403.オールorナッシング
「未来のためだぁ……?」
「いみじくも私たちが以前に議論した通り。元の世界とこの世界、どちらを選ぶのか。これはそういう話なのよ」
「……!」
「私は元の世界の私には戻りたくない。この世界で天使として生きる……そう言ったこと、まさか忘れてはいないわよね?」
「んなインパクトのある発言、忘れたくても忘れらんねーわ。だが前みたく人助けはしてねーみてえじゃねえか。天使様の噂をとんと聞かなくなったぜ?」
どこに行っちまったのか知るために、カスカの天使活動の情報を集めようとはしてたんだ。トードにも相談していくつかの冒険者組合にかけ合ってもらったが、結局目撃情報はなしのつぶてだった。
そこから推測するに、カスカはクラスメート探し中にも決してやめなかった話題の天子様としての人助け行為を、最近じゃめっきり封印してしまっているようだ。
「承認欲求の発散だもの。今あくせく無償の奉仕をしたって大して意味もないと知れば、どうしてもやる気がね」
「意味がない? どういうこった」
「だって天使様に助けられて感激して感涙して、敬虔な信者になってくれたとしても……ひょっとしたらその大半が淘汰で死んじゃうかもしれないじゃない。せっかく助けてもそれじゃ無意味よ。だから、私が天使様に戻るのは淘汰の後。上位者がリセットをした後の世界でいい。そう考えたわけ」
「お前なあ……カスカ。自分がどんだけ悪趣味なこと言ってるかわかってんのか……?」
「別に高潔になった覚えはないわ。ゼンタの言う通り、これは奉仕ではなく活動だもの。目的ありきよ。趣味と実益が兼ねられてこそ私は天使になる。本当の無償なんてご免ってことね」
きっぱりと言い切るカスカの表情は、奇妙というか微妙なものだった。
シニカルな調子ではあるが、その対象になってるのは俺じゃあなく自分。白羽カスカというただ一人の人間に向けての冷笑的な雰囲気が、今のこいつにはある。
「淘汰で大勢が死ぬってのを知ってんのに『灰』に協力してえのかよ。それじゃお前も共犯だ。大量死の片棒を担ぐことになるんだぜ。そこんとこをちゃんと理解してその立場を選んだんだろうな?」
「当たり前よ。そりゃ私だって助けられる命は助けたい。その結果私の評判は上がるなら言うことなしね。でも、助けられない命なら助けたいとは思わない。人が増え過ぎている。と、上位者が判断したからには、淘汰で人減らしをしないことにはいつこの世界そのものが見捨てられてもおかしくない。それじゃあ困るのよ」
「未来を守るってのはそういう意味か……!」
「ええ。帰りたい人たちにとってはその後でここがどうなろうとも知ったことではないんでしょうけど、私はずっとこちら側で生きていくつもりなんだから。当然、世界の崩壊なんて見過ごせはしないわ」
どうなろうと知ったことではない、なんてことは思っちゃいない。少なくとも俺はな。だが、カルラとかはどうだろう。
元の世界への帰還が叶うとなれば、あいつならこちらの世界がどんな危機を迎えようとも見向きもせずに帰っちまいそうだ。
それは無用ないざこざに巻き込まれないためでもあるし、マチコらを無事に帰すためでもある。きっとカルラなら冷徹にそう動くだろう。
「所詮は他人事よね、何もかも。皆自分が一番大切だし、自分の思い通りにしたがっている。私もあんたもそれは同じ」
「そう言ってるお前が上位者の思い通りに動いてんじゃねえか……いや、これは管理者の思い通りっつったほうがいいのか? どっちにしたって、淘汰を受け入れるんじゃなくやめさせようとはしねえかよ」
「するわけないわ。そんなの無理だもの。神よ、神。私たちを来訪者にした大元。世界の壁を越えて人を攫って、妙な力を授けて、悪戦苦闘してる様を眺めて楽しむ。悪趣味というのなら神こそがそうでしょう? 私はそんな存在に逆らいたいとは思わない。あんたのように歯向かう決意は、できっこない。その先に待ってるのは破滅だけだもの」
「…………」
俺の意思表示はするまでもなく敵方に伝わっているらしい。俺たちが『灰』+『灰の手』を戦うべき相手と認識しているように、『灰』の側でも敵勢力の認識と共有が行われている。そういうことなんだろう。
「淘汰こそが破滅に通じるもんだとは思わねえのか。上位者の気まぐれで消えた命は多い。種族単位でな。人間そのものが減らされちまうかもしんねえんだぞ」
「そんなことにはならないわ。だって人は神のお気に入りなのよ。淘汰だって人を存続させるための手段。規模の縮小は行われても、消滅はない。そこは魔皇が怯えすぎていただけのこと。神の淘汰は、魔皇の選別よりもずっとお優しいみたいよ」
「優しい、だと?」
「聞くに、魔皇が生き残らせるつもりでいた選民はどんなに多くても数百人が精々といったところでしょう? ……淘汰の生き残りはそれよりもずっと多いわ。今の社会文化をなくさせるためにも半数以上は消されるでしょうし、生き残ってもしばらくは苦労することになるでしょうけど、まあ。それが人類の存続のために必要とあれば仕方ないんじゃない? 繰り返すけど、死者の数で言えば魔皇とは比較にならないほど有情なんだしね」
「っ……、だから納得しろって?」
「……ええ、してほしいけれど。だけどゼンタにそれは難しいでしょうね。私だって何もあんたにそういう期待はしていない」
でもまあ、とカスカは吐息のように言葉を続けた。
「念のために聞いといておきましょうか。答えは出た?」
「答え……?」
「そう。戻るか、残るか。前はうやむやにしていたその答えを、今こそ聞かせてくれないかしら?」
――ちっ、またその問いかよ。
正直言えば、どっちかというと俺はこっちの世界に惹かれている。カスカの言じゃねえが、俺が俺らしく生きられるのは絶対にあっちじゃなくてこっちだ。
ただ、元の世界に未練がないと言えば嘘になる。将来への展望はなくたってあっちでの毎日が楽しくなかったわけじゃない。
それに姉貴を筆頭に、世話んなった人たちになんの恩も返せねえままに永遠にバイバイってのは、ちと辛いもんがある。
かと言ってそれを返すためにあっちに戻れば、今度はこっちで世話をかけた人たちをほっぽっていくことになっちまう……。
あちらを立てればこちらが立たずってやつだ。
「…………」
「ほら、未だに迷ってる。どうしても出せない答えなら先送りにするのもいいわ。でも、それももう限界でしょ? ……どっちつかずのあんたに教えてあげるわ。いいいことも、悪いこともね」
「……?」
いいこと、悪いこと。その発言の不吉さに警戒した俺を見て、カスカはふっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「まずはいいこと。確認が取れたわ。来訪者が帰る手段は、ある」
「それは上位者へ頼むっていうやり方のことか?」
「その通り。私たちをあちらから召喚したのが上位者なんだから、送還してもらえばいい。単純な話よね。そしてそれは間違いなく可能ではある」
「できるできないの裏付けが取れたってんなら、そら朗報だな」
「そうでしょうとも。特にあんたや委員長はそれをずっと探していたわけだから、これは間違いなく『いいこと』……そして『悪いこと』は――、」
少し間を置いて、カスカは言った。
「手段はそのひとつだけであり、しかも区別がつかないということ」
「区別――」
「ええそう、区別。誰かが帰るとなれば帰りたくない者もひとまとめに帰る。誰かが残るとなれば残りたくない者もひとまとめに残る。オールorナッシング。零か百のみで、その調整ができないのよ。おわかり? だから私は、誰も帰さない。そのつもりで『灰』についた。そのほうが断然有利だと思ったから」
「……、そういう、ことかよ」
いみじくも以前に議論した通りだと。
カスカがそう告げた真意を、遅ればせながら俺はようやく理解することができた。




