405.くそったれの上位者さまを
「無理だぁ……?」
「そうよ。私たちはもうただの中学生じゃない。今更昔の私たちに戻るなんて、絶対に無理。何よりそんなのイヤ。それはあんただってそうでしょうし、そもそも犠牲が出ているのよ?」
犠牲、と言うカスカの口調はことさらに冷ややかだった。
「長嶺先生が死んだ。その時点でわかりきっていたはずよ。あんたは砂川さんとだって戦っているんでしょ? クラスメート同士で殺し合った。……このザマでおてて繋いで帰りましょうなんて、それこそ非常識じゃない? さっきから私の正気を確かめるようなことばかり言うけれど、ゼンタ。私からすればあんたたちのほうがよっぽど正気の沙汰じゃないわよ」
「…………、」
担任のナガミン含めて二十七名。一人の漏れもなく全員で帰ることが、この世界に来てまだ日も浅い頃に掲げた目標だった。
こっちで何年も過ごしちまったら戻ったときが大変だな、とか森でのサバイバル中にぼんやりと思ったりもしたもんだが、前に聞いたカスカの話でその懸念もなくなった。教室で光に飲み込まれる際の、席の位置による微妙な時間の差。一秒にも満たないようなその違いで、こっちの世界では数日間もの開きが出ていた。
そりゃつまり、こっちと比べると元の世界のほうは格段に時の流れが遅いことを意味してる。
コンマ何秒が数日に代わるレベルなら、一年経っても向こうじゃ一分も経ってねえって可能性もあるよな。
ならクラスが空っぽになってることにだって、きっとまだ誰にも気付かれてねーはずだ。
必ずしも全員が帰ることを望んでるわけじゃない。そう言われてあの日の俺は頭の中を直接ぶん殴られたような衝撃を受けはしたが、それはそれとして。
カスカもクラスメート探しに協力してくれると言うし、委員長だとかの他の生徒らの話も聞けた。それで俺ぁ心の底からホッとしてたんだ。最悪、自分だけがよくわからん世界に飛ばされたって線もあんときはまだあったからな。
そうじゃないと知って、同じクラスの連中も一緒だとわかって、どんだけ安堵したことか。だから頑張ろうってもっとやる気も出た。
悪いところじゃあねえがここはヤバい世界だ。
戻りたいやつは一刻も早く戻してやりたい。
掛け値なしにそう思ったし、その点はカスカも同じだったろう。だから定住派でありながらも委員長に力を貸していたんだし、一応は俺にも協力を申し出てくれたんだ。
しかしそれもあくまで、自分の選択が脅かされなければの話。
まだ帰るべきか残るべきかで揺れている俺とは違って、カスカは残留一本で心を固めている。
それを諦めるくらいなら他の者が帰れなくなろうがなんだろうが、どうだっていいと。帰還派こそが犠牲になれと。
きっぱりとそう言い切れちまうくらいには、こいつは不退の決意を持って俺の前に立っている。
「念のために言っておくけど、私だけじゃないわよ。カナデは歌手として今後も活躍したい。天満くんはこっちでできた恋人と添い遂げるつもりでいる。階戸辺レンヤも野望があるだとかで燃えているわ。詳しくは知らないし知りたくもないけどね。砂川さんは……本人的にはどっちでもいいってスタンスみたいだけど、『灰』には従順だわ。たぶんね」
「なんだ、思ったよりまとまりがねーな?」
「まあね。面子があまりまともじゃないから……と言っても、そっちも似たようなものよね」
うちのクラスは変人奇人の問題児だらけだ。どんな人選だろうと一定以上の人数で派閥を作ろうもんなら、まともな面子だけで固めるなんてできっこねえ。
向こうじゃまだまとも枠だったはずのヤチとかハナなんかもその化けの皮が剥がれたことで、ますます変人濃度は上がってるくらいだしよ。マジでどうなってんだかな、このクラスは。
ナガミンが手を焼くのも当然だし――そしてだからこそ、俺とかレンヤみてーなどうしようもねえ不良でもなんとか通えてたってのもある。
……くそ、やっぱどうしようもなく悔しいぜ。
思った以上に俺は、クラスメートの死に動揺しちまってる。
「チームとしてのまとまりは置いておくとしても。いずれも皆、帰りたいと願うクラスメートを犠牲にする覚悟でこちらにいる。それだけは確かだし、確固たるものよ。だってもうすぐ一年よ? あっちの世界からこっちの世界につれてこられて、あと少しで一年経つ。それだけあれば変わるわ、何もかも。先生なんてたった数ヵ月で『教師の長嶺タダシ』から『暗黒騎士のシュルストー』になっていた。魔皇軍の誘いに飛びついていなければ、今頃はあの人も私たちと共にいたでしょうに……残念ね」
本当に残念がっているのか微妙な所作で肩をすくめたカスカは「それはともかく」と話を進めた。
「往々にしてそういうものよ。長嶺先生の激変に私たちは驚いたけれど、それは何も不思議なことではない。環境が人を作る。新しい環境が新しい私たちを作った。その結果生まれたものは、以前の自分とはまるで違う……どちらが真実の私かと言えば、断然今よ。今の私が、本物の私」
「けっ、向こうのお前は偽物だったのかよ。そいつぁ知らなかったぜ」
「腐すんじゃないわよ、そういうことが言いたいんじゃないの……だってこれはあんたの話でもあるんだから」
「俺の話だって?」
「ええ。あるいは私以上にこの世界でこそ生きやすそうにしているその姿を見れば、誰だってそう思う。あんただって新しいゼンタなのよ。問題は、あんたには私たちほどの確固たる意思がないってこと……その点で言えば、今よりもっと考えなしだった昔のあんたのほうがしっかりしてたわ。柴ゼンタの成長については認めるところだけど、それも良し悪しってところね。何かを得て、何かを失う。それを成長と呼ぶのならだけど」
クラスメートだろうが自分の意に沿わないのなら、潰す。そういう覚悟があるかないかじゃ、確かに今後はまったく違ってくるだろうな。
だからと言ってそんなもんを覚悟とは言いたくねーし、それを得ることが成長だってんなら、俺は成長しなくていい。
結局のところだ。
帰還派も定住派も見捨てたくねえと我儘なことを思ってんなら、俺の取れる手段はひとつ。
どこまでも我儘を貫くことしかねえじゃねえか。
「――よくわかった。お前らが何を思って『灰』の味方になっちまのか、知れてよかったよ。何かで脅されてんじゃないかとか危惧してたもんだから、そうじゃないってんなら……心置きなくやれるぜ」
「戦る? 私たちと戦う覚悟を決めたってわけ?」
「ま、それも必要とあらばな」
なるべく気負いを見せねえようにそう言ってやれば、カスカは眉をひそめた。案の定、俺の言葉の意味が咀嚼できてねえようだ。
そうだろうよ、いくらお勉強ができようが端からそれを諦めちまってるこいつには無理だ。俺が考えてることなんて慮外すぎて当てられっこねえ。
「お前たちが倒すべきは『灰』と対立する俺たちだ。万が一にも元の世界に帰らせないように、そんで不自然淘汰の邪魔をさせねえように。そこは間違いねえだろうけどよ……だがその反対は成り立たねえ」
「なんですって?」
「俺たちが倒すべきはお前たちじゃあねえってことさ。突き詰めて考えるなら、俺の敵はお前じゃない。『灰の手』でもないし『灰の者たち』でもない。たった一人だけだぜ」
「ま、さか――」
ここまで言えばさすがにわかったみてーだ。信じられない、とその顔にありありと文言を浮かばせるカスカに、俺はなるべく堂々と頷いてみせた。
「そうだ。俺たちを取り巻く問題の発生源にして、唯一の解決手段でもあるあいつ。……くそったれの上位者さまを俺がぶっ倒してやるってんだよ」




