374.1より下にならない
誰かの呼ぶ声がする。体に纏わりつく鎖が亡き者たちの手のように思えた。暗い闇は自分が今から向かう場所のようでもある――黄泉の地。己が生み出したはずのそれらが、魔皇にはもはや得も言えぬほど気味が悪い。悪くて悪くて仕方がない。
「気分が、悪い……! ああ最悪だ! 俺の機嫌と尊厳は地の底へ落ち切った!」
「んなことがどうしたって?!」
気怠い動作で闇から起き上がった魔皇は、その体から伸びる鎖をじゃらじゃらと増やしながら自らを持ち上げて宙に浮いた――彼自身が一個の化け物と化したようなその出で立ちは奇怪そのものだったが、それを目にしてもゼンタは怯まない。
鎖と闇の塊、その中心に核のように据えられた魔皇へ戦斧を叩きつける。
薄暗い偽界に火花が舞った。
「!? 硬くなってやがる……!」
ぶった切る。その意気で振るった刃は、魔皇がガード用に持ち上げた鎖の束の表面を上滑りするに留まった。
そのことに驚いたゼンタは、別の束に真横から弾かれてしまう。
「っちち……、」
ぐるんと宙転、戦斧をぶつけて足場の安全を確保しつつ――そうしなければ闇と同化している鎖にまたいつ足を絡め取られるかわかったものではない――着地したゼンタが視線を戻せば、そこにはもう追撃の鎖が伸びてきており。
「【天来山吹剣】!」
その上から輝く剣撃が落ちてきた。ユーキだ。衝撃によって鎖は停止したが、刃自体は半端に刺さったままで止まっている。ゼンタ同様、これを両断するつもりで攻撃した少女の内心にこそ衝撃があったと言っていい。
鎖の化け物を消沈させた際の手応えからすれば、より細く脆く見えるこの束が切り崩せないはずはないないのだ。
しかして実態はそうではなく、あの巨大な化け物よりも今の魔皇が振るう鎖のほうが遥かに手堅い。
三者共に聖魔スキルの恩恵に与っている今、誰一人とてこの戦闘におけるレベルアップは望めない。つまり魔皇にこれ以上の成長はないのだ。少なくともステータスやスキル面での成長は、起こり得ない。
だからこそ驚いたのだ。ここまでの手応えの違いを感じさせるほどにシステムとは別の側面。本人の技量に依存する部分における魔皇の貪欲なまでの熟達ぶりに、ユーキは母の強さにも似たものを感じた。
さっきの今だ、鎖の化け物を屠られた経験が強さへ還元されるまでがあまりに早すぎる……。
「けれど私は、私たちは! 更にその上を行ってみせる――【活性唯斬り】!」
半ばまで刺さった刃を抜くことはせず、ユーキはスキルを発動させてそのまま斬り進む。
足場の不安定さを感じさせない速度で鎖の束の上を駆けながら迫ってくるその姿に、魔皇は目を細めた。
「忌々しいな小娘……それでも俺の鎖を断つか」
この瞬間にも魔皇は他者から奪った偽界を、そして偽界と一体となった『無窮の鎖』の扱いを上達させている。範囲や巨大さよりも隙間を作らないことを優先し、みっちりと纏め上げた鎖の束。それが化け物よりも硬くなったのはその工夫に加え、ユーキの読み通りに魔皇の技量面での成長が大きい。
だがそれでも、それをもユーキの剣技は超えてくる。まるで魔皇の鎖を断ち斬ることが自分の使命だとでも言わんばかりに、彼女の刃は決して止まらない。
「気に食わん。お前なんぞがマリアを超えたつもりかっ、小娘ェ!」
「超えるべきはあなた! 斬り伏せるべきは百年続く負の感情!」
「ッ!!」
「だから娘である私が、母上にできなかったことをやるんです!」
辿り着いた魔皇の眼前で、大上段に刀を振り上げたユーキ。その背中から魔皇はいくつもの鎖の束を放ったが。
「『ハイパワースイング』!」
「ちィッ……!」
戦斧の一振りでそれらをひとまとめに薙ぎ払われたことで軌道が逸れ、攻撃の前にユーキを狙うことができなかった。この相方を守る鮮やかな手並みは、魔皇が迎撃のために取るであろう手段を予見していたからこそできるものだ。
ゼンタの言動に似合わぬ抜け目なさに何度舌を鳴らしてきたことか。
余計に腹立たしくさせるのは、こうやって守ってもらえると信じ切っているからこそ攻めることのみに集中できているのであろう、目の前の少女の懸命の様子と。
それを何もできずに食らうしかない自分だった。
「【合いの刃】発動、【無間斬り】と【果斬り】を結合――【三界斬り】!」
「――――、」
咄嗟に身に纏う塊の奥底へと体を潜り込ませた魔皇を追いかけるように、一瞬で振るわれた無数の斬撃が彼の奇怪な鎧を切り刻んで弾き飛ばした。
濃度と硬度を増した闇の鎖は魔皇を保護しようと粘る様子を見せたが、ユーキの【三界斬り】は耐えることを許さなかった。
数え切れないだけの鎖が斬られる撃音が刹那に鳴り響き、その後にばらりと塊がいくつものごく小さな破片となって崩れていく。
「っ……!?」
魔皇はどうなったのか、と崩壊する塊を見つめていたゼンタとユーキは、そこから既に魔皇が出てきていたのにようやく気が付いた。下だ。ぱらぱらと振り落ちる破片の雨に打たれるようにして、彼はそこに佇んでいる。
システムの加護によって傷を負うことのない来訪者のダメージは、専用のスキルでも持たない限りは目に見えず非常に計りづらい。
なので今の魔皇がどれだけ追い詰められているか、どれだけHPが減っているかは不明だ。
しかし【三界斬り】が鎖だけでなく魔皇にも届いていることを刀を通して感じ取っているユーキ、そして彼女の手応えをその気配から読み取っているゼンタも、魔皇がそれなりの窮地にいるであろうことは確信が持てていた。
これだけの攻撃を与えているのだから、そろそろ魔皇も限界が近いはず――。
「【不退転】を、発動」
「「!」」
ぽつりと呟くように使用された新たなスキル。飛びかかろうとしていたゼンタも、それに続こうとしていたユーキも、動きを止める。
魔皇はそんな二人に視線をやることなく。
「予定外の偽界の使用。そして度重なるダメージで俺のHPと寿命の残量は残り僅かとなった……まったくもって忌々しい。ここまで苦戦させられるとはな。この時点で我慢ならないほどの大損害だぞ。おかげで寿命確保のための時間が今から気が重い……逢魔四天なき今、相当な仕事量になることは確定しているのだからな」
「ハッ、また先のことを皮算用か? 魔皇軍お得意のよ」
「いいや。ここまで苦戦したからこそ初めて使えるスキルもある。【不退転】の使用は本当に、本当に久方ぶりだ。皮算用にはならんよ」
「へーぇ。どんなスキルか参考までにお聞きしたいね」
「いや何、そう気の利いたものじゃない。ただ単に――『HPを1より減らさない』。それだけのつまらない能力だ」
「「……!?」」
信じられない告白に、ゼンタとユーキの顔色が変わる。敵の動揺を尻目に鼻を鳴らした魔皇は、続けて別のスキルを使用する。
「【収束】を発動。重ねて【収束】を発動。更に重ねて【収束】を発動――」
偽界中の闇と鎖が。魔皇より生み出されたそれらが、魔皇へと還っていく。莫大な質量は全て一本の長い鎖へと収まり、魔皇の体の部位を覆った。両腕。特に拳に仰々しく巻かれた鎖はあたかもグローブのようでもあり、メリケンサックのようでもあった。
殴り殺す。
その意思がよく表れている魔皇の出で立ちは、先までとは異なり防御にまるで重点を置いていない――いやいっそ、まったく思慮の内にないように思える。
もしも本当に、見てくれそのままの策を魔皇が取ってくるのであれば、それは【不退転】の説明とも合致するスタイルだと言えるだろう。
ではまさか、真実なのか。ユーキは戦慄する。1より下にならない。つまりHPを絶対にゼロにさせない、尽きさせないなどというスキルが存在するのか――それはゼンタが果たしたコンテニューともまた違った、しかし酷似した異常性があるスキルだ。
そんなものがあるのなら、魔皇に敗北はない。
散々本人が言っていた通り、彼には勝利しかないことになる。
「んなわけがねえ」
「……! オレゼンタさん」
「ただ死ななくなるだけのスキル? んなもんねえよ。上位者がそんな面白みのねえスキルを作るわけが、ねえ。強い能力には厳しい条件かデメリットがある。そういうバランス感覚は持ってるはずだぜ……何かにつけ雑な神様だけどよ」
だから、勝てないなんてことはない。
そう結ぶゼンタに、魔皇は笑みを向けた。
「そう思うなら、決着をつけるか小僧。もう二度と生き返らぬよう今度は念入りに殺して殺して、もう一度殺してやろう」
「けっ。そっちこそ悔いなく暴れるがいいぜ。これがてめーっていう無駄に長い歴史の最後。終止符になるんだから――なぁっ!」
戦斧で斬り込んだゼンタに、魔皇は鎖拳で応えた。




