382.私たちの勝利です!
青空。
の下に自分がいる。
それでようやく実感が湧いた。
偽界から現実へと戻ってきたという――魔皇を倒したという、確かな実感が。
「…………」
涙を拭い、ユーキは仰向けに倒れている魔皇の亡骸へと視線をやった。その手で終わらせた命。そしてそのために見殺しにしてしまったもうひとつの命。
斬ったものの重みを確かめるように、ひとつも零れ落とさずに両手で抱えるように、ユーキはじっともう動かない魔皇を眺めている。
俺は――迷いはしたが、言うべきではないと思った。
魔皇の言っていたことは十中八九ただの嘘っぱち。マリアがまだ助かる状態にいるかどうかってのはともかく、だからって彼女を解放するつもりもなければ俺たちに協力するつもりだって一切ない。
生かせばもう一度戦いになっていた。
それはほぼ確実だ、っつーのが俺の認識。
だがそれを伝えたところで、なんになる? これくらいのことは言われずともユーキだってわかってる。
ほぼ確実にないにしても、しかし万にひとつの確立でひょっとすれば……マリアを取り戻せるかもしれないと。そういう甘い誘惑に駆られながらも、魔皇を斬り捨てることを選んだんだ。今更の否定も肯定も意味はない。そんなことしなくたって、ユーキは既に受け止めている。
自分の正義のために何かを殺すこと。その気高さと傲慢さ。
マリアほど潔癖じゃなく、魔皇ほど露悪でもなく。ありのままを等身大に受け止めることができている――だからこそ彼女は勝って涙を流したし、しかしすぐに涙を拭ったんだ。
「ゼンタさーん!」
「!」
手をぶんぶん振りながら駆け寄ってきたのはサラ。だけじゃなく、その後ろから大勢がこっちに向かってくるのが見えた。
あれは、魔皇に対抗していた色んなところ勢力が混ざっている面子だな。怪我人も多かっただろうが、ちらほらと確認できるシスターたちが治癒をかけたんだろう。ぱっと見じゃ全員平気そうだ。ま、そうじゃなきゃ駆けつけてきたりはできねえよな。
サラのすぐ後からはメモリや委員長もついてきている……無事に合流できてたと知って安心した。それ以外にも見知った顔がそこには固まっていたが、そん中にさっさと逃げたはずの鼠少女までしれっと混ざっていることには驚いたぜ。
「勝ったんですね! 二人とも流石です!」
太陽のような満面の笑みを浮かべたサラが、俺とユーキに飛び込んで抱き着いてくる。
こっちはくたくただってのに元気だなー、こいつ。サラだって連戦続きでもうすっからかんだろうに、気力が違う。底抜けに明るいやつってのはこういうときに強いよな。
「はい、サラさん。敵軍の大将はこの通り討ち取りました」
言いながらユーキはサラにもその後続にも倒れている魔皇を確認させ、それから鞘に入ったままの刀を力強く天に突きあげた。
「皆さん! この戦いは、私たちの勝利です!」
「「「おぉおぉおおおっ!!」」」
ユーキの勇ましい勝利宣言に一同からの勝鬨が上がる。親玉含めて、これで完全に魔皇軍を退けた。それが確定したことでようやく勝利の喜びを味わえたんだろう。
所属関係なく近場の誰かさんと手を叩いて喜び合う皆は、サラに負けず劣らずの良い顔をしている。祝勝ムードってやつだ。
あのカルラさえも珍しく人を小馬鹿にしていない普通の笑みでシスターたちと言葉を交わしているくらいだ。それだけ苦しい戦いを乗り越えたってことだな。
「ん……うちの連中はどうした? あと『巨船団』は」
ここにいないのがちょいと不安になって訊ねると、すぐにサラが「心配には及びませんよ」と答えた。
「魔皇が最初にやったあの凄い攻撃があるじゃないですか。本館にいたゼンタさんは知らないでしょうけど、あれってここの真上の空から撃たれたものだったんです。高度の関係でガレルさんの船と私たちのギルドが一番まともに影響を受けちゃったんですね」
「げ、大丈夫なのかそれ」
「はい。一隻残らず落ちてましたし、ギルドロボ……フューネラルでしたっけ? も、バラバラになっちゃってました」
「大丈夫じゃねーじゃねーか」
何が「はい」だ。そして「心配には及ばない」だ。けっこう重大な被害を受けてんじゃねえかよ。
俺の目付きが厳しくなってたんだろう、サラはちょっと慌てて続けた。
「でも船もフューネラルも搭乗者の安全第一に造られてたみたいなんです。酷い壊れ方でしたが死者は一人も出てないんですよ。皆さん大事を取って治癒を受けて向こうで休んでますけど、命に別状はありません」
ロボに乗ってたメンバーは動けないほど消耗した連中と一緒に、中庭の反対側で休んでいるようだ。言われて人垣の間から目を凝らしてみれば、色んなもんの残骸が積み重なってる向こう側にもいくらか人だかりがあった。あっちにもシスターがちらほらといるっぽいな。
こりゃあ教会勢力様々だ。その加勢のお膳立てをしてくれたっていうカルラにも頭が上がらねえや。今だけは本気で姫様って呼んでやってもいい気分だぜ。
……ヤチたちがいるあそこまでの間には、たくさんの助からなかった者たちが転がっている。壊れたゴーレムと同じように、ただの人形みてーに。折り重なった塵のように、魔皇の亡骸とそっくりの力のねー倒れ方で。
これが死。
こっちの世界に来て、冒険者になって、以前より遥かにそれを意識するようになったし、身近にもなった。俺自身奪ってきた命も多い。今になってそれを目の当たりにしたくれぇで動揺なんてしねえ、けれども。
こんなにたくさんの命が、こんな短時間に散っていったんだと思うと……さすがにクるもんがある。
今目にしているこの光景を、絶対に忘れちゃいけない。そんな風に思った。
勝利に浮かれきってるように見えるこいつらだってたぶん、目に見えない部分にも傷を負っている。大切な仲間を失って生き残っているんだからな。
本当は喜べたもんじゃあないんだ――だからこそこうして派手に祝うんだ。
死んでいった仲間の奮闘を讃えて、お前たちのおかげで勝てたと笑顔で礼を言うために。賛辞であの世へ送り出せるように。
死んだ命は決して戻らない。のこのこあの世とこの世の狭間から戻ってきた俺が言っちゃあ説得力なんてないかもしれんが、冒険者としてもまだまだ新参者の俺なんかより、ここにいる連中はよっぽどそのことを知っているんだろうから。
だから、だからそう……あ、れ?
なんだか考えがまとまらなくて変だな、と思えば。
いつの間にか俺は、地面に手をついていた。
ふらついたのも倒れたのもよくわからなかったぞ。意識が途切れ途切れになっちまってる。しかも、体が鉛にでもなったみてーに、べらぼうに重い。このまま地面に沈んじまいそうだ……。
「ぜ、ゼンタさん?! ゼンタさん! しっかりしてください!」
サラの声がした。メモリと委員長の声も、他にもいくつかの呼ぶ声がした気がする。だがひどく遠い。谷の反対側から呼ばれているような感じだ。こだまみたいに反響するたくさんの声を耳の奥に響かせながら、俺はとても目を開けていられずに瞼を下ろした。
視界が闇になった途端、何も聞こえなくなった。
◇◇◇
黒の空間があった。それは闇とも違う、完全なる無。虚無と言ってもいい。あるいは死とも。可能性が皆無であること。それを本当の死と称すならそこは何よりも死に絶えた場所だった。
何もないという概念すらないはずのそこに――突如、赤い光が宿った。
その眩しさに俺は目を覆う。しかし覆うための手もなければ眩む目もないことに気付く。俺はそこにいてそこにいない。ここにいてここにはいない。ただ起きたことをそのままに目撃しているだけだ。
不思議な赤。鮮烈なまでのその光を、足元を照らすランタンの如くに周囲を照らす助けとしているのは、……姿の見えない誰かだ。遊ぶような足取りでふらふらと、あちらへこちらへとそれは歩く。意思がある。何もないこの世界に、原初の『力』を持ち込んだそいつは、もしかしたら――。
「はっ……!?」
そこで、目が覚めた。
困惑はなかった。自分が眠っていたことも、意識が途絶えた瞬間もきっちりと認識できている。
なのに、どこかわからない天井を見つめながらも、思考は半分以上がまだ夢の中にあるようだった。まるであの奇妙な夢から、俺の魂が抜け出せていないような……いやそもそも。
あれは本当に夢なのか?
「おはよう、ゼンタくん」
「……!」
誰かいる。それに気付いた俺の上体は警戒とともに跳ね上がり、そしてすぐ弛緩した。
俺が横たわるベッドの傍には……例のニヒルな笑みを浮かべながら、鼠少女が足を組んで座っていた。




