43.どんなに祈りを捧げても
夜更けに、そっと村長の家の扉が叩かれた。
長く間を置いて村長リームスが扉から顔だけを覗かせると、訪ねた者は「夜分遅くに申し訳ない」と詫びを告げる。
「ミルスか。……こんな時間にどうした? 何かあったのか……」
「いえ村長。組合から来た冒険者のことなんですが」
「彼らが、どうかしたかね……?」
土気色をした、お世辞にも良いとは言えない顔色で、村長が擦れた声で訊ねる。
それとは反対に、ミルスは愛想のいい笑みで答えた。
「それがあの子たち、期待した以上に優秀でしてね。墓所を調べた途端に元凶を見つけ出したらしく」
「なんだって……!」
「ええ、本当に驚きですよね。やはり専門家は違う。こんなに早く解決の目途がつくとは。というわけで、明日の朝一番に退治してくれるそうですよ。暗い夜は危険ですからね。特に、アンデッドを相手には……。それだけを報告に来たんですよ。それじゃ、俺はこれで失礼します。おやすみなさい、村長。良い夜を」
「あ、ああ……。おやすみミルス……良い夜を」
気の抜けた、話を聞いているのかどうか定かではない調子で返事をした村長は、まともにミルスの顔を見ることもなくパタリと戸を閉めた。
その扉の前でしばらく佇んでいたミルスは、やがて諦めたように首を振ると、踵を返してこちらへとやってくる。
一連のやり取りを物陰からこっそりと見ていた俺たちは、ミルスを迎え入れた。
「お疲れっす、ミルスさん。完璧な演技だったぜ」
「今のでよかったのかい? ……いやそれ以前に、君たちは本当に村長があんなことをしたと言うのか?」
気が重そうにそう口にしたミルスへ、メモリは淡々と応じた。
「彼の行動は、怪しい。近しい人の死を悼むためでも、事件の最中にも頑なに墓所へ一人で出向く行為は、常識からかけ離れている」
「それは、そうかもしれないが。しかし村長が一人娘のミェルを溺愛していたことは、ミカケ村の住民なら誰もが知っていることだ」
だから、危険を顧みずに行動することもおかしくはないと言いたいのだろう。
けれど村長の怪しい点はそこだけじゃあないんだ。
「彼の体からは、隠し切れないすえた臭いがした。あれは死臭と、生き物を焼いたときの臭いが混ざったもの。……彼が家を調べられるのを激しく拒絶したのは、何故?」
「それは……」
行方不明者が出た家に塗られた灰色の汚れの正体を既に聞き及んでいるミルスは、答えに詰まった。メモリは彼の返答を待とうとはせず更に畳みかける。
「連続失踪事件は、村長の娘が亡くなってから起きている。極めつけは……墓所から感じられた人ならざる者の気配が、僅かに彼と似通っているものだったこと」
「……! そう、か。ネクロマンサーがそう言うのならば、俺がいくら否定しても意味はないのかもしれないな……」
力なくうなだれるミルスだったが、彼は「だが」と顔を上げた。
「それでも俺は村長を信じるよ。実際にこの目で確かめるまでは、彼がこんなことをしただなんて思いたくない」
こんなこと――つまりは死霊術の中でも一等邪悪な、生贄の儀式だ。
死者は生き返らない。それは魔法があるこの世界でも不変の法則だが、人はたびたび大切な者の死を前に、ありもしない奇跡……否、禁忌に囚われるのだそうだ。そういう人間が縋るのは大抵、命というものに関わりの深い死霊術というのが常であり、普段は恐れて近寄りもしないそれを、そのときばかりは自分にとってこの上なく都合のいい術だと思い込む。
そして悲劇が起きるのだ。
と、メモリが言ってたのを思い出す。
ネクロマンサーが怖がられるのも本人たちの行い以上に、まったくの素人が起こす事件によってたびたび世が騒ぐから、ってのが大きいらしい。それが歪んで伝わってるって側面もあるんだろうな。
「村長さんは、亡くなった娘さんを蘇らせようとしているんでしょうか」
「……十中八九、動機はそう。だけど、あり得ない。どれだけ死霊術に精通しようと、どれだけ魂と通じ合っていようと、失われた命が元通りになることだけは絶対にない。絶対に……不可能だから」
「そうですね。メモリちゃんの言う通り、どんなに祈りを捧げてもそんな奇跡は起こり得ません」
きっぱりと、二人はそう言い切った。
死人が蘇ることはない。
それが、こっちの世界でもどうしたって動かせねー現実だってんなら。
「早いとこ村長を悪夢から解放してやらねーとな。そうじゃないと、また犠牲者が出ちまうからよ」
俺の言葉にサラをメモリが頷いた。
ミルスは複雑そうな顔をしていたが、かちゃりとかすかに聞こえた音に反応してそちらを向いた。俺たちも物陰から顔だけを出してそこを見る。音がしたのは、村長の家からだ。
「…………」
周囲を見回して人気がないことを確認し、忍ぶような手付きで戸締りを終えた村長は、足早に歩き出した。少々覚束ないが、明らかに焦りが彼の足取りを速めている。
「思った通りだ。明日にも退治されるって聞いて家を飛び出したな」
「そんな、村長……」
愕然とミルスは呟くが、その態度からはまだ村長を信じたいという気持ちが強く感じられた。
「行こうぜ、ミルスさん。これから何もかもがはっきりする。そうなったときは、あんたが村長のことを抑えといてくれ」
「……ああ、わかった。行こう」
覚悟を決めたミルスの言葉を受けて、俺たちはこっそりと村長リームスのあとをつけた。
村長が向かう先にあるのは、当たり前のように例の墓所だった。
◇◇◇
「おぉ、おぉ、ミェル……野蛮な者たちが来て怖かったね……わしが来たからもう大丈夫だ。さあ、一緒に逃げよう。儀式はまだ途中だが、場所を変えて再開すればいい。今はとにかく奴らの手の届かないところへ行こう……もう二度と、もう二度とわしはお前を失わないぞ」
「――村長!」
「!?」
ぶつぶつと独り言を漏らしながら墓を掘り起こそうとしている老人の姿に耐え切れなくなったらしく、ミルスが俺たちの了承を待たずに呼びかけた。いきなりの展開だったが、このことに俺たちよりも驚いているのが村長だった。
「ミ、ミルス……どうしてここに……」
「彼らが助言をしてくれたんです。犯人を炙り出すための策をね」
もうバレちまったもんは仕方ない。俺たちもミルスに続いて姿を現すと、呆然としていた村長はみるみるその顔を歪ませていった。
「……わしを嵌めたな、ミルス……! 余所者なんぞにいい様に使われて、村長のわしを裏切ったか」
「裏切ったのはあなたのほうだ! 確かに聞いたぞ、その口から『儀式』という言葉を……! 村長! 失踪者が出る元凶とは、あなたなんだな!?」
「――その通りだ」
真正面からミルスを見据える村長は、完全に居直っていた。
そこに覇気の欠けた普段の彼はどこにもいない――いるのは悪い気に満ちた、一人の邪悪な老人だけだ。
「これは、ミェルのためなのだ。何故あの子が死なねばならなかった? あの子は優しく、純粋な子だった。おおよそ人を悲しませるようなことは生まれて一度もしたことのない、穢れなき魂を! 神は何故、残酷に奪うのか! わしには世の全てが醜く見える。不平等すらも平等でないこの世に、正しく生きてなんの価値があろうか! 邪法だろうと、禁忌だろうと! それでミェルが還ってくるのなら、わしは喜んでどんな汚いことにも手を染めよう! そう誓ったのだ!」
その血反吐を吐くような告白に、ミルスは村長以上に苦しそうな顔をした。
「馬鹿な……! 村長ともあろうあなたが、村の人間を何人も犠牲にしてまで……」
「村長である前に、わしは父親だ。ミェル以上に大切なものなどない!」
「一人の親であるのなら、なおさら! 大切な者が奪われる悲しみを理解しておきながら、どうしてこんな真似ができる……!?」
「すまないとは、思ったとも。しばらくは葛藤もしたものだ――だが! それでもわしはミェルに蘇ってほしかった! もう一度、わしに! あの笑顔を見せてほしかった……!」
泣き出しそうなくしゃくしゃの表情で、村長は袖口から短刀を取り出した。
それを握って彼は――なんと自分の手首を切った!
「何をするんです!」
絞るようにぼたぼたと墓へ自分の血を垂らす村長を、ミルスが羽交い絞めにした。
その拍子に落ちた短刀を俺は遠くへ蹴っ飛ばしたが、村長はそんなことを気にせずに不気味に笑っていた。
「生者の苦痛と血肉が死者を喜ばせる。力を付けさせる……血縁のわしなら尚のことだ。さぁ起きるんだ、ミェル! 既に必要な贄の半数以上は捧げ終えている! その力で冒険者なんぞ始末してしまえぇ!」
「――オォロロロロロロロオロロロロロ」
村長の叫びに呼応して、得体の知れない声が墓所に響いた。




