401.屋根の上
その後は色々とやった。
陽が落ち始めてから組合のほうへ顔を出してトードはじめ職員たちと話したりだとか、ロボへの変形以外にもギルドが失っている機能の説明を事細かにヤチから受けたりだとか。
大切ではあるが雑務っちゃー雑務のそういうことをな。
言っておくとギルドに関して深刻なことは何もなかったぜ。部屋の即時生成機能が働かないってのが一番大きなニュースで、だけどそれくらいのことじゃ誰も困りやしない。
ヤチが張り切ったおかげで今でも部屋数は過剰なほどなんだからな。三階なんかほぼ誰も使ってねえくらいだ……なもんで、ギルメンの人数が大幅に増えたりでもしねえ限りは生成機能が直らなくたってへっちゃらだ。
と、いうことをヤチに懇切丁寧に言ってやると、あいつもようやく納得してくれた。それまで平謝りだったんだよ。別にヤチのせいってわけでもねーのに、とんでもなく自罰的なやつだぜ。
普段はただ引っ込み思案なだけでここまでじゃあないんだが、家政婦としての琴線に触れると良くも悪くもテンションの乱高下が激しい。
心なしか、失敗によって俺に叱られることを望んでるような節すらある……や、これはさすがに考えすぎなんだろうが、どうしても妄想だと切って捨てられねえ圧ってもんを家政婦モードのヤチは放っている。
俺には時折それがメモリの死霊術師オーラよりも空恐ろしいものに思えてならねえ……。本人には言わんけど。怖いから。
で、そうやってるうちに夜がきた。
やっとこさ太陽もおやすみの時間帯だ。
俺たちも昼に騒いだぶんささやかなもんにした夕飯を済ませて、ギルド内は就寝に向けた雰囲気になっていった。夜にもまたシロップをかけたチェリー酒という甘々な酒を飲んでへべれけになった入野姉妹を皮切りに、今日は早く寝よう。そういう空気が作られたんだ。
その流れに乗って俺もさっさと自分の部屋に戻り、すぐに灯りを消してしばらくじっとする。するとやはり……伝わってくる。ギルド内を歩き回る皆の足音や気配。そういったものが、自室にいてもなんとなく把握できる。
暗闇で一応はベッドに横たわりながら耳を澄ませる俺を、早々に眠ってるもんだとサラたちは思っていることだろう。まさかこうやってひっそりと動向を探ってるなんて想像もつかねえはずだ。
悪いことをしてる気分になるが、これは仕方ない。いつもはそんなことしねえのに、今日に限ってずっと食堂に居座ってたりしたら怪しまれちまうからな。
まるで闇が俺の感覚をより鋭くさせているかのように、ギルドのあちこちにある動いてる気配が段々と少なくっていくのがはっきりとわかった。
しばらくすると入野姉妹以外も眠りにつきだしたらしい……動く気配は最後のひとつになった。これはおそらくヤチだな。あいつは就寝前に必ずギルド内をぐるっと見て回る。それが終われば、とうとう音も気配も一切しなくなった。
念のためにもうちょっと待ってみるが、変わらず静まり返ったままだ。
「……よし」
物音をさせねえように慎重になりながら俺は起き上がって、そっと部屋の扉を開けた。
廊下に顔を出して辺りを探ってみるが、どこにも灯りがついてる様子はない。ギルド全体が真っ暗だ。だが、暗くはあっても今の俺の目には何もかもしっかりと見えている。真昼よりも見やすいまである。それはそれでどうなんだって感じだが、まあいいだろう。少なくとも夜なら不便はしねえ。
廊下に出た俺は、自室の扉をゆっくりと閉める。それから【隠密】を発動させた。
クエストでは時々お世話になってるスキルだが、ギルドの中で使うのはこれが初めてだ。まさか我が家とも言うべきこの館でこんなこそこそする羽目になるとはな……。
それもこれも全部あいつらのせいだぜ、ちくしょーが。
なんて愚痴っててもしょうがないんで、移動を始める。もちろん、そろそろと滑るような足取りを意識をして音は出さない。いくら【隠密】を使ってても俺自身が大きく音を立てたりしたら一発アウトだからな。
目立つのは絶対にNG。
だが、目立ちさえしなければ【隠密】は確実に人の意識から俺を隠してくれる。
廊下には身を潜められるような場所はないが、この暗さはいい。仮に誰かがトイレにでも起きたとしても、壁に張り付いて動かなければすれ違ってもバレないかもしれない。ただ、鋭いメモリやアップルだと怖いんで試してーとは思わねえ。鉢合わせにならねえうちになるべく急いだほうがよさそうだ。
静かさと速度が釣り合うギリギリの歩き方で俺は三階に上がった。
私室のないここならもう誰ともバッティングすることはない。
ヤチの設計がしっかりしてることもあって廊下の床や階段が軋むことはなかったし、スニーキングミッションとしては欠伸が出るほど楽な部類だったな。
しかし念のために【隠密】はまだ解かず、素早く目的の部屋へと入る。ここは常に鍵がかかってるが問題ない。俺の手には『親鍵』の設定がされている。
俺をご主人様に指定しているヤチはここにもその家政婦魂を発揮し、メンバーたちの私室や仕事部屋を除いてどの部屋にも自由に出入りできるようにしてくれた。
本来、そういったところ(誰のものでもない場所)の施錠や開錠はこのギルドハウスの源である紅蓮魔鉱石とリンクしているヤチのみに許された権限なんだが、『家政婦』という職業の特性もあって、文字通りに俺は家主の主人のような存在として石に認識されているんだ。
主が二人いて、明確に上下がある。しかも所持者じゃないほうが上ってどういうこったよ。なんて悩むのは人間の感覚なんだろうな。紅蓮魔鉱石は特にエラーを起こすこともなく現状を受け入れているようだ。
ひょっとするとヤチが強引に受け入れさせたのかもしれねえが、そこはもう知る由もない。あんまし知りたくないとも言える。
開け、と念じながらノブを握るだけで鍵は開いた。日頃はぜんぜん使ってねーんでちと不安だったが、ちゃんと入れて何よりだ。
入室して後ろ手に施錠し直した俺の目に真っ先に飛び込んできたのは、梯子だった。真っ直ぐ伸びたそれは天井にまで達しており、そこには上に開く小さな扉がついている。しかしここは最上階。
要は、あそこからギルドハウスの屋根に上がれるってわけだ。
なんとなく思い付きでヤチに造らせたんだが、たぶん今日まで誰も屋根になんて上ってないはずだ。いらんかったな。だがどうせ持て余してるんだから、一室くらいはこういう無駄な部屋があってもいいだろう。
何事にも遊び心ってのは大切だ。必要最低限の設備しかないんじゃせっかくの紅蓮魔鉱石が勿体ないでもあるしな、うん。
なんて不必要な空間の理由付けをしつつ梯子を上り、また鍵を開ける。扉を持ち上げてみれば、思いのほか強い風がバシバシと顔を叩いた。いけねえ、この強風だと風鳴りで皆が起きちまうかもしれねえ。慌てて屋根に上り切った俺は、すぐに扉を閉じた。
ふう、これで大丈夫だ。さすがに今の一瞬なら誰も勘付いたりはしねえはずだ。
「初めて上ったな……」
三角屋根なんで腰を落ち着けるには向かねーが、立ってられねえことはない。三本もある煙突のひとつに寄っかかって、俺は普段は見ることのない景色を眺めてみた。
冒険者組合のある区画は都市にとって重要な施設が集中していて、背の高い建物もそれなりに多くある。だがここらは住居の他は小さな店くらいしかなくて、けっこう見渡しがいい。
ギルドハウスが完成するまでは隣の『リンゴの木』が一番デカかったくらいだ。それをうちが更新した形だな。
同じ三階建てではあるんだが、リンゴの木のほうは二階と三階に高さがなくてずんぐりとした造りになっている。反対にうちはどの階も天井が高い。
なもんでこうしてその最上部にいる限り、ここいらから俺のことを目視できるような場所は存在しないってことになる……だが。
――見られている。
昼からずっと続くその感覚が、屋根に出てからより一層強まったのを俺は感じた。




