380.愛は人を
魔皇の沈黙は、長かった。理解に時間を要しているっつーよりは、なるべく理解したくないって感じの黙り方だったな。
そんなおかしなことを言ったつもりはねーんだがな……俺もユーキも、『灰』との対決を避けられるもんなら普通に避ける。だがそれが叶わないんだったら戦うしかない。戦って、勝ち取るしかない。
上位者に人類の存続を確約させるにはそうする以外に選択肢はねえ、と当たり前のことを言ってるだけだぜ。
「やるしかねーんならやるっきゃない。それだけのこったろ? 何をそんなに呆けることがあんだ?」
「どれだけの無謀を、口にしているか……自分でわかっているのか?」
「無謀ね。選民作り出して管理者と入れ替わろうって発想は無謀じゃねーのか? 上位者さまの怒りを買うかもってリスクはどっちにしろ同じだし、お前だって『灰』との衝突は避けられないものだって覚悟してたんだろ? そんじゃあ守るために殺すなんていう残酷な手立てを取ってるぶん、お前のほうが無茶無謀と言えるぜ。巻き込まれる俺らからすれば余計にな」
「……究極的には管理者と来訪者に差異など、ない。代替が成り立つと上位者が判断を下しさえすれば、俺の策は何より安全に新世界の創造が可能となる……現在の人類に代わる存在を自力で用意できず上位者頼りとなることは確かに、ひとつの不安材料ではある。だが、それでも勝算は十分にある……! 少なくともなんの手立ても用意もなく、『灰』と事を構えようとしている貴様らよりはずっと!」
「いいえ。それは違いますよね、魔皇」
「……!?」
きっぱりとした否定。それも自分の内心へと突き付けられたユーキの言葉に、魔皇はひどく驚いたようだった。
「あなたが真に勝算を望むのであれば、それこそ母上を利用しない手はなかった。部下の能力を活用してセントラルだけでなく『灰』の動向まで探っていたあなたですが、母上を協力者としていればそれ以上のことができたはず。母上を騙す、ことは難しいでしょうけれど。けれどこんな手段に出ていなければ、たとえ立場を変えたとしても手を取り合えていたでしょう――それすらもせず、あくまであなたが母上が賛同するはずもない強行策に拘っていたのは」
それは、とそこで一呼吸。そして厳かな口調でユーキは言った。
「母上に対するコンプレックス。言ってしまえばあなたの言うこと、行なってきたことの根幹。そのすべてはそれだけに集約されるのではありませんか?」
「コ――コンプレックス……、だと」
喘ぐように繰り返す魔皇。その態度は図星を突かれたようでもあれば、まったく意識してなかったことを指摘されて愕然としてるようでもある。
だがどちらにせよ、ユーキの考察はきっと正しい。
魔皇はちょっとあり得ないくらいにマリアに執着しまくってるからな。戦ってる最中にも何度もマリアを引き合いに出したり、娘を名乗ったユーキに目の色を変えたり、何度も自分たちが肩を並べてた頃と今の俺たちを比べたり……マリアを特別視して、彼女との思い出を神聖化してる節があった。
そもそもこの大々的な侵攻に打って出た契機がまず、マリアだ。
あの人が誘いに乗ったことで軍を動かし、決着をつけたことで魔皇本人も作戦に出てきた。
やはりなんというか、ここまでくると魔皇が拘っているのは新世界ではなく、何よりもどんなことよりもまず一ノ瀬マリアという個人なのではないか、と思わずにはいられない。
戦っててそう感じた俺と同じく、ユーキもそう考えたらしい。いや、母娘という関係性のせいで俺以上に目を向けられ、魔皇の執着をよりダイレクトに感じ取っただろうユーキにとっちゃ、もはや考えるまでもなく明らかなことだったのかもしれないな。
「愛は人を賢者にも愚者にもする。母上から教わったことのひとつです。魔皇、あなたは――そんなに母上が欲しかったんですか? 手に入れられないのなら、何もかもを壊してしまいたくなるほどに?」
「……俺を、愚者扱いか。ふ、ふふ……これは見くびられたものだな。俺の行動原理の全てが、貴様の母に依るものだとでも? そんなわけがないだろう、そんなことだけで今の俺があるわけじゃあ、ない!」
「魔皇……」
ユーキが魔皇を見つめる眼差しは、気の毒そうだった。同情ってんじゃーないだろうが……だがあんなに大きく見えたた魔皇の姿が、膝を屈したまま動けないでいる今は、とても小さく見えること。等身大以下のちっぽけさに見えちまうことが、敵としてもなんとなく物悲しい。
これがマリアに並ぶ、『救世の英雄』の片割れかと思うとどうしてもな。
「魔皇。何も全部が全部、マリアさんへの執着のせいだとは言わねえさ。お前が上位者や『灰』に抱いた怒りを嘘とは言わねえ。だが影響してねえとも言わせねえぞ。仲間たちがいなくなって、二人だけになってもマリアさんと望んだ通りの関係になれなかった。そのせいでやけっぱちになってた部分もあんだろうよ?」
魔皇はどう考えても、マリアが好きだ。好きって言葉じゃ収まらねーくらいに好きだ。
百年以上続く片思いは愛憎入り混じって妙なもんに変質しちまって、もう魔皇自身も冷静にその感情を見つめ直すことなんてできなくなってる。だからこんな結末になっちまったんだろう。
そこはいくら本人が否定しようが、否定しきれるもんじゃあねえ。
「俺たちはマリアさんの道を行くよ。あの人がやりたくても一人じゃできなかったことを、できるだけ皆で協力してやってみる。お前には癪なことかもしれねえけどな」
「………………」
またしても長い沈黙。を、挟んで魔皇は不意にこんなことを言い出した。
「よく、わかった。貴様らが新世界に理解を示さない理由も、俺とは違う形で人類の存続を掴み取ろうとしていることも。その道の先にある艱難辛苦も、俺には目に見えるようだ。だから――協力してやろう」
「「……!」」
「俺が、この魔皇が、手を貸してやる。貴様らよりも『灰』について詳しい自信がある。システム封じは確実に『灰』にも有効だ、対決を見据える貴様らにとっても役立つだろう。しかも。俺には紅蓮魔鉱石の知識もある。我が師ほどじゃなくとも貴様らよりはその力を引き出せる。こればかりは師も、無論マリアも知り得ないこと。予め言っておくが、上位者との対話に臨むなら俺が要るぞ。貴様らだけでは不可能だ」
こいつ、マジか。協力だと? 魔皇が俺たちに協力する――仲間になると?
んなもんを信じるわけがねえ!
理屈じゃない。決して止まらない男だ、こいつは。わかったようなふりして、負けを認めて考えを改めたふりをして、あっさりと裏切る。力を取り戻したなら今すぐにだってまた襲い掛かってくるだろう。
俺にはそれがわかる。こっちも理屈じゃねえ、俺の魂が魔皇ってのはそういう奴だと告げてくる。
良くも悪くも絶対に曲がりやしねえ男だってな。
だが、断言する魔皇の声音には力こそねえが、言葉通りに自信ってもんが満ちている。
こいつは何かを知っている。
俺たちの知らない何かを、上位者と交渉するために欠かせない何かを――。
「そんなものは自力で突き止めます」
「「!」」
「あなたこそ、私とオレゼンタさんをどこまでも見くびっている。仮にあなたがどんな重要なことを知っていようと、ここであなたを見逃せば危険しか生まない……その程度のことがわからないとでも?」
言いながら、ユーキが魔皇の前に立つ。
「私たちがあなたを頼ることは、ありません。どちらかが斃れることでしか決着とはなり得ない。互いにそう承知していたことでしょう」
すらりと、腰だめに刀を構えて。
「ならば私は――」
「――いいのか? 俺を殺せば貴様の母も……マリアも永遠に帰ってこなくなるんだぞ」
「ッ、」
魔皇の言葉に、ユーキの手がピタッと止まった。




