402.唯一無二の協力関係
「!」
視線の主が動いた、気がする。こっちへやってくるような気配だ。説明はムズいが確かにそう感じたぜ。
こうやって俺が一人になってんのは、向こうからしてもあからさまだ。普通ならまず罠を疑うだろうし、乗ってくるかどうかは五分五分ってところだったが……割とすぐに反応があったな。そう大して悩んでねーってことだ。
あるいはそれは、俺っていう人間がそんな罠を張るようなタイプじゃねえと知ってるからこその即断なのかもしれねえ。
実際、俺は特に何も考えちゃいない。来るなら来い。ただそれだけで待っている。
サラがこのことを知れば、約束した舌の根も乾かぬ内によくもと怒るだろうな。だが俺は言った通り、一人で敵陣に突っ走ったりはしてねー。敵のほうが勝手に来たんだ。俺は夜風に当たっているだけなんだから、そこは多めに見てもらいたいところだ。
そんなことを思ってると、ふわりと。俺が背中を預けているのとは別の、正面にあるもう一本の煙突に降り立つ影があった。
月夜に映える白い翼。異世界でも滅多にお目にかかれないドピンクの派手な髪色。その見覚えのある配色は、間違いなくあいつのものだった。
思った通りの人物の登場に、俺は風に吹かれながら目を細めた。
「良い夜ね、ゼンタ」
「どこがだよ」
久しぶりの再会だってのに、挨拶もすっ飛ばして白羽カスカは気取ったことを言う。呆れて返した俺に、やつはくすりと笑った。
「こんな時間にこんな場所で何をしてるの?」
「俺の質問だな、それは」
「私は……そうね。一人で夜の散歩ってところかしら。ゼンタも一人みたいね」
「そうだな」
嘘だ。いや、俺は正真正銘一人だが、カスカは違う。まだ隠れてこっちを見てる視線を感じる……他にもいる。少なくともあと一人は確実に。
それは誰か、なんてのはもう考えるまでもねえな。
「ヨルは元気か」
「気になる?」
「たりめーだ、気にしねーほうがおかしいだろ。いきなりいなくなりやがって」
「ふふ、それもそうね」
嫌味を込めてそう言ったが、カスカの余裕は崩れない。硬い。普段通りの口調ではあるがどこか壁がある。見た目以上の距離を感じる――だがどんなに壁を張ってはいても、いつも通りではある。
カスカと最後に顔を合わせたのは、サラが中央に向かった日だ。シスターとして認められるために教会本部へ出戻りしようっていうあのとき、俺とメモリは各自の修行が控えていて一緒に中央行きの列車に乗ることができなかった。
その代わりに同行者として名乗りを挙げてくれたのがカスカとヨルのコンビで、二人はサラと共にポレロを出発して……そんでそれっきりになった。
修行中のサラとも別れて行方知れずになったかと思えば、組合を通して一方的に離縁宣言を突き付けて、その後は連絡ひとつなし。そうして今に至ると。
考えてみりゃなかなかバッドな別れ方をしてるし、その割にこの再会の仕方も妙ちきりんが過ぎるってもんだが、カスカはそれを努めて気にしないようにしてる。それが俺にもわかっちまう。
「おいカスカ。駆け引きだとか機を窺うだとか、そういうまだるっこしいことは俺ぁ嫌いでな。単刀直入に聞かせてもらうぜ」
「!」
「『アンダーテイカー』から抜けたお前が、いま所属してんのは――『灰の手』なのか?」
「…………」
カスカは食い入るような瞳で俺のことを見つめて……それからふうと息を吐き出した。その口元から笑みはもう消えている。
「ええ、そうよ」
「ちっ……、」
煙突から背を放して、俺は一歩ずつカスカのほうへ近づいた。屋根の上は平坦じゃねえんでちと歩きにくいが、こんなとこでも【環境適応】の効果はあるらしく落ちる気はちっともしなかった。
煙突と煙突のちょうど中間で足を止める。近づいたぶんカスカの表情もさっきよりちょっとだけよく見えるようになった。が、印象は変わらない。笑っていようといなかろうと、今のこいつはどこまでも硬質だった。
「じゃあ決定だな。お前たちを連れてったっていう吸血鬼の始祖カーマイン。そいつも『灰の手』だってことがよ」
「そうね。ついでに言えば、彼女が所属するギルド『最強団』も同じく『灰の手』よ。あんたとも面識のある彼女だって、ね」
「仮面女のことか……へん。面を知らねえんで面識があるなんて言い方はできねえかもだが」
軽口を返すが、今こそ舌打ちをしたい気持ちでいっぱいだったぜ。半分はカマをかけたつもりだったんだが、カスカにとっちゃこんなのは秘密にしておくまでもないことらしい。
まあ、マクシミリオンの話を聞いた時点でほぼそうだとは見ていた。なんで俺にとっても今更なことではあるんだが、推定か決定かの違いはやっぱデカい。
「来訪者でも管理者に協力してるってか……道理で聖女に会えなんてことが言えるわけだぜ」
あのアドバイスは当時の俺からすると突飛な案でしかなかったが、仮面女からすると思い付いて当然のものだったんだ。
明確に『灰の手』の一員に加わっているかいないかという違いはあれど、聖女マリアと仮面女の立場は限りなく近しい関係にあったわけだからな。
「管理者と来訪者は必ずしも反目するものではないわ」
「魔皇やマリアさんのほうが特殊だったと言いてえのか?」
「……この世界を創ったのも、私たちを呼び込んだのも、上位者と呼ばれる神のような存在で。その神が自分の手足代わりに置いたのが管理者。来訪者は神の意思を知らずに神の意思を為し、管理者は神の意思を知ったうえで神の意思を守る」
「とあるやつはそれを舞台の役者と裏方に例えてたぜ。ただし役者が知らされるシナリオは、全体のほんの一部だけだがな」
「私も概ねそういった理解の仕方をしたわ。先輩である彼女もそうでしょう。そしてこうも思った。ならば、管理者と来訪者は唯一無二の協力関係にあると」
「……、」
「魔皇や聖女が反目的になったのは、やはり恨みあってのものよ。義憤じゃなく私憤。そうでなければ、元々の自分とはまったく無関係のこの世界で、どんな何やどこの命がどうなってしまおうとも知ったことじゃないはずだもの」
「先代魔皇とその軍勢を倒して平和を取り戻したんだぜ。仮に仲間が全員無事で生きていたとしても、こっちの世界にも愛着くらいは湧くだろうよ」
「そうかしら? 個人の感情を抜きにしたとき、魔皇があんたの知る熱量を持って行動を起こしただろうと本当に思える? そう断言できる?」
「それは……」
できんな。
カスカの言う通り、魔皇が神の不自然淘汰に抗うと決めたのは……そのために管理者と立場を入れ替わろうと画策したのも、ただそれだけを目的に据えて始めたことではなかった。ってのは確かだ。
そこには仲間の死による喪失感や、マリアへの愛憎交々のコンプレックスなんかが複雑に内心へ絡んでいる。戦いを通して言動を見た限りじゃ、魔皇自身にだって自分の本心はわかっちゃいないようだったしな。
それに関しちゃむしろ、ユーキのほうが仇敵であるはずの魔皇の本音を理解できていたようだった……そんくらいにあの男はぐちゃぐちゃだったんだ。
本質がちっとも見えなくなるほどに。
「お察しの通り、私たちは『灰』への協力を決めたわ。それがゼンタ……あんたと、あんたの率いる『アンダーテイカー』にとってはとても許されざる行為だと予測できたから、別れを伝えたのよ。直接連絡を取らなかったのだってむしろ気を使ってのことなんだからね」
俺たちが愛想を尽かしやすいように、ってわけか?
あっさり離れていってバイバイ。なるほど後腐れなくてそれはそれで受け入れやすい別れの形かもしれねえが、それを気にしないほど情の浅いやつなんざうちには一人もいない。
そんなこたぁカスカもヨルも知ってるだろうによ……どうにも気に食わねえぜ。
「勝手にはいなくなったことはもういい。今更あーだこーだ言ってもどうしようもねえからな。知りてえのは、なんで俺たちから距離を取ってまで『灰』につくことを選んだかって部分だ」
俺のその踏み込んだ質問に、カスカはさらりと答えた。
「ヨルは吸血鬼の生き残りとして始祖に従うため。私は私の未来を守るため。それにはどうしても管理者の協力者になる必要があった――あんたたちから、距離を置いてでもね」




