その上の上位者にもだ。
命令が下ればその通りに動く。そん代わり命令がなければ『灰』の意に沿わないやつにも率先して何かするってこともない……ん? だとすればこいつはなんでここにいるんだ?
リオンド曰く、ポレロに来たのは個人的な理由あってのもの。勧誘は別に『灰』に命じられてのことじゃあない……だってのに、仮面女はそれについてきている。しかもなんのスキルか知らねーが隠密系のそれで姿を消してまでな。その理由がさっぱり見えねえ。見えねえがしかし、なんかしらはあるはずだ。
「そっちにもなんか、事情ってのがありそうだな」
「別に。いちいちお前やトードの奴と話すのが面倒だったってだけだ。そいつが――」と顎をしゃくってリオンドを指し、仮面女は難儀そうに言う。「バラしたりしなけりゃ顔を見せるつもりもなかった」
どっちみち顔は見せてねーだろ。
とツッコむのは野暮かね。
ていうかその場合だともしかすっと、姿を見せないまま俺を殴ってたのか……?
この女ならやりかねないな、と想像でゾッとしてると。
「にしても、バグね……」
何やら意味深な、仮面越しの呟き。どういうことかと視線で問えば、仮面女は不愉快そうな口調で言った。
「本当にただのバグなら幸運だ。そうじゃないなら……」
「そうじゃないなら……?」
「――ああ下らない。心底下らないことさ。お前にゃ実にお似合いのね」
チッ、と舌打ちが聞こえる。仮面の奥から発せられたそれは小さいが、苛立ちというよりももっと強い怒り。そして隠しきれない不安を感じさせるものだった。
俺にお似合いの、心底下らないこと。以前ならまったくちんぷんかんぷんだっただろうが、多くのことを知った今の俺には……なんとなく、本当に薄っすらとだが、仮面女の言いたいことの察しがついている。
なんせ俺ぁ死霊術師。魔皇と同じく勇者の相方に選ばれた男なんだから。
「いいじゃねーかよ、下らなくて。別に支障はねえしな……今んところは。そんで、だから希望も持てる。上位者が話の通じる奴かどうかってのは別にしても、その機会くらいならなんとか掴めそうじゃねえか?」
「……ハッ。やりたいんなら好きにやりゃいい。お達しがない限りあたしは何もしねーさ。邪魔も協力も、何ひとつ。ただし、これだけは言っておくぜ」
ぐいっ、と。
俺のタンクトップの胸ぐらを掴み、引き寄せて。互いの吐息すら聞こえるような距離で仮面女は言葉を続けた。
「どうせ駄目元で挑むんだ、いつお前がそれを諦めたって誰も責めやしない……責める権利なんざない。こうなっちまったからってお前が背負うことじゃあないんだ。そもそもお前みたいなガキの背中に世界が乗っかるなんざ馬鹿げてるだろうが――だから、いつでも逃げちまえ。ちょっとでも怖いと思ってんならな」
真剣に、本音だとわかる口調で仮面女は語る。
俺のことを心配してくれてんのかどうか……は、わかんねーが。
少なくとも俺なんかが代表して上位者に物申すっていう構図に恐れらしきもんを抱いてるってのは、確かなようだ。
その気持ちはよくわかる。俺だって同じ不安があるんだからな。確かにそれを投げ出しだって誰にも責められる謂れはないかもしれん。
だけど。
「実際誰も責めやしねーだろうさ……俺自身以外はな」
「!」
「だからもう後戻りはできねえよ。魔皇だって倒しちまった、マリアさんもいなくなった。まだしも不自然淘汰に抗えそうだった二人はもういないんだ。他の誰でもない、俺がやる。そう決めたからには逃げらんねえ。自分で決めたこともできねえような、そんな弱い男にゃあなりたくねーんでな」
リオンドの言う通り、失敗しておっ死ぬかもしれない。だけじゃなく、最悪だと淘汰の規模をよりとんでもねーもんにしちまう可能性だって否定はできねえ。
面と向かって上位者に歯向かうってのはそういうリスクのある行為だ、んなこたぁわかってる。
わかってるから、誰かに任せたいとは思わねえんだ。
馬鹿で考えなしの俺だからこそできること。それがこれなんだと、そう思うからよ。
「魔族との戦争に、魔獣事変。そういうことはもう起こさせねえ。神の干渉なんてない世界……それを手に入れねえことには、きっとどうにもならないぜ。だから俺が手に入れんだよ」
「…………」
言いながら服を引っ張ってる腕に手をやれば、仮面女はすんなりと放してくれたぜ。




