406.やってみろと返すまでだな
「それこそ正気じゃないわ!」
間髪入れずに糾弾の声を上げるカスカ。さっきまで余裕たっぷりだった態度――それはカスカ一流の演技も含めてのもんではあるが――を思わず崩しちまう程度には、こいつにとって許し難い暴挙だったらしいな。
上位者を倒す、なんて宣言することはよ。
「天使ってのはやっぱ神さまの手下なのか?」
「え……?」
「妙なもんだぜカスカ。お前ほど我の強くて思い切りもあるやつが、どうして上位者や管理者の言いなりになることを最初から受け入れてんのか。そこがどうにも俺にゃあ腑に落ちねえ」
我の強さで言やぁ定住派の中じゃレンヤがぶっちぎりだろうがな。だからこそ、あいつはあいつで俺に語った通りのことを――下剋上で成り上がろうとしてるのを虎視眈々と狙ってるんだろうと予測がつく。
つまりは魔皇と同じことを違う手法でやろうとしてるってことだ。それの是非や実現するかってのはともかくとして、いかにもレンヤらしいと納得はできる。
ところがカスカはどうだ。
こっちの世界に来てから初めて知ったことだが、こいつだって大概我は強い。自己主張が半端じゃない。それに加えて今までの自分をあっさり捨て、天使様なんてもんになり切って異世界生活をエンジョイする思い切りのよさも併せ持ってる。
なのに、『灰』には跪く。神には傅くって?
「てんでのびのびできてねえじゃねえか。せっかくの新しい自分とやらを窮屈にしちまって、それでいいのか? 首根っこ抑えつけられたんじゃあ結局、猫被ってた前の世界となんにも変わらねえだろがよ」
「馬鹿を言わないで、逆らえるわけがないでしょう?! 言ったじゃないの。上位者は私たちを来訪者たらしめる、戦える者たらしめる力の源だって。全てのシステムの大元だって。そんな存在に、そしてその手足として働く管理者に反抗なんてできっこない――敵いっこない。そんなこと試さなくたって、考えなくたってわかりきっていることだわ!」
「勝手に決めんなや。んなのやってみなきゃわかんねえだろうが」
「……!」
ぐっ、とカスカは言葉に詰まった。それは反論に困ったってんじゃなく、言い返したい言葉が一気に溢れすぎてどれを言えばいいかわからなくなっちまったからだろう。あの苛立ち七割、呆れ三割の目を見ればそいつは明白だ。
「……そう、いいじゃないゼンタ。考えなしの昔のあんたに少しだけ戻ったようね……まさかそれは意趣返しのつもりなのかしら? でもね、ダメよ。あんたの考えは透けて見えてるわ」
「……、」
「いくら柴ゼンタが一年前の聞かん坊の暴れん坊に戻ろうとしたところで、世界そのものを文字通り支配下に置いている上位者に挑んで勝てるなんて、本気では思えていない。いえ、勝ちたいという意思自体は本気であったとしても、それが決意ひとつで成し遂げられるような軽いものじゃないことは承知している……そうじゃないの?」
「…………、」
「だからあわよくば私を、そして残留希望のクラスメートたちを『灰』から引き剥がしたくてそう言ってるんでしょう。……確かにあんたの言う通り、管理者や上位者の目を気にすることなく好きに生きられたなら、どれだけ素晴らしいことか。けれどお生憎様、多少の抑圧があったところであっちの世界よりはそれでもてんでマシなのよ。何故ならあの世界には抑圧のみしかないんですもの。元の環境は私を圧し潰して身動きを取らせてはくれない。それに比べれば神の何するものぞ、よ。傅くことだってちっとも苦痛じゃないわ、自由の味を知ってしまったからにはね……!」
「だけどそれは相対的なもんだ。心からの満足じゃあない。違うか?」
「――、」
カスカはキッと俺を睨みつけてきたが否定はしなかった。
確固たる意思とやらで選んだのが最善じゃなくて次善だっていう認識は、強く持ってるんだろう。そこに後悔だとか躊躇だとか、そういうのに近い感情を燻らせていないことはない。
ないがしかし、カスカは胸の内にあるその燻りを無視すると決めちまってるようで。
「なんと言われようとも、ゼンタ。私の心は今更ブレたりしない。少しでもこの世界に残ることに支障が出るような真似はしないし、させない。元から私はそれを言うためにこの街へ来たのよ」
「だったらどうするよ。俺ぁその忠告に従う気はねえんだぜ」
「力尽くで従わせる、と言ったら?」
「やってみろと返すまでだな」
「それじゃあ遠慮なくそうさせてもらおうかしら――静穏魔法『エリアサイレンス』」
「!」
魔法が俺たち共々ここら一帯を包んだ。今の俺にはそういう気配すらもわかる。夜の闇がそうさせているのか、ますます五感が敏感になってるようだ。
しかしカスカのやつ、こんなことをしたからには。
「ガチでやろうってか? 決闘モードじゃねえマジの喧嘩を……いいぜ、お前を取っ捕まえときゃ後が楽になりそうだしな!」
「ふん。こちらこそ、できるものならやってみたらと言っておくわ」
「できねえと思うか! 【超活性】発動ォ!」
一足飛びでカスカのいる煙突の上まで跳躍。とりあえず一発ぶち込んでやろうとしたが、カスカはふわりと優雅に翼を動かして宙へ浮き上がることでそれを躱した。
「ええ、できっこないわよ。【清き行い】発動――『ヘビーフェザー』」
「っぐ……!?」
入れ替わるように煙突の淵に着地した途端、体が急激に重たくなった。見ればカスカの翼からはキラキラとした羽根がいくつも落ちてきている。こいつは、ポレロを襲ったエニシのペット。あの巨大ムカデの動きを鈍くさせたスキルか!
レベルが20台の時点でとんでもねえ効果を発揮してたくらいだ、今のカスカとなりゃ一段と強力になってるだろう。その証拠に、【超活性】を使用中だってのに俺の反応は恐ろしいまでに鈍い――!
「『エンジェルスマッシュ』」
「ちぃッ……【ドラッゾの遺産】発動!」
ドラゴニックパワーで加重を撥ね退ける。羽根の効果は持続してるが竜の力と竜鱗の防御力によって体は随分と軽くなった。そのおかげで空を切り裂くような翼の一撃をどうにか回避することが間に合った。
空中で体勢を変えて、足から降りる。さっきいた場所に逆戻りしちまった。動けてるとはいえ今の俺の体重は屋根を突き破ってもおかしくないほどのもんになってるはずだが、うちのギルドが紅蓮魔鉱石埋め込みの特別製だからか、あるいは『ヘビーウェザー』の仕様によるものか、足場にはさほど負担もかかっていないようだった。
「よく避けたわね」
「なんてことねえさ……しかし面倒ではあるな、そのスキル。だがてめえ、前に【清き行い】は人のために行動してるときじゃねえと使えない、とか言ってなかったか? なんで今使えてんだよ」
「立派に人のためよ。私自身のためだけじゃなく、定住派の代表として戦ってるんですもの」
「屁理屈じゃねえか!」
「理屈は理屈よ。不満があるなら、それも上位者に言うことね!」
ばさり、と一際強く翼を羽ばたかせてカスカは再び羽根を舞わせた。
「重ねて【清き行い】発動! 『ヘブンリーフェザー』!」
「……ッッ!!」
ミシリッ、と体中の骨が軋みを上げるほどの超加重。なんてこった、この重さはちとシャレにならんぞ……!
度重なるレベルアップでこういうのに対抗するためのステータスであるResも伸びてるし、何よりドラッゾの竜鱗だって借りてる状態だ。今の俺の抵抗力はかなりのものになってる。なのに、それを軽々と突破してきやがるとは。
これはスキルの効力なのか、それとも『天使』っていうけったいな職業の特性か……!? どっちにしてもこのままじゃキツい!
「【併呑】発動、『悪鬼羅刹』……!」
「!」
動けねえ俺を攻め立てるべく寄ってこようとしてたカスカだが、角を生やして肌の色まで変えた俺にぎょっとして咄嗟に停止した。その判断は正しい。いつも通りとはいかねえが『ヘブンリーフェザー』を食らってようとこれなら反撃できる。
カウンターを警戒したカスカは正解だぜ……ただし【超活性】+【遺産】+『悪鬼羅刹』は俺の肉体を軽々とお前んとこにまで運んでくれるがな!
「おぉオ!」
「なっ……、」
一瞬にして目の前にまで飛び上がってきた俺を見て、どっちみちのことだったとカスカも理解しただろう。近づこうが近づくまいが変わりゃしねえってな。
今度こそ一発入れさせてもらうぜ――と、拳の命中を確信した俺を。
「させんよ、ゼンタ」
「何っ――っぐぁ!?」
横合いから思い切り弾き飛ばしたのは、カスカと共に消えたもう一人の元ギルメン。
ヨルこと、吸血鬼ヨルヴィナス・ミラジュールだった。




