397.ポレロへ帰ろう
「――ぼくも行くとするよ」
お互い無言でカルラを見送ったあと、鼠少女が唐突にそう言った。「どこにだ」と俺が聞けば、「教会本部さ」と端的に答える。
「教会だぁ? あそこだって大忙しのはずだろ。何しに行くんだよ?」
「確かに、重傷者は皆あちらに運ばれているからね。けれどぼくとしてもなるべく急ぎたいところなんだ。できるだけ早くユーキくんに協力を仰ぎ、研究を始めたい」
うーむ。それってそんなに急ぐほどかね……?
政府敷地内や教会本部では今も怪我人以外はほとんど起きてるんだろうが、本来なら誰もが眠ってなきゃいけない時間だぜ。ただでさえてんてこまいのとこに新しい仕事を増やさなくても……っていう俺の感想が透けて見えたか、鼠少女はまた肩をすくめた。
「あまり悠長には構えていられないさ。敵は魔皇軍から『灰の者たち』へと変わったが、ぼくたちが後手であることは変わらずなんだから」
「……! そんじゃまさか、お前はこの瞬間にも『灰』が攻め込んでくるかもしれねーって? いやだが、仮にも管理者さまがそんな魔皇の後追いみてーな乱暴な手段を取るもんか?」
「乱暴だが有効な手段ではあったろう? 君の言う通り、基本的に迂遠な手法を取る『灰』が魔皇のやり方を見習うとはとても思えない。が、それも絶対じゃあない。もしも『灰』が勝利のみを目的に襲撃をかけるとしたら、まさに今。このタイミングこそが最も効果的だ……そうは思わないかい?」
それは――否定できねえ。
魔皇軍をどうにか打ち破った今、疲弊してる俺たちに次の襲撃へ対処するすべはない。まず普段通りに戦えるやつがほぼいないからな。
狙われたら確かにひとたまりもねえ……それがわかっているから闇ギルドも、魔皇が勝つにしろ政府が勝つにしろ、戦いが終わった直後に奇襲を仕掛けるつもりでいたんだ。
「けれどそれも魔皇の急襲によって目論見が崩れた。『灰』の仕込みであった闇ギルド連合も、まさかここまで予兆なしに全軍を挙げての侵攻が行われるとは読めなかっただろうからね。後手に回されたのは彼らも一緒。だから、何か起こるにしてももうしばらくは時間的な猶予があるはずだ」
はん、なるほどね。『灰』の予測をも覆したっていう魔皇の大急ぎっぷりは、こういう部分でも思わぬ効果を生んでんのか。さっき話した功罪にゃあこのことも含まれているんだろう。
つって、契機になったのはマリアが単身で魔皇の下へ乗り込む決意をしたことだ。それもガロッサのダンジョンの件によって触発された、つまりは魔皇によって誘引されてのことだが、『灰』や『灰の手』に悟られることなく出立できたのは明らかにマリア本人の細工あっての結果だろう。
マリアと魔皇はほぼ自分たちしか見てなかったってのに、その思惑は奇妙なまでに重なり合って、残された俺たちに大きな影響を及ぼしている。……なんだかおかしな感じだぜ。
しかし『灰』の一手を遅らせてくれたことにはマリアだけでなく、あのくそったれ魔皇にもちったぁ感謝してやってもいい。
「とはいえ。繰り返すがその遅れも絶対のものではないし、仮にそれが叶ったとしてもどれほどの遅延になってくれるかは未知数だ。数週間や数ヵ月単位なら助かるけれど、数日程度であれば大した猶予とも言えないからね」
そりゃそうだな。マクシミリオンによる政府組織の立て直しも、教会による怪我人の治癒も、鼠少女による紅蓮魔鉱石の解析も、どれを取っても数日で片のつくタスクじゃあねえ。
それらがどれも終わらないうちから『灰』との対決が始まったんじゃ、実質今すぐ襲われるのとあんまし変わらん。や、それでもこの瞬間に襲撃があるよりは全然マシなんだが、大局的に見た厳しさは同程度ってところだ。
「だからなるだけ急いだほうがいいってわけか」
「うん。受け身になるのは致し方ないとして、だったらせめて相応の備えをしておかなくちゃならないだろう? そこをどれだけスムーズにできるかは今後を左右する大きなポイントだよ」
ということも、昨日の時点で話し合ってたんだろうな。
マクシミリオンが両腕の後遺症も取れないうちから完徹してまで仕事を続けてるのは、政府の業務を肩代わりしなくちゃ各都市にも迷惑がかかるから……ってだけじゃあなく、何より『灰』の攻勢を想定してのものでもあるんだ。
救急でもないのに教会が門戸を開くと確信している鼠少女も、ベッドに入ろうとしていたカルラがわざわざ顔を出したのも、ここからは時間との戦いになると知っているからだったんだ。
そうとわかるとますます、なんの怪我もしてねえのにぐっすり一日半も眠ってた自分が恨めしくなってくんな……。
「俺も一緒に教会へ行くか?」
寝てたぶんを取り戻せねえもんかと、せめて鼠少女の手伝いでもしようかと思ってそう言ってみたんだが、すげなく首を振られちまった。
「いや、その必要はないよ。君はポレロに戻って自分の無事をギルドの仲間へ教えてあげるといい。しばらくすれば起きると何度も伝えたけれど、それでも皆君のことを心配していたよ」
「む……」
そら早く安心させてーはさせてーけどよ……それは伝言でも済むことだしな。委員長やカルラがこっちに残るってのに、俺だけギルドの本拠地へ帰るってのもどうなんだ。と渋る俺に、鼠少女はズバッと言った。
「しかし残ったところで君に何ができるんだい?」
「うっ!」
「政府にしろ教会にしろぼくの研究チームにしろ、専門的な業務になる。君のスキルが――システムではなく人としてのスキルが役立つ場所は、ここにはないよ」
「は、はっきり言いやがる……!」
「勘違いをしないでほしいけれど、これは決して君を貶めてのことではないんだ。適材適所と言うだろう? ナキリくんやカルラくんにできることと、ゼンタくんにできることは違う。楽をするようで気が引けると君は言うかもしれないが、その前に自分が大きな戦いを終えたばかりだということを忘れてはいけないよ。肉体的な不調はなくとも、ホームで仲間たちと共に心の療養を取っておくべきだとぼくは思うね」
「…………」
仰る通り、だな。俺の活躍できる場がない以上、無理に残ったって仕方がない。むしろ足を引っ張りかねないくらいなんで、ここは大人しく退散したほうがよさそうだ。
そう思ってると「足を引っ張るとまでは言ってないけどね」と鼠少女がフォローのように言った……っておい、俺ってそんなに考えてること顔に出てるのか?
まさか今も特殊な目を使ってこっちの思考見透かしてんじゃねーだろうな。
「それじゃあ応援の件は頼んだよ、ゼンタくん」
「あ、おい」
止める間もなくさっさと行っちまいやがった。いっつも去り際がはえーよ鼠っ子。
ぽつんと一人取り残された中庭で、俺はがしがしと頭を掻いた。
「なんだかなぁ……」
なんでこうなっちまったか。最近とにかく悩ましいことが多いぜ。
魔皇っつー悪い奴がいて、その部下のこれまた悪い連中がいて、そいつらをまとめてぶっ倒せばめでたしめでたし。……それで済んでくれてたらどんなによかったか。
事は単純じゃあない。『灰』を倒せば終わりってわけでもねーし、まずその前に今度は魔族とじゃなく人間同士で戦わにゃならん。しかも敵にはおそらくクラスメートがいるときた。
冗談じゃねーぜまったく。こんな異世界くんだりまで飛ばされて、どうして級友とバトルなんざしなくちゃならねーんだ。
こんな風に色々と考えるのだって、まず俺のガラじゃねえってのに……。
「……、」
「あ、見つけましたよゼンタさん!」
「!」
なんとはなしにいくつか星の瞬く夜空を眺めてると、急に後ろから声がかけられた。振り向けば案の定サラとメモリの姿があった。俺が警護役に置いてきたボチとモルグもついてきている。
ボーッとしてたんでまったく気づかなかったぜ。
「……目覚めたのなら、まずわたしたちに言うべき」
「そーですそーです。黙って部屋を出るなんて非常識ですよ」
おっと……良かれと思って寝かしたまんまにしてたんだが、どうも逆に怒らせちまったようだな。二人ともぷりぷりしてるぜ。
サラに常識を説かれるのは不本意っつーか不名誉極まりねえが、元はと言えば俺が長く寝こけてたのが悪い。ここはちゃんと謝っておこう。
「心配かけて悪かったな」
そう言うと、サラとメモリはちょっとだけ顔を見合わせて。
「……心配はしていない」
「私もです。ただ、寝ぼすけさんが起きるのを待ってただけですよ」
「はは……そうかい。んじゃ言い方を変えるか。待たせちまって悪かった。朝になったら俺たちもポレロへ帰ろうぜ」
了解! と明るく声を揃えて応じた二人を見て、もやもやしていた俺の気分も少しだけ晴れてくれた。




