385.だから嘆かねえ
鼠少女の言うことはもっともだと感じた。
反対に考えてみるとわかりやすい。
もしも魔皇による襲撃がなく、セントラルが無事なままで管理者と争うことになっていたら。
『灰の者たち』が送り込んだ『灰の手』が蔓延る組織で、誰が本当の仲間かも不明瞭なままに対決が始まってしまったら、どうなっていたか。
そんときゃあ……手も足も出ない。とまではいかずとも、今とは別の意味でもっと苦しくなってたことだろうよ。悪くすりゃマジであっさりと負けてたかもしれねえ。そう思えば確かに、全体数ががっつり減っちまった現状も悪いことばかりじゃあねえだろう。
そのぶん膿も出ていって、クリーンな状態になっちゃいるんだからな……。
「もしも魔皇のやり口が中途半端で、『灰』が政府中枢に根深く残り続ける決断をしていたら、それこそお手上げだったね。真っ白に、真っ新になった今だからこそ対『灰』に向けて。上位者の不自然淘汰に抗うことに向けての態勢が整えられるんだ」
「『灰』の匂いを嗅ぎ取って政府に近寄らなかったって話だが……お前ならもっと早くに誰が裏切り者か見つけられたんじゃねえか?」
「それをするのは危険すぎるね……昨日の昼にも語った通り、ぼくは『灰』に認知されていないからこそこうして自由かつ不自由に動けているんだ。流石に上位者の目まで欺けているなんて自惚れるつもりはないけれど、少なくとも『灰』の目にはつかないように気を付けてきたし、それは今のところ功を奏している。その優位性を脅かしてまで政府に近寄ることは、ぼくにはできないよ」
鼠少女が言うには、『灰の手』は思った以上に数が多く、思った以上に重要な役職に就いていたとのことだ。だったら慎重すぎるようにも聞こえる鼠少女の警戒は、きっと適切だったんだろう。
『灰』に悟られぬようこそこそと、独自に打倒魔皇を目指して来訪者を導いていたこのちっちゃな少女の孤独な戦いは、ようやく報われたことになる。
ただし、これはまだ始まりに過ぎない。前哨戦が終わったに過ぎないんだ。
こっからの勝負はもっと厳しくなる。管理者は上位者の意のままに動くロボットみてーなもんだ。魔皇以上に、命になんてなんの価値も見出していない。それこそ上位者を楽しませる駒かどうか。それ以外の判断基準なんて持ち合わせていないんだろう。
だから、淘汰なんてもんが時代時代に起きる。
それを阻止しようってんだから俺たちはいっそう気張らなくちゃならねえし、そのためのに今が――信用できるかどうかのみを基準にするならだが――最良に近い状況だってのは否めねえ。
鼠少女の言ってることは、正しいんだ。
「…………」
「どうしたんだい、ゼンタくん」
黙った俺に、鼠少女が優しく問いかけてくる。その声音に手を引かれるようにして、俺はまだ整理できてないまま、思ったまんまの気持ちを吐き出していた。
「なんつーかな……人が、死んでんだ。数の問題じゃなく、命が消えたってこと自体が大問題だろ? それが切っ掛けで組織が綺麗になったぜ、なんてよ。んなもんを幸いとは俺ぁ言いたくねーしぜってえ言わねーけども、だけど。散々な事態だってプラスに変えてくような前向きさっつーか、度量が必要だとは思うんだ」
「ふむ……」
真剣に聞いてる鼠少女の瞳。そのなんでも見えるっているくりくりとした両目をこちらも真っ直ぐ見つめながら、俺は言う。
「だから嘆かねえ。悲しむことはぶっ倒れる前に済ませた。これ以上はくよくよしねえし、めそめそもしねえ。味方はもちろん、敵のぶんも。死んだ全員の命を背負っていきたい……それだけが俺にできることだろうからな」
「……そうか。うん、それがいい。君には是非、そうやって前に進んでほしい」
さっきのように渇きを感じさせはしない、小さな笑みを口元に浮かべて鼠少女は「あれをご覧」と指を向けた。
「お……」
驚いて声を上げかけて、咄嗟に口を噤む。大きな音を出しちゃいけねえ。
そこにはサラとメモリが眠っていた。鼠少女とは反対側で、ベッドの隅っこに寄りかかってすやすやと寝息を立てている。
き、気付かなかったぜ。二人ともさっきからここにいたのかよ。
「片付けを手伝った後からはずっとこうさ。君の傍にいると言って聞かないんだよ。本当は目覚めを待ちたかったんだろうけど、彼女たちも相当にお疲れだからね。夜はしっかり眠るべきだ」
「無理をしてまでずっとついててくれたのか……」
「『アンダーテイカー』は皆そうしたがっていたけれどね。特にヤチくんなんかは血の涙を流しそうなほどだったが、君が目覚めて戻ってもギルドハウスがないんじゃ大変だろう?」
血の涙とはまた大袈裟な、と呆れながら俺はフューネラルの惨状を思い出してこめかみを掻いた。
「そういやうちのギルドも見事にぶっ壊れてんだったな……参ったぜ」
「君がそうやって困らないようにと、ギルドハウスを直すために一足先にポレロへ戻ったよ。その手伝いをするメンバー以外はこちらに残っているけれどね」
テッカは大わらわである政府の生き残りやアーバンパレスのために厨房に立ち、アップルはその常人離れしたタフネスで人一倍に力仕事に励んでいるらしい。
意外なとこじゃビートの音魔法が瓦礫に埋まった要救助者の発見に役立ったり、ファンクが自前の毒を薄めて作った薬がシスターの治癒のサポートとして重宝されたりと、弟子コンビたちが大活躍をしたってんだからたまげた。
あいつらいつの間にかそんな器用なことまでできるようになってたのか……やっぱ俺なんかよりもよっぽど立派に冒険者してるよな、一応は師匠の一人として俺、マズいんじゃね?
と、妙なところで焦らされたりもしたが。
俺は誇らしい気持ちでいっぱいだったぜ。
弟子コンビだけじゃあなく皆が立派だ。全員がなんの迷いもなく、自分にやれる精一杯をやっている。本当に誇らしい仲間たちだ。
思えば、元の世界じゃこんな関係のやつらは俺にゃいなかった。
レンヤはただの喧嘩相手だし、委員長はたまたま何度か共闘する縁があっただけだし、カルラに至ってはあいつの粛清に運悪く巻き込まれただけで、ちっとも仲良くはねえ。
姉貴も俺の喧嘩には首を突っ込んできたりはしなかった。そもそも姉貴は姉貴なんで、ダチとかツレとか呼ぶような相手じゃねえしな。
だからまあ、共に戦う仲間ってのはこっちに来てから初めてできたわけだが。
それは一匹狼気取ってた頃からすると、驚くほどに心地良くて頼りになるものだった。
――ありがとよ。
気持ちよさそうに眠る二人に心の中で礼を言っておく。
「そんで、お前は?」
「うん? ぼくがなんだい」
「サラとメモリはともかく、お前までここにいるのは単に俺が起きるのを待ってたってだけじゃあねえんだろ。なんの用件だ? 頭もようやくスッキリしてきたし、ちゃんと聞けるぜ」
「ご明察だね。ただ、ぼくはもう自分の話したいことは話し終えているよ。君の目覚めを待っていたのは、そうだね。これからの話をスムーズに進めるためといったところかな」
「んん? でも話し合えたって……ああ。てこたぁ他の誰かとも話をさせたいってわけか」
「流石、理解が早い。寝起きで急かしてしまって申し訳ないが、できることならぼくと共に来てほしい」
「こうなってくると『灰』の動向も読めねえしな。できるだけ早く話を纏めたいってのはわかるぜ。だけど、こんな時間に俺は誰と会うってんだ?」
「決まっているじゃないか、マクシミリオンくんだよ。彼こそが現在最も忙しい人間だろうけど、そのおかげでこの時間でもまだ仕事中。つまりは休憩も休眠も取っていない」
おいおい、と呆れた。
それじゃますますのこのこと顔を出しに行きづらいじゃねーかよ。
つか、さっきからやたらとあの人の名前を出してたのはそういうことだったのか。
「これは彼の要望でもあるんだよ。時間が惜しい、というのはぼくらの共通見解でね。君さえ良ければいつでも顔を出してほしい。そう伝えてくれと彼からも頼まれているんだ」
「……んじゃ、行かないわけにゃいかねーか」
よっこらせ、と俺はサラとメモリを起こさないように静かにベッドから起きた。




