423.ある一本の線
俺もまた、ぐいっとテーブルに身を乗り出してリオンドに顔を近づける。
そして答えを告げてやった。
「お断りするぜ」
「…………」
リオンドは何も言わず、じっと俺を見つめる。俺の目をな。こちらも負けじと見つめ返す。メンチの切り合いってわけじゃねえけど、先にこの無言を終わらせたのはリオンドのほうだった。
「あまり考えてもくれなかったな。およそ論理的に導き出された答えだとは思えないんだが、参考までに。どんな理由が主でその結論に至ったのかを教えてほしい」
差し出した手をそのまま引っ込めたリオンドは、残念そうな顔付きながらも口元の笑みを消してはいない。訊ね方も穏やかそのものだ。
……わかんねーな、これが本心なのかただのブラフか。こいつにゃハナと同じく、俺なんかの観察眼は通用しちゃくれねえようた。
別にこれが嘘だろうがそうじゃなかろうが、俺の答えが変わるこたぁねーんだが。
「断った理由? 理由ね……」
ソファに背を預けなおし、「それより先にもうひとつ教えとく」と言えばリオンドは興味深そうに眉を動かした。
「ほう、なんだろうか」
「見る目あるつもりなのかもしんねえが、リオンドさん。あんた俺のことを何もわかっちゃいねえ。それどころかいっそお見事ってくらいに誤解してるぜ」
「そうなのか。俺は君の何を誤解してしまっているんだろう?」
「全部だ」
「…………、」
お、意外そうだ。さすがに何から何まで見誤っていると指摘されるのは予想外だったか?
俺自身ちょいと大袈裟に言っちまった感はあるが、盛ってるつもりはねえ。実際にこいつの語る俺についての話は、どこを取ってもしっくりこねえもんだったからな。
「まず四つの結末云々だが。あんたの仰る通り現実的なラインってやつは、②なんだろうよ。淘汰を防がず、世界からおさらばする。言うなりゃこれは来訪者と上位者との折衷案だ。どっちも譲歩してるわけじゃあねえが、表現としてはそれが妥当だろ?」
「そうだな。故に、俺もそれをお勧めしたいわけだが」
「馬鹿言っちゃいけねえよ。こいつもあんたの言葉だぜ……行うに易しで選ぶことはねえってな。だったら④と同じじゃねえか。簡単そうだから②を選ぶってんなら、俺ぁそもそもこの選択肢に行き当たってねえんだよ」
「――ふむ」
なるほどなるほど、という感じで顎に手を当てながらリオンドは頷く。なんか腹立つな。このフラットな態度は、こいつがどこまで本気で俺の前に座ってんのかをわかりづらくさせる。ハナと同じと言ったが、読めなさではあれより上だな。
あいつよりポーカーフェイスともなると……面と向かって腹を割るにはめちゃ厄介な野郎だぜ。
俺の内心は表情に出てるだろうが――もう隠す意味もねえしな――それには素知らぬそぶりでリオンドは言った。
「俺としては落としどころのつもりでいたんだが、それ自体が君には気に入らなかったか」
「たりめえだぜ。ここまで言やぁわかるよな? 最も現実的でないとあんたが省いた①以外に、そもそも俺にゃ選択肢なんかねえんだってことがよ。選ぶべき結末ってんならそれ一択だ」
「実現可能性は最初から度外視していると?」
「それも間違いじゃねえが、そうじゃねえな。まず根本からしてあんたと俺は考え方が違ってんだよ。①がめちゃ難しいってのは同意する。叶えるためにゃ奇跡が必要だってのもな。――その奇跡を実質不可能なもんと捉えてるのがあんたで、言うほど手の届かねえもんじゃねえと思ってんのが俺だ」
「……!」
「ポジティブが過ぎると言いてえか? だがネガるよかマシだろ。それで不自然淘汰を受け入れちまうぐらいなら、俺はアホなくらいポジティブのままでいい」
きっぱりと。なるべく断固とした口調で言い切る。
俺とリオンドの思考、そのベクトルは正反対だ。同じ出発点からでもここまで結論の異なる相手にわかってもらおうとは思っちゃいないが、少なくとも俺が真剣にこれを口にしていて、もう悩む段階にはいねえってことだきゃあハッキリさせておかねえとな。
――クラスメート同士で対立することに忌避感があったのは事実だ。
元の世界に帰ること。叶って当然のはずのたったそれだけを叶えるための必要な代償はデカく、取り返しのつかないことになるかもしれねえ。
そしてその引き金を他ならぬ俺の手で引くことになるかもしれねえ……そう思えばどうしたって迷いは出てくる。
だが昨夜、実際にカスカと対峙して。
そんで戦ったことで、その迷いはなくなった。
やるからには戦るしかねえと腹をくくることができた――あいつらの宣戦布告は俺にとってもいい景気付けになってくれたぜ。
「俺の意思は定まってるし、固まってる。あんたに言わせりゃおよそ論理的な思考じゃあねえんだろうがな……だがこっちは仲間が死んでんだ」
「それは、再会できなかった同郷の者たちのことかな」
「ああそうだ。六名が野垂れ死んだ。一名は俺のダチが手にかけた。人ってのは嫌になるほどあっさり死んじまうもんだろ?」
「その通りだ」
肯定しながらも、俺が何を言いたいのかわからない。そういう目をリオンドはしていた。これはポーカーフェイスが崩れているんじゃなく、あえて問いかけてるんだ。
こいつは俺を丸裸にしたがっている。だったら俺に興味があってやってきたというのも、あながち嘘ではねえのか……?
「何をしたって死ぬときは死ぬんだ。だったら怖がってる場合じゃねえ。これ以上の犠牲を出したくねえなら、犠牲を出さない覚悟で戦うまでだ。そうじゃねえと何もできねえままになるからな」
クラスメートが『灰の手』に取り込まれてる時点で帰還推進派としちゃ雁字搦めもいいとこだ。
その圧倒的優位のままに勧誘なんて舐め腐ったことをしてきたリオンドを、俺は睨む。こっちの意図はちゃんと伝わってる。リオンドの表情に特に変化はなかったが、俺はそれを確信できた。
「そうか……読み違えていたのはそこか。未だ来訪者の誰もが成し遂げたことのないという、古郷世界への帰還。それを為そうとしている君はだから、もっと慎重に模索を続けているところだと考えていた。魔皇の動乱の直後であり、神の淘汰の直前である今はある意味、そのための絶好の機会でもある。時代の変遷する過渡期だ。それがわかっているであろう君は戦う以外の手段を必死に探しているところだと……そう見越していたんだが」
ふ、と自嘲のように微笑みながらリオンドは緩やかに首を振った。
「まるで違ったね。あの襲撃から日も浅いというのに、まさかもう悩んですらいないとは。君の抱く正義は俺の予想より遥かに確固たるものだったというわけか」
「――そこだぜ、あんたの一番の読み違い。勘違いはよ」
「む……?」
「淘汰を防ぐのは、誰だってみんな死にたくねえに決まってるからだ。帰還方法を必死こいて探したのだって、クラスメートを死なせねえためだ。それは正義のためじゃあねえ」
「どういうことだろう。俺にはやはり立派な正義感に思えるが」
「生きたいやつは生きていけるように。帰りたいやつは帰れるように。それが当たり前だと思うから、やらなきゃ気が収まらねえって話だぜ。正しい正しくないじゃねえ、俺がそうしたいからそうするんだよ。間違っても正義なんてもんは基準にしちゃいない」
やりたいようにやってるだけなんだ。
魔皇軍との敵対を選らんだのだって、『灰』との敵対を選んだのだって。それが世間一般的な正しさだと判断したからじゃあなく、そうすべきだと俺が思ったからだ。
許せねえアホはぶっ飛ばすし、守りてえもんは守る。それだけのこった。
「おべんちゃらで俺を抱え込もうってのがそもそも目論見違い。いいか、リオンドさんよ。俺ぁ道徳や倫理で縛れるような男じゃあねえんだぜ。あくまで基準はこの頭だか心ん中にある一本の線。そこを越えるか越えないかだけだ……そんで『灰』はとっくに向こう側にいる。まさかその下に俺がつくなんて、勘違いでも思ってくれてんじゃあねえよ」
これが断る理由だ、と。
わざと偉そうにふんぞり返って座る俺に、リオンドは……そこで初めて顔から笑みを消した。




