424.神なんていない
リビングの空気は最大級に張り詰めている。俺の拒絶に、真顔になったリオンドが何を言うか……あるいは何を仕出かすか。
ここで騒ぎは起こさせねえと約束したトードだけでなく、サラもメモリもアップルもヤチも。そして俺も、いつでも動けるようにしてる。
こんだけ取り囲まれてて下手に仕掛けてくるとも思えねえが、そういう常識が通じねえような不気味さがこの男にはある。
「無軌道――」
そんな中で発せられたリオンドの言葉を、俺は一瞬理解できなかった。
「ながらに山のように不動。……同郷の者たちが君について述べた内容を一言で纏めるなら、ゼンタ・シバとはそういった人間らしい」
「カスカたちが、俺のことをそんな風に言ってたって?」
「ああ。初対面とはいえ君のプロファイリングは既に済ませているつもりだったが……俺の理解はまだ足りていなかったらしい。聞いた内容に間違いなどひとつもなかったというのに、それでも測り損ねた。無軌道だが不動。その矛盾した表現の意味を今、ようやく本当の意味で知った」
残念がってるような、感心してるような。
どちらとも取れる口調でリオンドは続ける。
「悩みはしてもブレはしないわけだ。決めてしまえばもう揺らがない。一度踏み出し、二度とは戻らない。そういう強さが君にはある……勧誘を蹴られるのも当然だ。そんな人間が無謀を承知で敵対したのであれば寝返りなどするはずもない。動機が正義というくだらないものでないというのなら、尚更にな」
「……それをくだらねーとは思わないがな。ただ俺の価値観じゃねえってだけだ」
「そうか」
にこり、と。
俺の言葉に再び笑顔を見せたリオンドは、「なら仕方ない!」と膝を打った。
「実に惜しいが、手を引こう。君を筆頭にサンドクインやナキリといった警戒に値する来訪者たちを自陣に引き込めないものか、と思案していたんだが……このぶんではそれこそ無謀そうだな。蒙の啓かれた目で、しかし俺とはまったく違う方向を向いているのであればもはや説得のしようもない」
「おう、そら無理だ。すっぱり諦めてくれ」
いやどうだろう……委員長は性格上あり得ねえと自信を持って言えるが、カルラはなぁ。
自分と、それからマチコたちの帰還が最優先のあいつなら、とことん合理的に②の案を飲んでもおかしくない気がするぜ。上位者に頼むためには管理者が席からどいてくれなきゃならねえって問題……それがもしリオンドやローネンの助力で解決できるなら、あっさり手を取っちまいそうじゃねえか?
そもそもあいつ、淘汰を良く思ってねーのかどうかもよくわからんしな。
あくまで帰還の邪魔になりそうだから眉をひそめている。それぐらいのもんだとしたら、身を切るような無茶をしてまで阻止しようとはしねえだろう。
この世界のことはこの世界の人間に任せましょう。
そう冷酷なまでに割り切ってさっさと帰っちまう図がありありと浮かぶぜ。
それを教えて本気でカルラの離脱を目指されたら大変なんで、んな不安はおくびにも出さずに俺は真面目に言ってやる。
「とにかくこれでわかったろ、前提からして誤解してたんだってことが。遊び半分じゃねえ、だが死ぬ気でいるほど悲壮でもねえ。『灰の手』だってなるべくなら殺したくねえし、傷付けたくもねえ。俺たちゃそういうスタンスだ。目的さえ達せれば何がどうなったっていい、なんて思ってそうなおたくらとは違ってな」
「それは君の誤解だな。『灰』の命令に従うにしても『灰の手』だって犠牲は抑えようとする。快楽殺人者じゃあないんだ、死ぬのは必要最低限でいい。それが世界を守るということだ」
「はっ。人の命が紙みてーに飛ぶ大事件やら戦争やらをいくつも起こしてきといて最低限とは恐れ入る。それでいて世界の守護者気取りだから手に負えやしねえな」
「魔皇ともこういった問答をしなかったかな? 『そうしなければ世界が終わってしまう』のなら、やらない手はない。君はどちらかと言えばそういう選択ができる人間だと思うが。必要とあらば躊躇わず手を下すような……違うかい?」
「同じ穴の狢ってか?」
「入口が違うからそちら側にいるだけで、そうでなければこちら側にいてもなんらおかしくはない。俺たちの対立は偶々でしかないさ。コインの裏表のようなものだ」
「一個のもんでも裏と表じゃぜんぜん違うぜ。描かれてる模様も、そして……決して向かい合うことはねえってところもな」
「そうだな。それもひとつの答えだ」
だが実際どうする? とリオンドは軽い口調で聞いてくる。
「魔皇を倒した君だが、『灰』は……管理者はその魔皇や聖女マリアですら一世紀前、敵対を拒んだほどの存在。勝ち目はあるのか? 勝ったところで、その先は? その管理者ですら上位者からすれば駒なんだ。神を相手に君はどうやって戦うつもりでいる?」
そして上位者を倒せたとして、とそんなことは絶対に無理だと考えているのがよくわかる無機質な口調でリオンドは言う。
「上位者なき後、この世界はどうなる。誰が管理する。天上の神ですら維持に苦慮する世界の営みを、これから先の未来で誰が守る? 俺たち『灰の手』は『灰』ありき。『灰』は神ありき。神なき世界がどうなっていくかは未知数、だが淘汰という救命措置が取れなくなることだけは確かだ。リカバリーが利かない。それはとても、とてもとても恐ろしいことだとは思わないか?」
「ああ、恐ろしいな」
「そうだろう――」
「神の淘汰でリカバリーが利いて当然。そのために人が、他のどんな生き物が死んでも消えても尊い犠牲だ……なんて。あんたらがそんな思考回路になってることが俺にゃあ恐ろしくて仕方ねえよ」
「……!」
「神なんていねえ。この箱庭を眺めてんのはただ人にねえ力を持ってるだけの人モドキだ。逆らえないからお前らはそれを上位者なんて呼んでへえこらしてるが、考えてもみろ。遊び半分に世界を弄ってんのは誰だ? シナリオなんて作って舞台劇を楽しんでんのは誰なんだ。来訪者だとか管理者だとか、んなもんだって上位者の手慰みじゃねえかよ。そんなことしてねえで世界の維持とやらだけに注力してりゃあ、もっとマシだったんじゃねえか? 何度も不自然淘汰でいくつもの命を消して、魔皇なんて復讐鬼まで生み出してよぉ……そんなことにはならなかったはずじゃねえのか!」
「な――……、」
「いらねえだろうよ、世界を弄ぶ神サマなんざ! んなもんがいるから余計におかしくなってんだろうが――だったら俺が神の蒙を啓いてやる! お前含めて世界中の目を覚まさせてやるって! そう言ってんだぜ、リオンド!」
「いったいどうやって……」
「一発ぶん殴ってやんだよ。それ以外にあるか?」
「…………………………」
長考。俺から視線を外し、身じろぎもせずにリオンドは黙っている。
その表情からはやっぱ何も読み取れやしねえが、今まで以上の真剣みが感じられる。俺の宣言にどう思ったかはともかく……何かしらこいつの琴線に触れたってことは間違いねえようだ。
いやまあ、触れたのは癪のほうだって可能性もあるにはあるが。
「……うむ、ゼンタ。君の主張は、なるほど。目から鱗だな。その観点は俺にはまったくなかったものだ。神なんていない、か……まさかここに来てこんな気付きを与えられるとは思ってもみなかったよ。君を知る者が、軒並み君を要注意人物だと語ったわけがよくわかる」
なんだよ、そんなことまで言われてんのか俺は。『灰の手』で俺を知ってる連中といやぁカスカたち以外にはローネンやキッドマン――あとは仮面女とグリモアくらいか?
……いまいち想像つかんな、そいつらが俺について話してる様子ってのは。
「断られてからこんなことを言うのもおかしな話だが」
「あ?」
「俄然興味が湧いたよ。さっきまで以上に、俺は君をよく知りたいと思っている」
「……そーかい、そりゃどうも。つってもこれ以上話すようなこともねーと思うが?」
「そうだな、もう交わす言葉はない――だから『決闘』をしよう」
あっけらかんと、リオンドはそう言った。




